現在のテレビは、薄型で画質も素晴らしく良いけれど、私が就学以前のテレビはブラウン管が内蔵された箱型で、白黒の画像しか映し出されないものであった。
チャンネルの切り替えも、ボタン式でもリモコンでもなく、テレビに付いているダイヤルを回して選択するものだった。
テレビ局の数もテレビ番組の数も大変少なかった。
札幌では
チャンネル
1 (HBC 北海道放送)
3 (NHK 日本放送)
5 (STV 札幌テレビ放送)
12 (NHK教育テレビ)
の4つのみだった。
東京はチャンネル数が沢山あるとクラスメートから聞いて、羨ましかった。
当時は誰もがほぼ同じ番組を見ていたので、大人になってからは世代が合うと同じ情報を共有しているため、話も異常に盛り上がるのだ。
“三種の神器”(洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ)と言われた家電のひとつであるテレビは、高価であったので大事にされており、テレビカバーが掛けられていた。
見る時にはいちいち画面に被さっている布をめくり上げなければならず、見終わったらまた元通りに下げる。随分と面倒な事をしていたものだが、テレビのある生活が当たり前になると、いつしかカバーは消えていた。
テレビが普及する以前は、ラジオが主流だったので、歌番組はラジオから流れており、情報の少ない時期だったから、歌手の名前は覚えても、その人の容貌までは知らない事もあったらしい。というのも、母がこんな事を言っていたからだ。
魅惑の歌声で多くの人を魅了していた歌手のフランク永井が、初めてテレビに登場した時のこと。母は彼の美声から母好みのハンサムな男性を妄想で作り上げていたらしい。
そんな訳で、実際にテレビで彼を見た時に、母はがっかりして「テレビのカバーを下ろし、歌だけ聞いていた」などと言っていた。
テレビの画質が悪いこともあったのでは無いかと思うが、気を悪くされたファンの皆様ごめんなさい。
当時のテレビで私が最も厄介だと思っていたのは、室内アンテナの扱いだった。
アンテナは例えるなら形はうさぎの耳の様な形状のフレームで、大抵はテレビの上に乗っていた。
テレビ局からの電波の状態は不安定だったらしく、しばしば画面が乱れた。
良く見えるようにする為には、アンテナのウサギの耳を開いたり閉じたり、片耳だけ倒してみたり。さらにテレビの上から移動させたりと、受信状態が良くなるよう、様々な努力が必要だった。
やっと画面がきれいに映り、自分の席に戻ろうと離れると突如画面が乱れる。また近づくと画面が見やすくなるという状態のため、家族から「そのままそこに居て」などと冗談で言われることもあった。
あの“ミスター・ビーン”のテレビシリーズのお話の中にも、テレビアンテナにまつわる似たような話があり、大げさに面白おかしく描かれていた。
何処の国でもある事なのだなあと思った。
また、良く番組が突然途切れて、「しばらくお待ち下さい」という文字が画面に表示され、長い事待たされる事もあった。「もー、いいとこだったのに」とイライラしたりすることも多かった。
子供心に印象深いテレビ番組はNHKの「お笑い三人組」。父が好きだったのか、よく見ていた。
また、双子の歌手ザ・ピーナッツの歌とクレイジーキャッツのコントで構成された「シャボン玉ホリデー」が、私は毎週楽しみだった。
クレイジーキャッツがその番組から多くの流行り言葉を生み出していた。
谷啓の「ガチョ~ン」とか植木等の「お呼びでない?お呼びでない?これまた失礼致しました」などのコントが懐かしい。
今でこそアニメ大国日本だが、1960年代初期の頃はまだそんなに国産のアニメ作品は放送されていなかった。
それでも手塚治虫の「鉄腕アトム」「鉄人28号」「オオカミ少年ケン」を楽しみに見ていた。
アニメで海外作品の代表と言えば、日曜日の朝のディズニーの番組だった。ウォルト・ディズニーの解説から始まり、素晴らしいアニメで今も昔も子供達にどれだけの夢を与えてくれたことか。私の心を最もときめかせたテレビ番組だった。
また、現在でも未だに人気の衰えない「トムとジェリー」。毎回ワクワクしながら見ていた。
30分枠の中に3本の作品が放映されていたが、2本目に“ドルーピー”という犬が主役の作品が放映されることがあった。私はこのドルーピー作品がトムとジェリーよりも好きだった。
ドルーピーの声は浪曲師の玉川良一が吹き替えており、ドルーピーのボヤキにピッタリの声だった。
ドルーピーの声は浪曲師の玉川良一が吹き替えており、ドルーピーのボヤキにピッタリの声だった。
その他にも「ポパイ」もよく見た。
普段は弱いが、荒くれのブルートからオリーブを助ける為、ほうれん草の缶詰を食べて強くなるというのが毎回のお決まりのストーリーだった。
今振り返ると、ポパイもオリーブも、ヒーロー、ヒロインでありながら、美男美女からおよそかけ離れた風貌だったけれど、人気のアニメだった。
その他にも、海外アニメは「宇宙怪人ゴースト」「スーパースリー」「ドボチョン一家」等も見ていた。
海外ドラマは「三ばか大将」を父がよく見て笑っていた。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、過去に戻ったマーティが親戚の家に行ったシーンがある。
テレビに白黒の番組が映っていたが、その番組こそ「三ばか大将」では無かったかと思っているのだが、違うだろうか?劇中、マーティが「再放送で見た」と言うのだが、親戚は「始まったばかりの新番組だ」と説明するシーンだ。
テレビドラマは賢いコリー犬が活躍する「名犬ラッシー」や「ビーバーちゃん」「奥様は魔女」「ザ・モンキーズ」も好んで見ていた。
また、愛川欽也が吹き替えをしていた私の大好きだった「幽霊探偵ホップカーク」。このドラマは短期間だったせいか、同世代の人でも知らない人が多く、思い出話が出来ないのが残念だった。
現在は、テレビのチャンネルも番組数も多いが、それ以上にネット上の動画も溢れている。今の若者たちは、いわゆるバズった番組や動画が共有されて、将来の思い出話になるのだろうか。
今でこそ、テレビは視聴者離れが甚だしいようだが、子供の頃はテレビに多くの夢を与えられた。
テレビの行く末を案じながら、私は今でもテレビが大好きだ。
最近は上質なテレビドラマも多く、楽しみにしている。
そんな私は、まだまだ“テレビっ子”もとい“テレビ婆”といったところだろうか。