仏教思想概要の第2回目のご紹介です。今日は前回の続きで、釈迦仏教の第2章です。釈迦仏教の思想内容が対象です。
第2章 釈迦仏教の思想体系
1.正覚への道と初転法輪
1.1.正覚への道
ブッダ・ゴータマには二つの顔があります。その一つの顔は、思想家もしくは哲人としての面影を宿したそれであり、もう一つは、宗教者すなわちこの新しい道の説法者もしくは伝道者としての顔といえます。
まず、ゴータマはこの二つの顔のうち思想家としての道を進みます。
ゴータマの生地は、カピラヴァッツ(迦昆羅衛)(現在のネパール・タライ地方あたり)サーキャ(釈迦)族(小規模な部族)でした。
かれは、二十九歳で沙門となり、マガダ国、ラージャガハにて道を求めます。
7年に及ぶ求道、課題解決への専念の結果、ついにラージャガハの南西ウルヴェラー村のネランジャヤラー河のほとりのピッパラ樹(以降、菩提樹と呼ばれる)の下で、大いなる解決に到達することを得たのです(=「大覚成就(だいかくじょうじゅ)」)。以降、「ブッダ」(覚者)の称にふさわしいものゆえ、≪ブッダ・ゴータマ≫と称せられることとなりました。
1.2.初転法輪
(1) 「正覚者の孤独」ということ
一つの経によれば、正覚したゴータマは、思いもかけぬ不思議な叙述をしているのです。(下表3-1参照)
ここでは、この新しい思想をいだいたただ一人でいることが、なんとなく不安であると言っているようです。誰ぞ尊敬すべき思想家があるなら弟子になりたいと言っているようです。
ゴータマの得た大覚成就は人間としての最高の喜びに値する、彼のほかに誰一人としていない彼のオリジナリティーに属するものです。しかし、ひるがえってみるに、この新しい考え方をいだいて、この世にただ一人でいることは、心細いのです。
そのとき、ゴータマの心中にひらめいた思いを、先の経では次のように記しています。(下表3-2参照)
すると、この時、梵天が天界に下ってゴータマの前に現れ。合掌礼拝して次のように申したと先の経には記されています。(下表3-3参照)
(2)何故法を説くか
上述の結果、ブッダ・ゴータマが「正覚者の孤独」を克服する道として、彼の前に新しい課題が置かれました。それは説法であり、伝道であったのです。しかし、その課題解決は決して容易なことではなかったのです。
ここでゴータマは躊躇の態度を示します。それは、「何故法を説くのか?」という自己への疑問です。(参照下表3-4)
同経典では、この課題解決への思いが、さらなる自己疑問を呼びます。(参照下表3-5)
ここにはやはり躊躇が見られます。(なお、この経では悪魔説話の形式(*)で語られています。)
この躊躇に対して、この経では突如として梵天が現れ、ゴータマに法を説かんことを勧めるのです。この勧請は三度繰り返されます。(ここでは、梵天説話の形式(*)でみることができます。)
その結果、ゴータマはこう考えます。「人々の中には、塵垢(じんく)におおわれることの多い者もあるが、また少ない者もある。鈍根の者もあるが、また利根の者もある。教えがたき者もあるが、また教えやすい者もある。」と。
彼は、世の人々の種々の相を観察し、そのような人々の姿を見、そして、黙止に傾いていた彼の心は、しだいに反対に傾き、やがて説法の決意はついに成ったのです。
先の経ではそのことを次の偈(げ)をもって表白しています。参照下表3-6)
これを聞いて梵天は、ゴータマが説法を決意したことを知り、直ちに去ったというとこです。
*悪魔説話と梵天説話:説法、伝道という新しい課題に対する2つの立場を示す。前者は、悟りの内容の理解の困難さに対する躊躇、後者は、梵天による説法の勧め
(3)初転法輪と2つの課題
ブッダ・ゴータマの伝道、説法の決意はついになり、以来彼の志向は一変します。もっぱら真理追求者だった彼は、以後、追求して得た真理をひっさげて人々の中に入り、彼らをして真理を知り、真理によって実践する者たらしめることにその生涯の努力を傾けることになります。
この最初の発動を、後代の仏教者たちは「初転法輪(しょてんぼうりん)」と呼んで、師の生涯における四大事の一つに数えています。
この初転法輪に際して、ゴータマの前に二つの課題が提示されます。その一つは、説法の内容であり、いま一つは、説法の対象者でした。
はじめての説法の内容は「四つの聖諦(しょうたい)」でした。これは正覚の思想内容の「縁起の法」とは一見すると相異なるものです。これは、樹下にあったゴータマが、周到に組かえを行い、はじめての説法のために体系づけたと考えられます。
第二の課題である対象者については、いくつかの経典にくわしく記されていますが、結局、彼のかつての友人だった沙門たちに落ち着きます。経の言葉では選ばれた沙門たちを「五比丘(ごびく)」と呼びます。
五比丘はかつてゴータマが苦行に専念していたころの援助者で、苦行の放棄とともにゴータマのもとを去っていった人々です。ゴータマは五比丘に会いに、250kmを遠しとせず彼らのいたバーラーナシー(波羅捺)に向かったということです。
2.縁起とは
2.1.正覚の真相―諸法実相-
ゴータマのヒッパラ樹(菩提樹)下での大覚成就、つまりは「さとり」は、彼の生涯における決定的瞬間であったのです。しかし、いかにして成就されたか、いかなる思想内容であったかは、初期の経典でそれを語るものは非常に少ない。わずかに、正覚の真相をうかがう手掛かりを『ウナーダ(自説経1.1)』の一偈(いちげ)(下表4)にみることができます、
この偈で特に注目すべきは第2句の「かの万法のあらわれるとき」で、これを直訳すると「げに諸法の現れるとき」といった意味になると思われます。ここには、仏教における「真理」の考え方がすばりと語られています。
ここでの真理は、ギリシャの思想家たちの「覆われてあらざる存在の真相」こそ真理であるする立場に近いものがあります。しかし、重要な一点で異なるところがあります。それは、覆われているのは、認識の対象側のことではなく、認識する主体の側の問題であるとするのが、仏教の立場だということです。
ゴータマが菩提樹のもとに端座したとき、もろもろの存在が露々としてその真相を彼の前に現した。それが諸法実相(しょほうじっそう)と称されるところのものです。
2.2.「縁起」の意義と法則性
(1)「縁起」ということばの意義
ブッダ・ゴータマの「さとり」(=正覚)の内容は、「縁起」と表現されました。
縁起とは、《縁りて》+《起ること》つまり何らかの条件があって生起することを意味します。現代用語では「条件的生起」と表現できます。
ここで縁起が真理として成立するには、「普遍的妥当性」を有する法則として確立する必要があります。
そこで後の仏教者達がブッダ・ゴータマの「さとり」に対する表現として、用いた次の用語がその妥当性を唱っています。
《阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)》
中国の経典翻訳者たちこれを《無上正遍知(むじょうしょうへんち)》または、《無上等正覚(むじょうとうしょうがく)》と訳しました。
つまり、《阿耨多羅》(=《無上》)は、最高にして、無制約という意味であり、《三藐三菩提》(=《正遍知》又は《等正覚》)は、普遍的に妥当する知を意味しているからです。
(2)ブッダの「法」における3つの用法
ブッダは、縁起と呼ばれる正覚の内容が普遍的妥当性を有する法則であることの必要性を認識しており、そのためこれを《法》という言葉で語っています。
ここにおいて、ブッダの法はいささか多義的であって、そこには三つの重要な用法があります。
(下表5参照)
これら三者は不可分の関係にあり、そこに仏教思想の特徴が見られるといえます。
2.2.正覚の法則性の公式
(1)二つの公式
ブッダの正覚の内容が法則性のものであるとするならば、それを個々の事物あるいは人生の経験にあてて吟味し、検討しようとするためには、その法則性を一つの公式まで整理しておかねばなりません。
その公式は、いろいろな経典によって二つの部分からなるものであったことが知られています。(下表6参照)
(2)二つの公式と十二支縁起
古来から今日まで仏教者たちが縁起の法を語るとき、まず第一に取り上げられ、熱心に論ぜられるのはいわゆる「十二支の縁起(下表7参照)」と称せられるものです。
ブッダ・ゴータマが樹下でまず把握したものは「縁起の法」でした。それが正覚の内容です。それは、樹下においてさらに「縁起の公式」まで整えられます。それがさらに、人間の有限性にまとう不安にあてはめて考えられた結果として引き出されたものが、十二支の縁起の順逆の二つの系列なのです。
しかし、樹下においてゴータマが考えたものは、十二支というような複雑なものではなく、もっと簡単な、かつ明確なものであったに違いなく、そのことをいくつかの古い経典で知ることができます。(下表7参照)
十二支の縁起は、縁起の系列の中でその最も詳細なものにすぎず、その骨格をなすのは、無知もしくは無明、老死もしくは苦を両端とし、それをつらねるに愛と取(著(じゃく))の中項をもってするものであったのです。かつゴータマがその後の長い伝道、説法においてもたえず活用したのもまたそれであったのです。
*無明:無常、無我といった真理を知らないこと=無知
2.3.縁起の法の基本的性格
一つの経(相応部経典「縁」など)は、あるとき、ブッダ・ゴータマが、サーヴァッティー(舎衛城)の郊外の、ジェータヴァナ(祇陀林)の精舎にあって、比丘たちのために縁起の法を語ったことを記しています。ゴーダマが縁起の法の本質を真正面から取り上げることはきわめて稀なことでした。
ここでもまた、その法を説明するために取り上げられている命題は、「生があるから老死がある」など、縁起の法を人間存在のうえにあてて導き出された命題であったのです。つまり、ゴータマによって悟られた法は、本来、人間存在を含めた一切の存在の法則性としての法であったのです。(「存在論」といえるもの)
ブッダは比丘たちに対して、縁起の法なるものの性格について、以下のきわめて重要な三つことを語っています。(下表8参照)
(参考) 哲学における「存在論」の三つの型(下表9)
3.「無常」と「無我」
3.1. 「無常」と「無我」の意義
(1)「無常」と「無我」の登場
ブッダによる、初転法輪(最初の説法)の内容はいわゆる「四諦(したい)説法」と称せられるものでした。「無常」「無我」の二つの教えが説かれたのは、初転法輪後の五比丘の受戒のあとに、説かれたものでした。(相応部経典、22.59「五群比丘」、他)
その目的は、人間存在の真相をはっきり把握しておくことが、この道の実践上不可欠のためであったのです。
(2)五蘊による人間存在の分析
ブッダは、人間存在の分析を五つの要素(漢訳で五蘊(ごうん)、肉体的要素:色(物質)、精神的要素:受(感覚)、想(表象)、行(意志)、識(意識))に分けて行いました。
これらの五つの要素について「常」なるものかを一つ一つ吟味していったのです。
(例:下表10、「色」について)
同じ問答が他の四要素についても繰り返され、その結果《無常》《無我》の二つの術語が打ち出されたものと思われます。
3.2.ブッダにおいての「無常」位置づけ
(1)「無常」は人間存在に即して語られた
ブッダは、世界は常住か「無常」(「常」なるものでないという意味)問いに対する答えを拒否したということです。それは、断定が出来ないからだったと思われます。
ブッダは、人間存在にぴったり焦点を当てた時のみに「無常」について説いているのです。
先の五蘊についてと同じような問答が、六処(六根(眼、耳、鼻、舌、身、意、の六つの感覚)と六境(色、声、香、味、触、法、の外なる六つの対象))についても行われています。そして全てが「無常」と説いているのです。
(2)「諸行無常」の意義
前述のように、「無常」という語彙は、人間存在にぴたりと焦点があてられた時、はじめてブッダ・ゴータマによって用いられるものとしなければならないものです。このことは、初期の仏教者たちによっても、はっきりと把握されていたと思われます。
その証拠との一つは、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という有名な一句です。
ここで「行」とは、「有為法(ういほう)」と解釈され、それは、単なる自然世界の出来事ではなく、人間の意志、感情、いとなみにかかわるものを意味しています。
つまり、ブッダが「無常」といい、「苦」といい、「無我」と言っているのは、そのような有為の世界についてのことなのです。
このことから、「人は「縁起」の世界に住みながら、「常」に変化しないことを望む→(ゆえに)「無常」を説く。「楽」のみ欲する→(ゆえに)「苦」を説く。「我」(=移ろうことなき自己の所有と存在)に執するが故に→(すなわち)「無我」を説く。」のです。
一つのきわめて短い経(相応部経典、一、二、「歓喜園(かんぎおん)」、他)は、神話的構成の中に、以下の二つの偈を対置しています。(下表11参照)
つまり、古き宗教者は「変易することのない、快楽の世界を死後に約束する」のです。
これに対して、新しい思想家のブッダは「生滅をもってその性となすゆえなり」の世界にあって、人はむしろ、かかる生滅で裏切られるのであるから、自己の確立することが必要と説いたのです。
そして、そのためには、そこにもう一つの「無我」を登場させなければならないのです。
3.3.「無我」の意義
(1)「縁起」「無常」「無我」の関係
「無我」について考えるとき、まず「縁起」ならびに「無常」と「無我」の関係を明らかにしておく必要があります。ゴータマが菩提樹の下で正覚したのは「縁起」にほかならないのですが、その縁起の法を離れて、別に「無常」あるいは「無我」という原理があるわけではありません。「無常」あるいは「無我」という語彙が新たに生まれたのには、観点が違ってきたということなのです。その点を整理すると以下のようになります。(下表12参照)
(2)自己否定を意味しない「無我」
一般的に「因縁」という言葉が、特に日本の仏教者によってもっとも誤った解釈をされた語彙として存在します。「我を抑える」とか、「我をなくする」とか解釈する者もある語彙であるのです。しかし、「無我」という言葉は、本来、自我そのものを否定するような意味は全くないのです。つまり、ブッダは自我を圧殺せよとか、自己を忘却せよとは説いていないのです。
仏教は本来、人間形成、自己確立を説く宗教であり、一つの例としてブッダは、死に際して「自帰依(じきえ)」「法帰依(ほうきえ)」を教えています。
「自帰依」:自分を拠所(よりどころ)とすること(拠所を島を意味する《洲(す)》表現する)
「法帰依」:縁起の法を拠所とすること
つまり「無我」で否定しているのは、主体としての自己そのものではなく、「自我に関する固定的な観念(その時代の常識、思想の世界を支配していた)」の否定のことなのです。
「無我」に関して、ブッダは以下の三点について否定しています。(下表13参照)
以上をまとめると、以下のように整理できます。
縁起の法則より、
↓
無常の命題(のちの「諸行無常」)が打ち出され、
↓
また、無我の命題(のちの「諸法無我」)が導き出された。
本日はここまでです。次週は「釈迦仏教」の第3章として、「釈迦仏教の実践」のご紹介です。
仏教思想概要1「釈迦仏教」については次回が最終回です。1週間ほどお待ちください。
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