恥ずかしながら、私は両氏の著書を一冊も読んだことがない。
石原氏にとってはおよそ死の2年前の対談である。最も興味があったのは、石原氏が死について何を語ったのかということであった。
物議を醸す発言が多かった氏だが、87歳で何を思っていたのか。
先ず読み始めて、両氏の知的会話に興奮を覚えた。拝聴するような気持ちで読み進んだ。
私から見れば20年以上年上であり人生の大先輩達である。本書を読みながら、両氏の知識の広さ、優れた見識など、ただただかしこまるばかり。
人の生において終盤にありながら、石原氏の執筆意欲は衰えず、人生を貪欲なまでに生き、曽野氏は自然体で伸びやかに生き生きと生活されている様子がうかがえた。
本書は三章で構成されている。
第一章 他人の死と自分の死
第二章 「死」をどう捉えるか
第三章 「老い」に希望はあるのか
読みながら気になった箇所を、断片的に取り上げてみる。
第ー章 「死」をどう捉えるか
石原氏の愛読書は哲学者ジャンケレビッチの著書「死」だという。
あらゆる角度から死を分析していて面白いというので、読んでみようかなと思い調べたらレビューに難解な本とある。私のような無学なものには読めそうもないので、読むのは無理だと判断し即刻諦めた。
石原氏は脳梗塞、肝臓がんなど様々な病に襲われながらも、「書けなくなるなら死んだほうがいい」と強い意志で、ライフワークだという法華経の現代文訳を3年かけてやり遂げたところだと語っていた。
石原氏は長い年月をかけ宗教書や哲学書など多くの書を読み込んだ上で、死について下記のように語っていた。
「死ぬことは“虚無”なんですよね。何もない。だけど“虚無は虚無として存在する”とね。それしか言いようがない」
と語っている。
死んだらおしまい。その後は何もないと。
死の後に何もないという認識が、ことさら石原氏を生きる事に執着させているように感じられた。
その他、弟の石原裕次郎が苦しみ抜いて死に至った話や石原氏本人が肝炎を患ったときに三島由紀夫から見舞いの手紙を貰い、それが後々石原氏を政治に参加する決意につながったという貴重なエピソードが会話の中にどんどん出てきて、興味が尽きない。
第二章 「死」をどう捉えるか
石原氏の話で鳥濱トメさんの話が心に残る。
鳥濱トメさんは、かつて特攻隊の基地があった鹿児島県の知覧にあった富屋食堂を営んでいた女性だ。
出撃を待つ若い隊員たちからお母さんと慕われていた方だ。
私もドキュメンタリーか何かで見て知っていた。特攻隊員を何人も見送った方だ。その心の内を思うと、どれほど切なく悲しい体験であったことか。
石原氏は彼女に会い感銘を受け、トメさんのことを伝えたくて映画を作ったほどだという。
戦後のエピソードだが、トメさんが夕方用事を終え、かつて飛行場の三角兵舎があったあたりを久しぶりに通りかかったところ、菜の花畑になっているそこに突然一列になった鬼火が現れたという。
トメさんは一緒にいた富屋旅館のお手伝いさんと手を合わせて祈ると、鬼火がひとつひとつゆらゆらと消えていったそうだ。
若くして逝ってしまった若者たちが、トメさんに感謝の念を伝えようとしたのだろうか。
そんな話もしながら、石原氏は魂の存在などは信じていなかったようだ。
石原氏の「魂は存在するか」という質問に、曽野綾子氏はクリスチャンらしく「存在すると思う」と語った。
「霊魂があるとして、来世で甦るということですか」と石原氏が尋ねると、「そういうことはわからないが、わからないことを自然に受け入れている」と答えている。
曽野綾子氏は失明寸前という事態から、奇跡的に回復し、これからはやりたいことをやろうと、50代からサハラを訪れることを決意したそうだ。
壮大な旅の計画で特別仕様の車2台(1台は故障に備えての予備)を用意し、吉村作治氏をキャプテンに加わってもらい、アルジェリアからコートジボワールの象牙海岸までの3,000キロを走破したという。
スケールの大きな方だ。その後も何度もアフリカを訪れたという事だ。
興味が尽きない話が様々に繰り広げられる。私のような俗物は、読みながら驚きの連続だ。
生に執着する石原氏と死を自然に受け入れようとする曽野氏と、死への姿勢は対象的に感じられた。
曽野綾子氏が死を意識したのは10歳の頃だという。母親が綾子氏を道づれに自殺を図ろうとした時だと。何という恐ろしく悲しい記憶だろうか。
石原氏も小学生の時に母親が高熱を出し、戦争中の灯火管制で暗闇の中、医者を呼びに暗闇の中を走った時に初めて死を意識したのだと語っている。
両氏とも期せずして、命を与えられた母親に関わることから死を認識されたとは。
また、戦争時代を体験されたお二方だ。「生きるか死ぬか」それは平時であれば非日常であることが、日常の中に普通にあった時代。恐ろしいことだ。
曽野綾子氏は死を教育する「死学」があれば良いと提唱している。
確かに、死について何も知らなければ、恐怖があるだけだ。学校で死の授業があっても良いかも知れないと私も思ったが、石原氏は、難しいだろうと結論付けていた。
確かにカリキュラムを組むには、非常にデリケートに扱わないといけない種類のものだ。
核家族化が進み、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんを家庭で看取る機会もほぼなく、家族で話すこともなかなか難しい話題だ。
第三章 「老い」に希望はあるのか
曽野綾子氏曰く
神父は人間の死の日を「ディエス・ナターリス」と言うんです。ラテン語で生まれた日という意味です。「人間の死は決して、命の消滅ではなくて、永遠に向かっての新しい誕生日」という意味ですね。
また、死のことを「誰もが死ぬという、よくできた制度」だという。永遠に命があったら疲れる。死なないということは、最高の罰でもあると。
それに対し石原氏は「つまらん。つまらんです」と。
両氏の死に対する認識の違いが顕著だった部分だ。
書いていくときりがない。本書は死に関する事柄だけでなく、2大作家の人生を振り返り、折々における両氏の様々な体験や思いが語られている。
今後の私の人生にも大いに役立つだろうと思った。