SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

仏教思想概要3:《中観》(第3回)

 「仏教思想概要3:《中観》」の第3回です。
 前回の第2回までで、第1章として、中観派の発展の歴史、続いて中観思想の基となった『般若経』を取り上げました。
 今回からいよいよ第2章の中観派の思想そのものについて触れていきます。今回は、中観派の創始者であるナーガールジュナの思想をみてみます。

 

第2章 「中観派」の思想

1.ナーガールジュナの思想

1.1.ナーガールジュナの思想の基本的立場

1.1.1.『中論』における「最高の真実」とは

 ナーガールジュナの主著『中論』とは一言でいえば、『般若経』の神秘家が見出した最高の真実の上に立って、区別の哲学を批判する書物と言えます。
 その『中論』において、ナーガールジュナの考える最高の真実とは何か?は、第十八章の詩頌の中にみられます。
 この章は自我の考察から始まっていますが、空の問題・ものの本性の問題・真実の定義・縁起の問題・真理の永遠性などに議論は展開していて、中観哲学の基本的立場をよく反映しています。
 ナーガールジュナはこの章で、『般若経』の三つの三昧(さんまい:空・無相むそう・無願むがん)を念頭に置きながら、瞑想により得られる神秘的直観の世界の真実を記述しようとしたと思われます。

 

1.1.2. 自我の否定

ナーガールジュナは、『中論』十八章の最初の四つの詩頌で、自我について説いています。
(下表6参照)

 この四つの詩頌によって、徹底的に自我意識を離れ、解脱の主体すら存在しないと説いています。人の執着の根源(自我への執着)を断つ、無執着の境地を説いているのです。つまり三つの三昧のうち「無願三昧」に言及しているのです。

(参考)仏教の四種の執着(表7)

 我語取(自我への執着)が基本で、これが断てれば、他の三取の執着も断つことが出来る。

 

1.1.3. 中観哲学独自の存在論

 『中論』の最初の四詩頌において、無願三昧に言及しているのに対して、第五詩頌以下で、空・無想の三昧について言及しています。
 宗教的な無執着の境地というものが、ただ宗教者の心理的状態というものにとどまらず、その存在論的な直観、認識論的な立場にもとづいているということを、ナーガールジュナは次に示そうとしているのです。
 徹底的に自我意識を離れ、解脱の主体すらも存在しないといいきるためには、そこに中観哲学独自の存在論がなければならないからです。
 それは、中論第十八章、第五、七、九詩頌に見ることができます。(下表8参照)

 古代インドの哲学者たちの思想は、知的活動、心情的活動、意志的活動を別なものと考える現代のわれわれとは違う考え方をしていたのです。
 つまり、知的活動(思惟)の結果、心情的な煩悩や意志的な行為が生じると考えたのです。

 

1.1.4. 分別から神秘的直観の世界へ

 ナーガールジュナは、「思惟」(原語:ヴィカルパ、漢訳:分別)は「ことばの虚構」(虚構:原語:プラパンチャ、現代語訳:言語的多元性)で起るとしています。
 人間の思惟は、実在とは無関係な虚構にすぎない「ことば」にもとづいているとしているのです。
 ナーガールジュナは、ことばを本質とした認識過程を倒錯だと考え次のように説いています。
→「思惟・判断から直観の世界へ→その結果、ことばを離れた実在に逢着(ほうちゃく)する=空の世界である。→空性はことばを離れた直観の世界の本質である。」と。

 

1.1.5. 合理主義と神秘主義の一体化

(1)インドの宗教や哲学における合理主義と神秘主義の関係

 『般若経』やナーガールジュナの瞑想の世界を神秘的直観と呼んできました。しかし、合理主義と対立する意味での神秘主義も、神秘主義的な要素をまったく含まないような合理主義も古代インドの哲学や宗教の中には存在しなかったのです。それは、インドの宗教や哲学が原則的には、人間の救済の原理を情緒的なものではなく、知識に置いていたということにもとづいています。
 神秘的な瞑想のめざすところは、人間を救済しうる「知識」であったし、合理的な知識が人間を救済するためには、神秘的な体験を必要としたのです。

 

(2)ナーガールジュナの思想展開

 ナーガールジュナはむしろ合理的な思惟を批判していった極限において、その合理性の根源に横たわっている非合理性、無知に気づく事で空の世界に入っていったのです。
 人間の無知を自覚させ、合理的な思惟の非合理性をあらわにする意味で、空性の知は神秘的であるのです。
 このような神秘性と合理性の転換が、「不二・一体の思想」に導いていくこととなりました。神秘的な直観の世界はそれ自体言葉や思惟の多元性を越えた全一なるもの、分けられないものであるとともに、それと対立している合理性の世界の根源にあるものであり、それと区分されないものであるのです。

 

 本日はここまでです。次回は、「空の理論」を取り上げます。

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