かろうじて残っている過去の記憶も、しっかり思い出し直さないと、全く別の時期の記憶が混ざっている事がある。
記憶力の一番酷いのが、人の顔が覚えられないこと。
ものすごく美しいか、とても個性的なお顔の方なら憶える事が容易だが、その何れにも該当しない顔、すなわち特徴のない顔は自分の中で同じ様な顔として、どうやらカテゴライズされてしまうようなのだ。
同じ様に、普通に美しいテレビを彩る女子アナも、「美しい顔」の中にカテゴライズされて、やはり識別が出来ない。
私の記憶力はショックや驚きを感じた時に、最も鮮明に記憶されるようだ。
こうしてブログを書いていると、昔の事を断片的に思い出し、その記憶の欠片からすっかり忘れていたことも次第に思い出したりしている。
よく言われることだが、記憶はそれぞれ引き出しにしまい込まれていて、引き出しさえ開ければ、記憶を取り出すことが出来ると聞く。けれども、記憶の悪い私の引き出しは、記憶をしまい込んでも底が抜けているのでは無いか。そう思うこともたびたびだ。
特に最近は老化のせいか、元々悪い記憶力の低下が著しい。
一方で、古い記憶が突然浮かんでくることがあり、先日は「空死に」という言葉が思い浮かび、一編の詩の題名なのだが、誰の詩集であったか思い出すのに苦労した。
結局グーグルのお世話になったのだが、ゲーテの詩集だった。
ゲーテの詩集「空死に」は小学1年生の時、クラスメートのトモちゃんが教えてくれたのだったと思う。格調高い小学生だと思った。
トモちゃんはとても頭の良い子だった。トモちゃんは官舎のような家屋に住んでいたので、お父さんは公務員だったのかも知れない。お母さんは専業主婦でいつも家に居たが、様々な趣味を持った方だったようだ。大きな彫りかけの木彫りの作品がテーブルの上に乗っていたのが強く記憶に残っている。
トモちゃんには少し年の離れたお姉ちゃんがいた。
お姉ちゃんは恐らく中学生だったのではないかと思う。
とても魅力的な人で、私は大好きだった。好きすぎてべったりくっついていたら、トモちゃんに「私のお姉ちゃんだからね」と少し怒り気味に言われたくらいだった。
トモちゃんは、ゲーテの詩集をお姉ちゃんと一緒に暗証しているのだと言っていた。
当時教えてもらったが、どんなものであったか、全く覚えていなかったので気になってゲーテの詩集を買ってみた。
そら死に
お泣きよ、おとめ、ここが恋の神(アモル)のお墓です。
アモルはここでわけもなく、ふとしたことで死にました。
だけどほんとに死んだのか。それは怪しい、アモルはふとしたことでわけもなく目を覚ますのが常だから。
末尾にドイツ語Scheintodとある。詩の原題…意味を調べたら、「仮死」それを詩的表現で「そら死に」なのか。
小学1年生が、ロマンチックなゲーテの詩の暗唱。素敵だ。
私はトモちゃんを尊敬していた。
トモちゃんの家で九段飾りのおひな様を見せてもらったのも、小さな付属品を触らせてもらったのも、生まれて初めてのことだった。
トモちゃんのお母さんもお姉ちゃんも優しくて知的で素敵なご家族だった。
トモちゃんは白いとっくりセーターに襟なしのタータンチェックのジャケットを着ていた。
人の服装を私が覚えているのも珍しいことだが、きっと素敵だなと思ったのだと思う。
大好きなトモちゃんは1年生の途中で転校してしまった。
いや待てよ。ひな祭りを一緒に過ごした記憶があるのだから、1年生の一年間は一緒に過ごしたのだろう。4月の父親の転勤と共にお別れしたのかも知れない。
しばらくしてトモちゃんから贈り物が届いた。
すっかり忘れていたが、今、記憶が繋がった。確かそれは、鹿の親子の陶製の置物だった様な気がする。あの頃、飾り物でとても大事にしていた物だったから。
鹿の親子は、金の細いチェーンで繋がっていた。親子の絆を表すように。
私はお礼に、うさぎの陶製の置物をお小遣いで買ってトモちゃんに送ったのだが…。
トモちゃんからお礼の手紙が届いてわかったのは、「パッキンが入っていなかったので、割れていました」という、衝撃の事実だった。トモちゃんは、修理したとさらに手紙で教えてくれた。
自分の不手際を呪い恥じた。送るときに緩衝材が必要なことは、考えても見なかった。お店で買ってそのまま送ったのだ。悲しい出来事だったが、学びがあった。
トモちゃんからもらったその大切な置物は、父が暴れた夜に破損してしまった。
それは、両親の関係が決定的に破綻した夜だったが、部屋の惨状より何より、悲しかったのは、トモちゃんからもらった置物が壊れていた事だ。それを見つけた時に涙が出た。父が壊したということが、特に悲しかった。
やはり、記憶は引き出しの中にあるのだなとこれを書きながら、つくづく思った。