実家に暮らしていた20代中頃まで、台所に関することは、ほぼ何もしてこなかった。
いわゆる花嫁修業と言われるものは一切したことがなく、映画を見たり、本を読んだり、音楽を聞いたり、漫画を読んだり、自分の好きなことにただただ時間を費やしてきた。
乱読、乱鑑賞だから、系統的に何かをしっかり学んだわけでも得たわけでもなく、感情の趣くまま、心ひかれるままに時間を費やしてきた。
今振り返ると、目的も戦略もなく、頭が悪く要領の悪い私らしい。
そんな風に過ごしてきたから、結婚後は1から家事を学ぶことになった。
何となく台所は母がやっていたことを思い出しながら、それらしく整えた。
お料理はもともと、お菓子類を作ることは好きだったので、何とか料理本と首っ引きでこなすことはできた。
料理の基礎知識はある程度あったが、料理以前に台所用具の管理はズボラだった。
特に肝心要の包丁の手入れが悪く、たまに台所に立つ友人や娘に「全然切れない」と指摘されることが多かった。
最近、いささか自分でも包丁の切れ味の悪さを感じ、砥がなければなあと思ってから、また数ヶ月が経過していた。
今朝思い立ち、早朝から包丁を砥いだ。
刃物を砥ぐのに便利な道具が色々あるようだが、包丁の手入れは砥石を使う事が、私にとって重要だ。それは、父が刃物の手入れを砥石で行っていたからだ。父のやり方が好き、砥石にこだわるのはそんな単純な理由だ。
父から砥ぎ方を教わったことはない。
父は何か作業を始める時はいつも、
「ボーッとしてないで手伝え」とよく叱られた。
一人で行えば良いものを、必ず参加させられる。「あれを持って来い」「そこを押さえていろ」言葉少なに命令する。“あれ”とは何なのか。“そこ”とは何処なのか。説明が少なすぎて、わからずに戸惑って、怒鳴られることもしばしばだった。
それが父流の教育法だった。
“あれ”や“そこ”を推測して動いたり、叱られながら正解を探した。
大人の作業を間近で見ていた私は、様々なことを後々理解し、やり方も何となく見て知っていたのだ。それは、色々親のすることを見る機会を与えてくれた、父のお陰だと感謝している。
20代後半かそのあたりに、地下街の刃物屋さんが、店頭で刃物の研ぎ方を実演していた所に遭遇した。現在使っている砥石は、そこで買い求めた物だ。
研ぎ方を店員さんに簡単に聞いた。
一番知りたかったのは、砥石に刃物を当てる角度。店員さんは「刃物と砥石の間に10円玉が2枚挟まるくらいの角度で」と教えてくれた。また、研ぎ始めると砥石の上にたまる泥状の「砥の粉」、これが刃物を砥ぐのに欠かせない物だとも言った。
店頭の実演用の砥石は、長らく使っていると見え、中央に向けなだらかな曲線にすり減っていた。中央にはトロリとした泥状の砥の粉がたまっていた。
砥石を買う際、仕上げ用の石も勧められたが、持っている包丁が1,000円位の安物だし、そこまで切れ味を求めないのでお断りした。
砥石自体は800円位したのではなかったかと記憶している。
父の持っていた砥石は、長方形の平らな立方体で石そのものだったが、私が買ったものは、砥石にプラスチックの台が固定されている。
滑り止めらしきものもついているが、今では滑るので濡れた布を下に敷いて、固定して使っている。
包丁を砥ぐ事はついつい後回しにしていたので、「あっ、包丁砥がなきゃ」と思い出すのも、夜中になってからという事が多々あった。
今日こそはと意を決して砥石を水に浸し、砥ぎ始める。真夜中のシーンとした時間帯である。「しゃーこ、しゃーこ」と真夜中の台所に、刃物を砥ぐ音が響く。
その音を聞きながら、砥いでいると不穏な気持ちになるのは何故だろう。きっと昔話の「三枚のお札」に出てくる、山姥が包丁を砥ぐシーンが連想されるからだろう。
恐ろしいシーンである。お料理するために包丁を砥ぐのであるが、食材が人間なのだから。
今朝、早朝に包丁を砥いでみたら、心は穏やかだった。何の不穏も感じない。
夜中に刃物を砥ぐのはやめた方が良さそうだ。年齢から言っても、見た目そのまま“リアル山姥”だ。
夕飯の支度の時に、砥いだ包丁で茹でたほうれん草を切ってみた。軽い力でサクッと切れた。切れ味は素晴らしく良かった。
切れ過ぎる包丁を手にして、またちょっと不穏な気持ちを感じて、恐ろしくなってしまった。
切れ辛い包丁は逆に危険だとよく言われるけれど、切れ辛い包丁を使い慣れた私には、その方が妙に安心して刃物を使えるのだった。