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仏教思想概要4:《唯識》(第3回)

2023-07-22 08:38:37 | 04仏教思想4

(府中市郷土の森公園・修景池のハス      6月21日撮影)

 

 仏教思想概要4《唯識》の第3回目です。
 前回は唯識思想の思想背景として「観念論の系譜」をみてみましたが、本日は唯識思想の元となったとも言える「瑜伽行(ゆがぎょう)」について取り上げます。

 

2.2.瑜伽行

2.2.1.ヨーガの成立・発展と瑜伽行派との関係
(1)ヨーガの成立と古典ヨーガ
 唯識学派は「瑜伽行派(ゆがぎょうは)」とも呼ばれます。つまりヨーガの実践(瑜伽行)がこの学派の性格を特徴づける名称となっているのです。
 ヨーガとはインドの古くから行われていた精神統一のための実修法で、その成立は紀元前三~四世紀に成立したウパニシャッドからとなります。(『カタ・ウパニシャッド』『シュヴェーターシヴァタラ・ウパニシャッド』『マハーバーラタ』などにみられます。)
 ヨーガには厳しい苦行を強調するものもあらわれますが、正統派は「古典ヨーガ」と呼ばれ、パタンジャリを始祖とするサーンキャ哲学と密接に結び付いたヨーガで、五世紀ごろ『ヨーガ・スートラ』が編纂されました。
 『ヨーガ・スートラ』の主題は「心のはたらきを滅すること」で、「八種の実修法」(表8)が認められます。

(2)古典ヨーガと仏教の止観との関係
 ヨーガの行法は仏教にも古くから取り入れられており、原始仏教時代からの「戒(かい)」・「定(じょう)」・「慧(え)」(仏教の三学)が比丘の修めるべき要諦とされていました。八種の実践法とは上表8のように結びつきます。
 ここで止心と観察(*)とは、仏教の修道においてつねに重要視され、三学の定と慧にあたります。この止心と観察が「ヨーガ」という語であらわされているのが、瑜伽行派の論書の中に認められます。『大乗荘厳経論(だいじょうしょうごんきょうろん)』や『解深密教(げじんみっきょう)』(六章「分別瑜伽品(ぶんげつゆがほん)」)などが相当します。瑜伽行派とは止観の実修を重んじる学派と理解してよいのです。

*止心:外界の対象に向かう感官を制御して心のはたらきを静める。
 観察:静まった心に対象の映像をありありと映し出す。

(3) ヨーガの階梯
 瑜伽行派の名称の由来を止観の重視に求めることは、止観は仏教のどの枝派でも重視するため無理があります。ただ、唯識派が止観の実修を骨格とする菩薩の修道の体系のことを「ヨーガの階梯」と呼んでいることには注目に値します。「ヨーガの階梯」という語は、『大乗荘厳経論』の「真理(ダルマ)の探究」章(漢訳:「述求品(じゅつくぼん)」)にみられます。(表9)

 ヨーガの階梯は、止観とも結びついており、また、大乗の菩薩の修習の階梯(「五位」)にあたります。同様の階梯は、倶舎論(賢聖品)の修習の階梯にもみられます(但し、倶舎論では最終段階を「阿羅漢」としている)。

2.2.2.瑜伽行派の成立
(1) 瑜伽師と瑜伽行派の形成
 『大毘婆沙論(だいびばしゃろん)』や『倶舎論』に「瑜伽師」と称せられる人々が登場します。彼らは、アビダルマの煩瑣哲学とは別に実践的関心を強くいだき、修道を明らかにすることに専心した比丘たちでした。
 また、煩瑣哲学とは関係なく、もっぱら修習の要諦のみを説いた『達磨多羅禅経(だるまたらぜんきょう)』や『修行道地経(しゅぎょうどうじきょう)』などがアビダルマ時代に存在していました。これら二経の原名は「瑜伽行地」であり、またマイトレーヤの『瑜伽師地論』も同じ原名の著作です。そのことから、唯識思想が瑜伽師系の人々によって形成されたと推察されます。
 特に『華厳経』の「三界は心のあらわれである」という思想を体験的に理解した人々により、唯識観という観法が生み出され、それが理論化されたのが唯識説であったと考えられます。
 『瑜伽師地論』は、修習の十七階位(十七地)を説く論書で、「菩薩地」(漢訳:『菩薩地持経』『菩薩善戒経』)はその中でも特に重要部分です。『瑜伽師地論』にも煩瑣な法門の分類なども多く見られますが、それらは実践体系の中に組み込まれ、哲学と実践はこの書において相即(事物の働きが自在に助け合い融け合っていること)しているといえます。

・『瑜伽師地論』の修習の階梯(表10)

 唯識学派が瑜伽行派と称せられるのは、このような修習の階梯を踏んで、実修と相即させつつ哲学的考察を深めていくことを、その特色としたからと思われます。

(2) 根源的思惟の階梯
 先述の「ヨーガの階梯」(表9)は、唯識体系における哲学と実践の相即を端的に示しています。 「唯識とは、ただ表象あるのみで、外界のものは存在しない」という論理は、ヨーガの階梯の五位の「加行道(けぎょうどう)」すなわち「根源的思惟」の階梯(ヨーガの階梯2.「安置」、大乗の加行道の階梯)で理解されます。
 ヨーガの階梯1.「容器」の教えは、仏が体得した言語で表現しえない真理を指示する「標識」にすぎないものです。その真理を理解するためには仏の体験を追体験する必要があり、この追体験に至る過程が「根源的思惟の階梯」です。

・根源的思惟の階梯(表11)

 ここで、「随法行」は先述のヨーガの階梯の第3から5の階梯にあたり、この「随法行」こそが、仏の体験の追体験であり、その修習を通じて菩薩はみずから仏であることを証するのです。

(3) 唯識思想と瑜伽行
 以上で、唯識思想は止観の修習を骨格とする「瑜伽行」と密接に結びついていることが明らかにとなりました。止観は瑜伽行派の体系における五位と関連し内容的に深められていますが、五位を説いていない『解深密教』においても、止観はいくつかの段階に分けられています。(詳細は省略)
 ここで止観の対象とされるのは、真理の世界から流れ出た教えで、具体的には十二分教(無常・苦とか、縁起とか、五蘊・十二領域・十八要素)のことです。さらに、大乗仏教では、「七種真如(しちしゅしんにょ)」(ことばで表現できない空の真理をあらわしたもの)も教えの内容とされています。
 唯識学派はこれらすべてを、瑜伽行に即した独自の観点から次の基本教理にまとめました。それが「アーラヤ識」と「三種の存在形態」です。
 以上は以下のように整理することができます。(下表12参照)

 つまり、唯識思想体系の理解そのものが、「ヨーガの階梯」の修習、すなわち「瑜伽行」であるのです。

 

 本日はここまでです。次回より「第2章 唯識思想の中核」として、唯識思想の本論に入り、次回は「実在論と唯識思想」について取り上げます。



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