(神代植物公園のダリア:昭和小町 10月17日撮影)
『今朝の天気』
(6:45頃)
もう1週間ほど経っていますが、10月19日で一人暮らし一周年を迎えました。
妻は今、介護施設でお世話になっています。
今日のお話は、「介護」「終活」のお話です。楽しい話は全くありません。ご興味のない方は、どうぞ、綺麗なお花の写真だけ観ていただいて、「いいね!」を押して、離脱いただくことをお勧めします。
ということで、今日は、ちょっと重たいお話ですが、個人的に一つの区切りをつけたいことと、ある意味時代を反映した内容ですので、ご参考にしていただけるかと思い、少し長い内容になりますが、整理してみました。
妻は、認知症で、現在要介護3の認定を受け、昨年の10月19日からグループホームと言われる介護施設にお世話になっています。
ということで、これまでの状況と、これまで行ってきた今後への準備内容を、今日は項目ごとにご紹介していきます。
(あみちゃん)
◎妻の認知症
妻の認知症の兆候は数年前からあったように思えます。「何か変だな」と思ったのは、話をしていて突然言葉が出てこないという症状でした。名前が出てこないということは、年齢とともによくあることですが、それとは違い、簡単な用語が出てこなかったのです。常にではありませんが、時にあったのです。もっとも、普段の生活で特別に困ることはなく過ごしていました。
認知症が進行した原因は2つほど考えられます。一つは4年半前に女性特有の病気で手術、3週間入院したことがあげられます。退院後、家事をほぼしなくなったのです。もともと、家事は、私の引退後二人で分担してやっていたのですが、退院後は洗濯以外何もしなくなりました。
もう一つの要因はやはりコロナです。もともとお家大好き人間でしたのが、コロナで全く外出しなくなりました。コロナ前からのことですが、散歩をするように言っても、全く応じませんでした。
そして、認知症の症状がそれなりに目立って来たのが3年ほど前からです。具体的には、機器類の操作が上手くできないということでした。TVのリモコン、電子レンジの操作などです。2年前にはほぼできなくなっていました。
それでも、病院や美容院などは一人で何とか出かけていたので、私としては家事をしていれば、特別に困った状況でもありませんでした。
(コーラル・ルージュ)
そして、2年前(令和3年)の8月だったと思いますが、都心に通っていた病院から電話があったのです。「奥さんが院内でウロウロしているので、次回はご主人もご一緒ください。」というものでした。そして、9月の通院で、先生から、認知症の検査を勧められ、自宅近くの病院を紹介されたのです。
早速、同月のうちに、近くの病院の「ものわすれ外来」を予約、診断を受けたのです。MRIの検査や先生の問診を受けて、結果は「前頭側頭型認知症」という難しい名前の認知症で、一般的に知られているアルツハイマー型とは違い、脳の前頭側頭の一部が委縮して機能が失われているものです。この頃には会話が上手くできなくなっていましたが、結果として、「失語症」という症状になっているという説明でした。アルツハイマー型違って、投薬による進行防止などは期待出来ない認知症です。
(コーラル・ルージュ)
◎介護認定、そして介護施設・デイサービスへ
診察結果で、先生より介護認定を受けることを勧められました。良かったのは、その病院では診察だけでなく、その後のサポートの充実していることでした。市役所へ出かけることもなく、サポート組織の人が認定手続きなどを指導してくれたのです。
指導結果で、市の介護サポートセンターに電話、介護認定の手続きをし、10月末に介護認定を受けることが出来ました。判定結果は2週間ほどで出ました。「要介護1」でした。
11月(令和3年)に入っていました。認定結果を受けて、今後の介護の方法などを指導してくれるケアマネジャーが決まりました。天地(仮名)さんというとても明るくて、元気づけられる女性でした。
介護認定もそうでしたが、こちらからサポートセンターなどへ出かけていく必要は全くなく、天地さんもいつも自転車で訪問して来てくれました。
要介護1とはいえ、当時妻は長時間歩くのは無理でしたが、室内の移動程度は全く問題なく、身の回りのことも自分で出来ていました。家事も自分の物だけですが、洗濯は自分でしていました。
ということで、天地さんと相談の上、まずは「デイサービス」を利用することとし、早速2施設の見学をしました。
デイサービスは日帰りで、要介護者の見守りをしてくれる施設です。体操したり、ゲームをしたり、入浴のサポートもしてくれます。規模は大小ありますが、選んだのは、妻の性格を考えて、10人程度の小規模の施設でした。食事は500円と安価で、昼食(3時のおやつ付)と夕食も頼めました。
サービス時間は、朝9時に自宅に車で迎えが来てくれ、夕方6時には帰宅となります。このため、週に2日、9時間の自由時間が私にできることとなりました。
ということで、令和3年12月の中旬から週2日でデイサービス通いがスタートしました。
順調にスタート、かといえばそうでもなく、それなりに苦労しました。基本、本人は行きたくって行っているのではないのです。「今日は行かない」というので、なだめて行かせる日も時々あったのです。
年を越えて令和4年に入って、次第にデイサービス利用も定着し、介護生活は安定してきますが、認知症の方はわずかづつですが、進んでいったように思います。会話はまともには出来なくなっていきました。
ある日、私が買い物から帰ると、自宅に天地さんがいたのです。話を聞くと、妻が近くのお店で保護され、警察から連絡があったので来た、ということでした。これまで、私の留守中に外に出ることはなかったのですが、この日以来、デイサービスの日以外は外出も難しくなりました。
そこで、デイサービスの日数を週2日から4日に増やすことにしました。さらにこの施設では日に3人までの限定で「お泊り」も可能だったため、週に2日はお泊り日とすることとしました。
このため、なだめる回数も多くなりましたが、私の自由時間も多くなりました。
そうそう、古いお仲間はご存知のことですが、私たち夫婦には子供はいません。近所に義姉がいますが、年齢は90歳を越えています。ということで、妻の介護が出来るのは私一人、この時妻は69歳でしたが、いわゆる老々介護ということです。
(ワイングラス)
◎入院そしてグループホームへ
週4日のデイサービス利用、2日のお泊りで、私の自由時間も増え、しばらくはこんなペースでの生活が続くのだろう、と思っていたのですが、そうはなりませんでした。7月に入り妻が時々体調を崩すようになったのです。
7月、8月と水中毒でお世話になっている近くの病院に救急搬送、この時は、夕方には落ち着いてその日の帰宅とはなりましたが。そして、9月、朝、妻の部屋に行くと、また水中毒の症状で体中から汗をかいてぐったりとしていました。再び近くの病院に救急搬送です。
しかし、この時は当日帰宅とはなりませんでした。心電図に異常があったのです。そこで夜に専門病院に搬送、カテーテルの検査で、「タコつぼ型心筋症」との診断結果が出たのです。
タコつぼ型心筋症とは、心臓がタコつぼのような形に変形する心臓病で、心臓病としては軽度のものです。悪化する危険性もありますが、通常1週間程度の安静で、普通の生活が可能になる心臓病との説明でした。
ということで、近くの病院に戻されて、入院となりました。
入院から1週間ほどで心臓の方は安定、退院可能とのことでした。しかし、歩行が困難になっているので、そのリハビリをした上で退院としたいと先生に言っていただき、結局入院は3週間となりました。
入院中は面会は出来なかったのですが、様子を聞いてみると、歩行のリハビリはある程度進んでいるが、トイレなどの身の回りのことが自分一人では出来なくなっている、とこことでした。
そこで、病院の方から、退院後自宅での介護は一人では難しいので、老人ホームなどの施設への入居を提案されたのです。
デイサービス利用中も、月1でケアマネジャーの天地さんに妻の様子の確認をしてもらい、今後の介護方法を相談していました。その時も、身の回りのことが自分一人で出来なくなった時には、グループホームに入れることとしていました。グループホームはいわゆる老人ホームの一種ですが、認知症患者に特化した介護施設です。
そこで、天地さんにも手伝ってもらい、空きのある市内の施設を調べて、早速下見をして妻の入院中に入居先を決定しました。入居先の責任者にも妻に会って様子を確認してもらいましたが、受入問題なしとの結果でした。
入居先施設とも調整、退院は10月10日に決定、退院と同時に入居と決めていました。決まってから入居まで10日ほどでした。それから急いで入居用の妻の荷物の準備などを終え、さあ退院・入居となるはずでしたが、そうはなりませんでした。
入居先の責任者が体調を崩して、入居の受け入れが出来なくなったのです。退院日は変えられないので、仕方なく、入居可能な日まで一旦自宅に引き取ることとなりました。
(ミス・サマー)
結果として、入居日は10月19日になったのですが、退院から10日間、まさに私にとっては本当の意味の「介護体験」となりました。
リハビリのおかげで、歩きは室内の移動程度は出来るようになっていました。しかし、トイレは都度付き添わないとだめでした。困るのは夜です。何回も起こされました。
さすがに10日はもたないと、急遽お世話になっていたデーサービスに頼んで、4日ほどは日中の世話をお願いできたのは、本当に助かりました。
そして、やっと、入居の日がやってきたのです。
もっとも、簡単には入居とはしてくれません。入居は午後でしたが、朝起きると妻は37.5度程度の微熱があったのです。
さあ、大変です。熱があっては入居はおそらく無理、とはいっても、もう介護はこちらも限界でした。
「どうしよう、そうだ!解熱剤だ!」
熱がある割には元気だったので、朝ご飯を食べさせて、解熱剤を飲ませて、熱が下がるのをひたすら祈りました。
結果は成功、午後には平熱に下がって、タクシーで施設に向かいました。
思ったより長くなりました。まだまだ続きますので、今日はここまでとします。続きは明日に。
奥様の異変、介護の事、その他数え切れないご苦労が一欠けらもこのブログには見えませんでしたので
本当に驚いています
今、私も一人になっています
初めての体験が続いています
泣きそうになります
お話は弱虫のお薬になりましたとお伝えしたくてコメントを書きました
お許し下さい ゴメンナサイ
まずは、御記事をまとめられる上で、どれほどの想いがおありだったか、
そしてよくぞここまで・・・お疲れ様です、と申し上げます。
SYUUさん、わたし、なんとなく、こういうことではないだろうかと案じておりました。
さすがにお一人暮らしがもう1年とまでは思いませんでしたが・・・
御記事を拝読し、ああ、やっぱりとの気持ちもありました。
おつきあいが長いんですもの、おそらく我が家が同じ状況になったら、SYUUさんですもの、きっと同じようにお察しになるはずです。
SYUUさん、わたしの父はパーキンソンで寝たきりで、母が在宅介護を続け、わたしもそのサポートにずっと実家へ通っていました。
前向きな母とは将来的な介護をめぐり、何度も口論になるほどでした。
でも、その母が「認知症ならば施設にお願いした方が良い、介護しきれないと思うから」と申しておりました。
認知症と身内でわかった場合も、母は、そう家族を励ましたものです。
それだけに今日のお話に、もう、どれほど御大変だったかと、胸が痛みます
SYUUさん、我が家も子どもがおりません。
ブログとはいえ、長いお付き合いの中、SYUUさんと奥さまのご生活は、我が家の先々の姿かもしれないと拝読して参りました。
また、続きを拝読したらコメントいたします。
お辛かったら、ご無理をなさらないでくださいね。
もしも、お気持ちを害するようなことを申しておりましたら、どうぞお許し下さいませ。
ご家族様にしかおわかりにならない繊細なお話ですから・・・
末っ子で、気づかいされることには慣れていても、
気づかいすることは全くダメです。
上手い言葉が見つかりませんが、ご主人が早く回復され退院することを祈っています。
妻のことは毎日考えています。
夫婦なら当たり前かと思います。
でも、ふと思います。男で良かったと。
それにしても妻のこと全く話題にしてきませんでしたから、
気づかれていたことと思います。
その意味でも、気持ちが落ち着いたら、記事にしようと思っていました。
眼こことは相変わらずですが、私は幸い元気です。
今日の記事でも書きましたが、どこかで次の決断をしなくてはいけません。