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ポジティブな私 ポジ人

苫小牧市で悲しさとうれしさと

苫小牧市美術博物館を出て、次の目的、苫小牧市文化交流センターへと車で移動した。

「ヒロシマ原爆資料展」
会場入り口には市内の小学校の生徒が折ったと思われる千羽鶴が沢山あった。平和への願い。未来への。

会場内に入ると、原爆投下後の様々に焼け変形した遺品などが展示されていた。
自分が若い頃も、何度かこのような展示会はあり、これまでも見てきた。

娘が小学1年生ぐらいの時に、息子もともなって、札幌で開催された小さな原爆の展示会へ連れて行ったことがある。
自分も戦争を知らないが、子供たちへもその戦争の悲惨さ愚かさを伝えたいと連れて行ったのだった。
会場を出ると、娘は当時ひどくショックを受けて、「何故こんな恐ろしい展示会に連れてきたのか」と私に抗議した。「見たくはなかった」と。
その時は気付かなかったが、今になって思うのは、娘は私よりかなり感受性が強い。だから、わずか6〜7歳で見た、原爆で傷ついた人々の写真などは、刺激が強すぎたのだと今更のように思う。時期尚早だったかな。

今回の原爆の展示品や写真などは、それほど多いとは言えなかったのだが、心に大きく響くものだった。展示品の焼け焦げた三輪車が、とにかく悲しくてしょうがなかった。
この三輪車にまつわるお話は「伸ちゃんのさんりんしゃ」という絵本にもなっている。

ウクライナで実際に戦争が起こっており、悲惨な状況は逐一様々なメディアで細部まで見ることができる。
かつては古い白黒写真でおぼろげにわかったつもりになっていた戦争が、今では実写の動画でリアルに伝えられている。それゆえに心が潰れるような、悲しさ痛ましさがダイレクトに伝わる。

原爆症に苦しむ人の白黒フィルムがモニターに映し出されていた。
髪の毛の抜け落ちた幼い姉弟。無表情だ。
モニターが置かれた横の壁には、数枚の戦争体験を表した絵が数点飾ってあった。
3枚の絵のうち、真ん中の作品が強烈だった。

その作品は中央に真っ黒になった人体が先ず目を引く。その真っ黒な人の形の顔の部分に、ギョロリと見開いた両目とザクロのように割れた口。
説明を読むと、被爆して真っ黒になった父親の姿だとある。
まだ命ある父親。その周囲を囲む家族。
父親は何かもの言いたげだ。しかし、話すことができないのだろう。見開いた目で、家族に何か必死に訴えているように見える。
子どもたちにとっては、真っ黒に焼け焦げて変わり果てた姿の人が、父親だと言われて戸惑っている。もはや父親かどうかも定かではない、残酷な姿だ。

なんと悲しい場面なのか。悲痛だ。今もその絵が忘れられない。

苫小牧市は道内唯一の「非核平和都市条例」を制定し、今年で20周年を迎えたそうだ。
苫小牧市は条例に基づき、今回のロシアによるウクライナ侵攻で、核兵器の使用を示唆したプーチン大統領に抗議文を送ったと新聞で読んだ。
効果のほどはわからないが、こうした苫小牧市の行動力は道民として心強く、誇らしい。

展示会場を見終えて、私はすっかり気持ちが落ち込んでしまった。
過去の戦争がこれほど感覚的に身近に感じられたのは、このご時世のせいであることは疑いようがなかった。
子供たちが戦争のない平和な日本で、ずーっと過ごせますように。心から願わずにはいられなかった。

苫小牧市文化交流センターを出て、ふと、周辺を見回すと、アーチ型の看板が目に入った。
「銀座商店街」と書かれたその名前に見覚えがあった。
高校生時代、友達に「ここは親不孝通りと呼ばれているんだよ」と教えてもらった所だ。

「ちょっと、ここ見ていってもいい?」
夫と息子に声をかけながら、足はもうそちらへ向けて踏み出していた。
道路を渡りアーチをくぐり歩き出すと、昔とは逆方向から通りを歩いていることが、次第にわかってきた。この突き当りは多分駅前通り。苫小牧市のメインストリートになるはずだ。

かつて“親不孝”の名の元となる飲み屋街だったが、見たところ昔とは随分と様変わりしたようだ。
昔のお店を探してみる。
高校生の時、友達とここに来たのは、ケーキ屋の「まつや」さんが目当てだった。何度かケーキを買いに来た。
探してみるもそれらしきお店はない。
いつか入ってみたいと高校生のとき思っていた「ワインとステーキの店」(だったかな?)と壁に書いてあったおしゃれなレストランも無かった。

ほんの一条ほどの長さの通り。何もかも変わってしまったのだなあと、寂しさを感じていると、一軒の酒屋さんがあった。
縦看板に銘酒の名前が数々書かれていた。
夫が「あっ、〆張鶴がある」と言った。
〆張鶴は、20代の頃、ちょっと高級な居酒屋に二人で行った時に、店主がうまい酒として紹介してくれた銘柄だった。お酒のあまり飲めない夫が、恐らく初めて出会った高級酒だったと思う。それ以来、彼の好きな銘柄だ。

その大きな縦看板の店舗を見ると「福○商店」とあった。なんと、クラスは別だったが高校の同級生のF君の店。現在まで、変わらず営み続けていた。すごい!
テンションは一気に急上昇。なんだかとても嬉しくなった。高校生のF君の坊主頭を思い出した。話したことはないけど。

この日、夕食は焼き肉を食べようとみんなで決めていた。
焼肉金剛園へ初めて行った。順番待ちの人気店だ。有名人も数多く来店している様子。
浅田舞、真央姉妹、EXILEのSHOKICHIなどなど、写真と共に色紙が飾られていた。
テーブルについて注文をして、待っていると、息子が突然「今日は8月21日?」と確認するように言った。
8月21日、それは息子が苫小牧市民になった記念の日。

四年前のこの日、息子と引っ越しの手続きなどを一緒にしたのだった。
息子はしっかりこの地に根を下ろし、すっかり苫小牧市民として馴染んでいる。
はからずも、ささやかな息子の苫小牧市移住4周年記念のお祝いになった。
1985年創業の老舗焼き肉店の味は、ただでさえ美味しい。息子と共に会食することで、更に美味しく、更に楽しくなったのだった。
そして、家族の誰もが「あの娘が、ここにいたらなあ」と遠方の娘に思いを馳せたひと時でもあった。

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