(神代植物公園の梅園にて 2月8日にて)
第2章 空海の仏教思想・中核
1.曼荼羅の世界
1.1.大生命の世界を開く-金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅-
1.1.1. 曼荼羅とは何か
(1)空海の著作より
空海の著作に『秘密曼荼羅十住心論』『秘密曼荼羅教付法伝(きょうふほうでん)』があります。ここで、秘密曼荼羅すなわち密教の秘密の世界を開顕したものが曼荼羅であることが知られます。密教とは曼荼羅を説く教えだということができるのです。空海は真言密教を「秘密曼荼羅教」とか「秘密曼荼羅法教」と呼びますが、それは当然といえるのです。
(2)曼荼羅の語源
言語は「maṇḍala」によります。それは、紀元前1000年ないし、1500年ころ成立した最古のバラモン聖典『リグ・ヴェーダ』のなかで、巻(chapter)を意味する語として用いられています。
密教で使われるものには「道場」、「壇(だん)」「輪円具足(りんえんぐそく)」「聚集(じゅじゅ)」などの訳語があります。訳語の意味は以下(表17)に由来します。
(3) 曼荼羅の教えるもの
空海は密教の教えは奥深く言語で表現することは困難であるから、かりに図画をもって密教の大生命の世界をまだ知らない人々に示すとしています。
曼荼羅は仏教芸術の結晶であるといわれています。宗教的真理を芸術的に造型化し、そうした芸術的な視覚にうったえる表現の世界において、密教に固有な価値体系の実現をはかっているのです。
曼荼羅は、万有一切あらゆる存在がそれぞれ固有な宗教的人格をもって現わされています。それは大日如来という絶対者の顕現した姿であるとともに、大日如来はいっさいの存在を包摂しながら超越しているところのものであるのです。
さらに空海の普遍的な統合主義を標榜する真言密教がいかにして可能であるか、諸思想に認められた多元的な価値を統一する原理として、いかなる論理的な構造をもった体系が考えられるか、それに答えているものが曼荼羅であるのです。
(4)金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅と「理智不二」
既述のように、六大のうち物質的世界は絶対の理法を象徴する「胎蔵曼荼羅」の理法身の大日如来によって、精神的世界は完成された知恵を象徴する「金剛界曼荼羅」の智法身の大日如来によって表現されています。また、金剛界は男性的原理、胎蔵は女性的原理にもたとえられます。
絶対の理法と完成された知恵とは究極において一者であること、これを「理智不二(りちふに)」とよび、理知不二の世界が真言密教において説かれる大日如来の大生命の世界にほかならないのです。
1.1.2.胎蔵曼荼羅
(1)胎蔵曼荼羅とは
胎蔵曼荼羅は詳しくは「大悲胎蔵法(だいひたいぞうほう)曼荼羅」または「大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅」と呼びます。「胎蔵」とは母胎という内蔵するものの意味で、内につつみこんで保持しているものということです。
つまり、すべての生きとし生けるものは、絶対者の本体すなわち理法をもともとみずからの内部に所有しているものであり、その知恵のはたらきをまってやがて仏性として開顕されるとしているのです。
この胎蔵の理法は大悲すなわち仏教者の限りなき偉大な愛、慈悲である。知恵がそうした慈悲となって現われるとともに、その慈悲のはたらきによって知恵が完成されるのです。
(2)胎蔵曼荼羅の基本構成
胎蔵曼荼羅は十三のグループから構成されています。これを十三大院といいますが、現図では、第十三の四大護院を欠き、十二大院となっています。
一、中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)
二、偏知院(へんちいん)
三、観音院(かんのんいん)
四、金剛手院(こんごうしゅいん)
五、持明院(じみょういん)
六、釈迦院(しゃかいん)
七、文殊院(もんじゅいん)
八、徐蓋障院(じょがいしょういん)
九、地蔵院(じぞういん)
十、虚空蔵院(こくうぞういん)
十一、蘇悉地院(そしつじいん)
十二、外金剛部院(げこんごうぶいん)
十三、四大護院(しだいごいん)但し、図からは欠けている
(図1 胎蔵曼荼羅基本構成)
(3) 中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)の構成と意義(表18-1)
(図2-1 中台八葉院の配置図 (Wikipediaより))
(4)偏知院(へんちいん)以下の形態(表18-2)
(yahoo画像検索にて)
(5)胎蔵曼荼羅の仏尊の分類
現図の胎蔵曼荼羅は前後が四重、左右が三重となっており、「四重円壇(しじゅうえんだん)」とよばれます。また大日経の説では、前後も三重となっているとしています。この様相は外金剛部院より中台八葉院への近接、さらに大日如来への到達、また逆の方向をたどることもでき、絶対者大日如来とわれわれとの間における遠心性と求心性との関係を明らかにしているのです。
胎蔵曼荼羅の総計四一四の仏菩薩は以下(表19)の三グループに分けられます。
蓮華部と金剛部は相互の因果関係があり、本来一つのものという関係において成立しています。そしてそれを成立させている基本は仏部です。また、外金剛部は三部の法を守護しているのです。
1.1.3. 金剛界曼荼羅とは
「金剛」とは、大日如来の完成された知恵を堅固不壊の金剛石にたとえたものです。永遠に滅びることなき認識、また無知なわれわれの迷いを破るはたらきをもつので、同じく金剛石の堅牢さにたとえられています。
「界」は限界の意味で、差別を表わします。われわれの個別的な知恵も究極において絶対の知恵につながっているが、その絶対の知恵は個別的な知恵となって現象しているところから、名づけられたものです。
(1)金剛界曼荼羅の構成
金剛界曼荼羅は九つのグループに分けられ、通常これを九会曼荼羅(くえまんだら)とよびます。(下図3-1)
(2) 羯磨会(一)の構成と意義(表20-1)
(羯磨会、智拳印 下図3-2 )
(yahoo画像検索にて)
(3) 三摩耶会(二)以下の構成と意義(表20-2)
*五鈷:五鈷杵と同じで金剛杵の一つ。金剛杵(こんごうしょ、梵: वज्र vajra, ヴァジュラ、ヴァジラ)は、日本仏教の一部宗派(天台宗・真言宗・禅宗)やチベット仏教の全宗派で用いられる法具。仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心(悟りを求める心)を表す様を、インド神話上の武器に譬えて法具としたものである。
(4)金剛界曼荼羅のまとめ
以上のうち一~四は動的な宗教的世界の様相を示しています。
また、羯磨会から降三世三摩耶会(一.→九.)(図3-1、(一)→(九))の展開は、大日如来がわれわれの住する世界に展開し、「われ」と絶対者が出会うし方を、絶対界より相対界に向かう下向的はたらきにおいてしめしたものです。
これに対して、降三世三摩耶会から羯磨会(九.→一.)(図3-1、1→9)の展開は相対界より絶対界へ向かう向上的なはたらきを示しています。
さらに、金剛界の一四六一尊は以下の五つのグループに分類できます。
①仏部
②蓮花部
③金剛部
以上①~③は胎蔵曼荼羅に同じ
④宝部:限りない福徳をたたえたもの
⑤羯磨部:慈悲のはたらきの結果、あらゆる事業(はたらき)を完成させることができることをたとえたもの
1.1.4. 胎蔵曼荼羅、金剛界曼荼羅のまとめ
(1)四種の曼荼羅
次に図画したものを形象曼荼羅(ぎょうぞうまんだら)といい、これには四種あります。一般に四種曼荼羅と呼びます。(下表21)
(2)まとめ
前述のとおり、金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅とは絶対者である大日如来の知恵と理法との世界を幾何学的な様式によって芸術的に表現し、それによって絶対者の人格がわれわれの住んでいる迷いの衆生界とどのようなかかわりをもっているか、ということを明らかにしているのです。
密教の真理は、究極的にわれわれが宗教的な最高の自覚に到達することが、原理的にも実践的にもいかに可能であるかということを教え示しています。したがって、曼荼羅世界の本体であり、万有一切をもって象徴するところの大日如来は、もちろん、われわれの現象的な迷いの世界とは次元をいちおう異にする世界でありながら、煩悩にみちみちた矛盾葛藤の現実世界さながらに、その世界を通路としてのみ至るうる世界であるのです。それゆえ、空海が明言しているように、いままでのべてきた曼荼羅世界は、われわれ凡夫の心の世界の真実の相を開示したものであり、その意味において深秘の大生命の世界である仏界の秘密を明らかにしているものであるということができるでしょう。これは要するに曼荼羅世界は大日如来に包含されているあらゆるものの種々相なのです。
このようにみるならば、曼荼羅は美しいたんなる仏の世界ではなく、この世におけるあらゆる人間の種々相を示したものであり、われわれの心の実相の縮図であるといわなければならないでしょう。
1.2.曼荼羅世界の実現
恵果は胎蔵旧図(善無畏、不空金剛系の曼荼羅)を改めて現図胎蔵曼荼羅を考案したのですが、空海はその恵果直伝の胎蔵曼荼羅図と、金剛智系の『金剛頂経』に説く金剛界曼荼羅を、わが国にはじめて請来したのです。これら二つの系統の曼荼羅図をまとめて両部という体系をつくりあげたのは、おそらく恵果ではなかろうかといわれていますが、空海がそれを継承し発展させたことはあらためていうまでもないでしょう。
さらに、空海は曼荼羅をけっしてたんなる教理的な理念にとどめることなく、地上に造型的に実現したのです。その実例が高野山と東寺であるのです。
1.2.1. 高野山伽藍の曼荼羅構成と東寺講堂の羯磨曼荼羅
(1) 高野山伽藍の曼荼羅構成
高野山は修行者たちの修行の道場として開創したものです。開創の勅許は弘仁七年(816)、完成は仁和三年(887)頃です。伽藍は曼荼羅世界を表しており、同時代に建立した国内及び中国の寺院にもその例をみない、空海独自の造型でした。
・各伽藍の内容(表22)
(図4 高野山伽藍構成図 )
諸尊像は木彫であり、平安初期の密教美術を特徴づけているものといわれていますが、高野山は特にこの感が深いといえます。現在残る写真で見る講堂安置の諸像はインド風のエキゾチックな像容を示しています。顕教では仏の住む国土は現世とかけ離れたものであって、奈良朝に至るまでのものはそうした顕教の理想をよく表現しています。その点、空海の密教像はそれとは異質で、より人間的、むしろ人間の心の中にある仏(自心仏)を表現しているのです。
(2)東寺講堂の羯磨曼荼羅
鎮護国家の修法をおこなう官寺として造営された東寺の伽藍配置は密教的表現をとっていませんが、講堂の諸仏は金剛界曼荼羅の五仏を中心に羯磨曼荼羅が組まれています。
しかもその様式は『仁王経(にんのうきょう)』と『金剛頂経』とにもとづき、空海の独創的なものであるのです。全体構成は鎮護国家の根本道場を意味しています。
(二十一尊曼荼羅 表23)
(3)高野山と東寺の役割比較
真言密教の理想とするところを「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」ということばで表します。一方みずからのさとりを求めるとともに、他方において衆生をどこまでも教化するという意味があります。この密教の理想を高野山と東寺の比較にみることができます。(下表24)
これらの二面性を総合統一する次元に立っているのが空海であったのです。つまり現実において真言密教の総合主義の立場が打ち出されているのです。
1.2.2. 絢爛たる密教芸術-色彩文化を生み出した密教、曼荼羅文化
日本の密教造型は、空海以前で一応の完成域にあったと美術史家はみていますが、全体的な統一を企画したのは空海でした。しかもその根本理念は曼荼羅精神であったのです。
曼荼羅は図画の曼荼羅に限らず、仏像、仏画、仏具、法具、堂塔伽藍、梵字、梵文、経典などに及び、仏教文化は絢爛たる曼荼羅文化、きらびやかな色彩と形態の美のなかに密教の真理がひそみ、密教の真理は美的表現によって伝達されているのです。
(例『請来目録』にみる密教真理の美的表現の意義 表25)
密教が生んだ色彩の文化は、従来日本文化を代表するとされる禅の所産である水墨画や俳画に見られる無色彩の文化と対比することができます。
本日はここまでです。
次回は「2. 主著『秘密曼荼羅十住心論』」、「3.自己を完成する-真言密教の実践」を取り上げます。
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