見出し画像

ポジティブな私 ポジ人

日常にふと蘇る映画のセリフ

「チューチュー出来ないじゃないか」

確かこんなセリフだったと思う。

1983年公開、森田芳光監督の映画「家族ゲーム」の中の伊丹十三のセリフ。

いつもは半熟になった目玉焼きの黄身に口を付けてチューチューと吸って食べるのだが、目の前に出された目玉焼きの黄身が固まっていて、その食べ方が出来ない。その事に対して妻に不満を漏らしたときの言葉だ。

日常の中で不意に過去に見た映画作品の中のセリフを思い出すことがある。

いつもはシリアルを朝食にしているが、一個だけ残っていたロールパンを食べようと、目玉焼きを焼いたのだ。
皿に盛って食卓につき、目玉焼を見た。
黄身に火が完全に入らず半熟となっていた。
その時に、不意に伊丹十三の冒頭のセリフが頭に浮かんだのだった。

お箸で黄身をつついてお皿が汚れるのが何となく嫌だった。伊丹十三に習い、私は卵の黄身に口を付けてチュルチュルと吸い上げて食べた。
もちろん、お行儀が悪いので家の中でだけ。それも食卓に一人の時だけだが。

映画作品の中で、観た人それぞれの心に響くシーンは様々だ。

私が初めてこの映画を見た時のこのシーン。「チューチュー出来ないじゃないか」というセリフを最初に聞いた時の疑問。そして理由がわかった時の驚き。それが若い頃の私にとっては強烈だったのだろう。
いつまでも記憶に残っていて、時折蘇る。

「家族ゲーム」は全く新しいスタイルの斬新な映画だった。

松田優作が家庭教師役で、宮川一朗太が生徒役。
この二人のおよそ教師と生徒という関係から想像できない関係性。意味不明なバトル的な展開。
不思議な映画だが、何度見ても面白い。

父親役が伊丹十三で妻役が由紀さおり。
歌手として活躍していた由紀さおりの起用は意外な選択だった。
ぼんやりした母親役が秀逸だった。
風変わりな親であり夫婦だ。
受験期の息子を持つと、通常ピリピリと張り詰めた空気があるのが普通だが、その空気感からかけはなれていた。森田芳光監督の意図的な演出なのだろう。

象徴的なのが、家庭教師も交えた食事のシーン。これは映画史に残る名物場面。

通常食卓はみんなで“囲む”ものだが、映画の中の食卓は横一列。スクリーンの左から右へ一列に並んだ食事風景。
型破りな食卓の中央に確か松田優作。
食事が始まると、土台、取りづらい様々なおかずやサラダの配置だ。あちこちから交差しながら腕が伸びる、次第にその様子は激しくなり、アドリブも入っているのだろうが、最後にはマヨネーズやケチャップも大胆に振りまかれ、シッチャカメッチャカな食卓はカオスへ。

松田優作はおよそ家庭教師らしいことからもかけ離れている。
生徒と教師のシーンは画面いっぱいのツーショット。距離が近過ぎる。

勉強が苦手な宮川一朗太が、ノートにカリカリと一心に書き始める。勉強に目覚めたかと思いきや、書き込んでいるのは「夕暮れ」の文字。その文字がノート一面にビッチリ書いてあったりして、ちょっと怖くなるくらいだった。
それを見た松田優作に確かビンタをはられるんじゃなかったかな。

全て昔の記憶を思い出して書いているので、記憶違いのシーンがあったらごめんなさい。

母親役の由紀さおりの何があっても、ぼんやりゆったりした感じも、可笑しみがあった。
ラストシーンも不思議な終わり方だった。
ヘリコプターの音が不穏に響き、母親が「何かしら」と空を見上げているところで終わったのじゃなかっただろうか。
観ている側は「一体何があった?」と疑問を持ちながら、その気をそがれるように映画は終わる。

とにかく変な見どころが、沢山ある映画だった。

朝食をロールパンにして、たまたま目玉焼きが半熟だったことから思い出した。






名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「映画」カテゴリーもっと見る