青いブラシは豚毛100パーセントで、私が20代の頃買ったもの。
こだわって、ナイロン製は避けた。昔、ナイロン製の物は、皮膚に色素沈着を起こしやすいと何かで読んだことがあったからだ。よほど酷く擦らない限り、大丈夫だとは思ったが、より自然な素材が好きなこともあって、豚毛にした。
藤色のブラシはナイロン植毛で、単身赴任の際に夫が自分で購入したものだ。
夫は入浴するたびに毎回必ず使っている。
私といえば、年に1度使うか使わないかの使用頻度だ。
背中を洗うのに大変便利なボディーブラシではあるが、私が使わないのには理由がある。
背中は、なかなか手が届きづらい所ではあるけれど、手が届きづらいからと言って、ボディーブラシに頼ってばかりで良いのだろうか。
自分はすでに老齢の域に入っている。
気を付けていないと、知らない内に背中は曲がるし、腕を背中側に持っていくのも関節が固くなり、中々難しくなってくるだろう。
ボディーブラシを使うこと。背中全体を楽にきれいに洗えて良いのだけれど、本当に自分にとってそれがより良いことなのかどうか、改めて考えてみる。
人は限りなく「楽なこと」に流れて行くものだから。
体のメンテナンスをして、可動域を増やせばボディーブラシは不要になるはずだ。それは自分にとってより良い事だ。自分の体をボディーブラシ並みに使えるように変えていこうと思ったのだ。
今は亡き女優の森光子さんは、80代でも体が柔軟で、舞台では軽やかにでんぐり返しを行っていた。何かのテレビ番組では、背中側に両腕をそれぞれ上と下から伸ばして、右手と左手を背中で握るのを見た。その体の柔軟さを初めて見た時は驚いた。それはひとえに、森光子さんがストレッチを続けた努力の賜物だろう。
当時まだ私は40代で、森光子さんの二分の一の年齢だったけれど、体は固く背中で斜めに両手を握るなどは到底出来ず、かろうじて両手の先端が触れる程度だった。森光子さんにならわなければと思った。
人は楽をすれば“それなりに”、努力を続ければ“それ以上”になれると信じている。
60歳をとうに過ぎた今、ボディーブラシを使うのは、今後の自分のためにならないと思って、使わないことにした。
いや、本当はボディーブラシを使って、更にストレッチをする時間を設ければ良い話なのだが、中々ストレッチのための時間を取るのが難しい、というか面倒だ。ならば、背中が洗えてストレッチも兼ねることが出来れば良いのだ。
それで、ボディーブラシを使わずに、石鹸を泡立てたタオルを使う。タオルを右手に持ったり、左手に持ったりして、肩の上から脇の下から、せっせと背中の中心まで手が届くように頑張って洗っている。
それはきっと知らず知らずのうちに、浴室で温まった体の無理のない柔軟運動になっているものと勝手に思っている。
夫は背中を長い柄のついたブラシで毎回洗っている。
自らストレッチなどもしないし、一人でウォーキングをすることもない。
たまに心配になって、背中側に腕を伸ばせるかどうか試させて見たりするけれど、両手の指先はかすりもせずに、遥かに遠いディスタンス。
彼にとっては、それはあまり重要なことではないらしい。
私がとやかく言ったところで、意に介する様子もない。
夫婦であれ、考え方は違うし、無理強いはできない。
夫の猫背が秋の景色に時々、黄昏れて見える。