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ポジティブな私 ポジ人

むくつけき大男ザンパノ

夕食後にお茶碗を洗いながら、友人の事を考えていた。友人夫婦の関係があまり良くない。ほぼご主人の方に問題がある。
頭の中にふと、「まるで彼はザンパノじゃないか」と浮かんだ。

久しぶりにフェデリコ・フェリーニの名作、映画「道」を思い出した。

この映画を初めて観たのは、確か高校1年生の「有珠山研修旅行」の時だったと記憶している。
夕食が済んで、映画鑑賞のため研修室で白黒の作品が上映された。
猛烈に暑い夏の夜だった。クーラーなど無い施設である。じっとりと汗ばみながら、暗い研修室で黒板サイズのスクリーンを眺めたのを良く覚えている。

初めて観たその作品は、主人公が知的障害のある女性ジェルソミーナと、粗野な大道芸人のむくつけき大男のザンパノ。まだ夢見がちな15歳には、その組み合わせは、すんなり受け入れるにはハードルの高い作品だった。

泥臭い作品である。目の大きなジュリエッタ・マシーナと顔の長いアンソニー・クインのコンビは私の目には奇異に映った。二人とも個性的な顔だ。
後から知ったのだが、ジュリエッタ・マシーナはフェリーニの奥様だ。

町から町へ大道芸の旅。粗暴な男との生活は、ジェルソミーナと同様に私にも不快さが伝わってきた。それは猛暑の中で映画を観ていた不快さも、重なったのかも知れない。

途中から登場した綱渡りの男が、映画の中に明るさを持ち込み少しホッとした。ジェルソミーナもその明るく陽気な男に好意を持った様だった。

しかしストーリーは悲劇的なアクシデントで突如暗転する。
ジェルソミーナはショックで正気を失ってしまい、大道芸のアシスタントとしては用をなさなくなってしまった。ザンパノはジェルソミーナをそっと置き去りにするのだった。

長い時が経ち、ザンパノも老いていた。ジェルソミーナがかつてラッパで奏でていた耳慣れたメロディーを耳にして、メロディーを口ずさむ女性から、ジェルソミーナの最期を知る。

ラストのザンパノが夜の海で、波に濡れながら慟哭するシーンが印象的だ。

高校1年生で知った「道」はその後、テレビで放映する度に幾度となく視聴し、年齢と共に微妙に作品の見方が変わっていった。何度繰り返してみても飽きること無く、好きな作品だ。

そんな事を一通り思い出して、最終的にザンパノのは粗野なだけの男ではなかった。過去を振り返って反省し、無垢なジェルソミーナの魂を傷付けた事、そして彼女が既にこのよを去ってしまっことに泣き濡れる人間味を帯びていた。

友人のご主人をザンパノに例えたのは誤りだった。


くだらない余談だが、無垢な魂のジェルソミーナを演じたジュリエッタ・マシーナの名前の中に“魂”を見つけて、一人密かに悦に入っていた。

ジュリエッたましいナ…ジュリエッ魂ナ

お粗末様でした(汗)。




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