Tの時間

なんでもない日常のできごとや思いのなかで・・

旅日記 1993年 5/14 ~ 5/16

2021-02-12 21:46:34 | 旅日記

旅の始まり..........の続きです
5/12~5/13 は昨年11月22日にブログにて紹介しているので割愛しました
残念ながら画像なしです

1993 5 / 14  ~  5 / 16

出雲では3泊した
宿泊していたところの斜め向かいの旅館が竹内まりあの実家だと聞いた

出雲大社ではちょうどお祭で雨模様にもかかわらず
多勢の参拝客で賑わっていた
雨の日はあまり出歩きたくないけど宿でじっとしていても退屈なだけ
思い切って9時頃出かける
出雲大社にお参りして稲佐の浜へ出て海を眺めたり
出雲の阿国の墓所へ行ってみたり
結局ぶらぶらと4時頃まで歩き回って疲れた
雨もいつの間にかやんで晴れ間がでて
夕焼けなど眺めたかったけどとにかく寒くて早めに宿に帰った

この年は冷夏でお米も不作で翌年には外米の輸入などで
市場や庶民の台所を混乱させる結果を招いた

次の日はお天気もよく格好のドライブ日和
出雲は訪ねてみたい神社等も多いけどとても回りきれない
宍道湖や中海や松江市内など
観光が目的じゃないと粋がってみた所で
何をどう銘打ってみたところで観光していることにまちがいはない
日御碕から海岸沿いに美保関まで行き境港に出てまた戻る

5月の日本海は思っていたイメージとは違ってとても美しく青く澄んでいた
岩に打ち寄せる波も荒々しいというより
白い波頭が海の青さをいっそう際立たせてただ美しかった


出雲を起点とするこの旅はこれからが本番である
出発は信州であっても旅としての起点は出雲からと決めていた
出雲へ着くまではただ出雲を目指して走ればよかった
でもこれからはその日の気分でルートが決まる
地図が何よりの道案内となる

出雲を発つ日 5時半起床 朝のうち晴
大社へ参拝してお世話になった民宿のおじさんおばさんにありがとう
大社でお抹茶をいただいてから出発

なんとなく三瓶山に上がりたくなって愛車を走らせた
三瓶山の麓に広々とした公園になっていて景色のいいところがあり
多くの人が憩い楽しんでいる
しばらくその雰囲気を味わいながらのんびりとする
東の原からリフトで上がり女三瓶山の頂上から男三瓶山を眺めていたら
わずかな時間で縦走出来そうな気がして歩き出す
男三瓶山の頂上は360度の大パノラマ
素晴らしい展望に来てよかった・・・と思う
近くにいた人に記念写真を撮ってもらう


この旅で写真はかなりの枚数撮っているが
デジカメのない時代
スキャナーでもあれば取り込めるのだけど・・・
そのうちいつか・・・


この日は三瓶温泉に泊まる

三瓶山はまたいつの日か登りたい山のひとつとなる


つづく
2003年6月20日(金) 記


旅の始まり

2021-02-05 22:58:20 | 旅日記

過去の旅の記録      こんな時もあったのね~

1993年 5/10 ~ 5/11

これから何ヶ月になるかわからない旅に出る
資金が底をついたときが旅の終わりである

旅先で何を見 何を聞き 何を求め 何を探し 何を得るのか
コンセプトは何も持たないことにした
何も見なくとも 何も聞かなくとも 何も求めなくとも
何も探さなくとも 何も得ることがなくとも
何かは残るだろう・・・
ただ日本全国津々浦々を訪ねてみたい
その思いの強さだけがあった・・・

ただひとつ各地の主だった神社には挨拶がてらお参りしたい
こう見えても日本の八百万の神々さまが大好きだから
日本の神さまは 一神多神即汎神・・・
つまり八百万の神々さまも元はひとつ・・ということなのだが
ああ それと高速道は利用しない・・・
経済的な面からもこれは鉄則

そんな身勝手な思いを家人にぶつけて
GOサインをもらったときにはもう心は遥か彼方に飛んでいた
その頃はCADなどやっていて金型の製図を描く職に就いていたのだけど
即辞めた
出発までに1ヶ月ほどの準備期間を持つ
自分の中では出雲の国を起点とすることに決めていた

中津川からひとりになりそれまでの経過を振り返りながら
熱田神宮へと向かった
ひとりになった心細さや淋しさよりも
この先何があるかわからない期待のほうが大きくて‘夢見る夢子’になっていた
二日目の夜は三重の湯の山温泉に泊まる

翌5月11日御在所岳のロープウエイで登山
やや高所恐怖症気味なのでまともに下を見ることが出来ない
風が強くゴンドラが揺れるスリルをヒヤヒヤ味わいながら山頂の駅へ着く
見晴らしがよく散策などしてしばらく天上に遊ぶ
下ってからこの地で懇意にさせていただいている方のところを訪ねた
とても気のいいご婦人でいつ訪ねていっても
心のこもったもてなしをしてくださる
(このところお会いしてないけどお元気だろうか・・・)

その日のうちに琵琶湖へ向かい今津から若狭へ出て
舞鶴 宮津を走ったところで日も暮れて来た
この日の宿は特に決めていなくて適当なところに車を止めて寝るつもりでいた

探して走っているうちに経ヶ崎という奥丹後半島の突端に出た
そこの駐車場で一晩過したのだが・・・

翌朝駐車場のトイレで洗顔を済まし昨夜のことを考えてみた
愛車の中はフカフカしたベッド(?)がしつらえてあるので寝るには十分なのだが
足を伸ばしきれないのが難点
就寝してからどのくらい経ったかわからない頃
車の周りを駆け巡るように
ヒヒヒヒヒ・・・
ケラケラケラ・・・
という人のものとも思えない気持ちの悪い笑い声が飛び交った
思わず身を固めたがそれ以上何事も起こらなかった
いったい何だったのだろうといくら考えても答えはわからない
とにかく旅を続けよう


後にも先にもオカルト的な出来事はこれ一回だけだった

2003年6月8日(日)記


萩 匹見峡 岩国

2021-01-14 11:33:35 | 旅日記

今朝は気持ちよい風と青い空
白い雲がのんびりと浮かんでいる
気分ものんびり
取り立てて急ぐ用事もなく
毎日ありがたく平凡に暮らしています

手持ち無沙汰につらつら思い出すことは
遠い日の旅の思い出・・・


1993年 5/22 ~ 5/24

常栄寺雪舟庭へと足を運んだ
雪舟のつくったという枯れ山水の庭園
いまとなってはあまり記憶に残ってないようなのだけど
写真で見る限りにおいてはなるほど・・・と
きっと印象が薄かったのだろう

萩へと向かい萩城跡を散策
小虫がブンブンブンブンとうるさくつきまとい気が削がれる
いまは石垣が残る萩城はお堀側からみると風情がある
武家屋敷や町屋など歩き回って
ふと入り込んだ町家風のお宅でいただいたお抹茶が美味しく
品のいいご婦人とお茶のことや萩焼きのことなど話したりして
静かなひとときを過した

萩は吉田松蔭の開いた松下村塾があったところで
高杉晋作 伊藤博文 山形有朋など明治維新時に活躍した
多くの逸材が出ている
当時に思いを馳せながらぶらりぶらりと歩いた

萩を出て笠山展望台に立ち寄りR191を東へと益田方面へ
計画性がないからかなり迷走している
地図を見ながらふと岩国から広島へ回ろうと思い
匹見峡へのルートを選んだ・・・
知らないということは強いものでこんな国道もあるのね....と
思い知らされたルートだった

国道488は狭くて林道と言っても過言ではないような道で
もちろん舗装などされていない
しかも峠越えになっているのかどんどん標高が上がっていく・・・
にもかかわらず、景勝地になっているため
行楽を楽しむ人出が意外にも多いのにびっくり
愛車は必至の思いで喘ぎながら登ってくれた
道路脇に停めてある車の横をスレスレに過ごしながら
やっとのことで吉和というところに出た
幸いにもやっかいな対向車に出会うことなく済んだことに感謝

これまでにもいろんなところを走って来たけど
あんな道はもう二度と走りたくない・・・
後日聞いた話によると裏匹見といわれるルートを走っていたらしい

 


( 当時の写真ではなく  2009年4月撮影 )

岩国へ出て次の日子供の頃母から聞いていた錦帯橋へ
何事もイメージの膨らみ過ぎは現実に直面したとき
失望の度合いも大きいもの
それでも何度か橋を往復しているうちに
父と母も渡ったであろうとの思いに
満たされていった

夜は観光の一環として鵜飼いの舟が出るとのことだったが
気分が向かず・・・
基本的に夜出歩くのは好きではない・・・

2003年7月7日(月)記


元伊勢

2020-12-07 23:09:29 | 旅日記

家にばかり籠っているとやはり旅心が疼く
今年はコロナだけではなく身の回りにもいろいろとあった
行きたい気持ちはいつも今回はやめとこう・・・と
この繰り返しを続けているうちにもう12月
せめて旅日記を繙いてみよう

 

1993年  6月4日~6日

元伊勢というものが存在することを知ってからいつか訪ねてみたいと思っていた
丹後一宮の籠神社もそのひとつ
古くは丹後の吉佐宮と呼ばれ第10代崇神天皇の御代
ご祭神の天照大御神は宮中からお遷りになり豊受大神とともにお祭りされた
その後天照大御神は現在の伊勢の地へ鎮座されるまで
20数回にわたり各地を転々とされた
その地の跡を元伊勢という

籠神社のすぐそばに「股のぞき」で有名な傘松公園がある
天下の名勝天橋立が天に掛かる橋のように見えるというのだけど
台石の上に立って「股のぞき」するにはちょっと勇気がいる
グループや団体で来ている人たちはどさくさに紛れて歓声をあげながら代わる代わる覗いている
誰もいないようなときを見計らって覗いてみた
感想は.....天に掛かる橋・・・とはいえ奇妙な感覚に襲われたこと
天に掛かるというよりは天に昇るという方がしっくりする


大江山の酒呑童子で有名な大江町に元伊勢神社と呼ばれる三社がある
内宮皇太神社、外宮豊受神社、天岩戸神社がそれで伊勢神宮の元宮と言われている
丹後には三社よりも格式が高い元伊勢の籠神社があるのに
三社の存在を面白いもんだと思いながら
その内宮に行った時のこと

当時、皇太子殿下と雅子さまのご成婚が間近にあり
当局が不穏分子等にピリピリしていたこともあってか

県外ナンバーの愛車は不審者としてどうやら警察に通報されたらしく
お参りして回る後をお巡りさんがチェックして回っている

最初は自分が見張られているとは全く気がつかなかった
なんで後ついて来るんだろう・・・と
そしてやがて軽く職務質問された
「お巡りさんも大変ですね」と余裕をみせて天岩戸神社へ

途中「一願さん」といわれる遥拝所があり
見事なピラミッド型山容の日室岳を拝す
夏至には山頂に太陽が沈むとのこと

外宮でもお巡りさんが来るのかなあと思っていたら
ここでは宮司さんが話好きなのかどうなのかいろいろと質問の雨
端々に危険分子なのかどうなのか
探りを入れて見極めようとしているフシが感じられた
時期が時期だけに得難い経験ではあった

次の日綾部の大本本部に立ち寄ってみたがみろく殿をちらっと拝しただけ
信者ではないので中まで入り込む勇気がなかった

開祖出口なお、聖師出口王仁三郎についてはかなり興味があったので
貪るように何冊もの本を読んだ
日本の近代宗教史を語るのに大本を知らずして語ることは出来ないのではないだろうか

京の町を素通りして琵琶湖へ行き湖に浮かぶ竹生島へ
神聖な場所であることを期待していたのだけど
世俗さをいっぱい抱え込んでいる島だった
考えてみれば聖地と言われるところは多かれ少なかれ荒らされているもの
なぜなら人は皆聖地へと赴くものだから

翌日、多賀大社を訪れるとちょうど御田植祭の日

この日の記録に
「祭りというもの、自分の中にあるものとどうも噛み合わない なぜなんだろう」とある

10年を経た今となっては何のことだか全くわからない

長浜は賑やかな街
豊太閤のゆかりの地
久し振りに観光を楽しんだ

2004年5月14日(金)


初めての出雲で

2020-11-22 10:46:35 | 旅日記

過去の記録を繙いていたら出雲の旅でのことが思い起こされた 

家を出てから5日目に出雲に着く  
途中、彼方へふらふらこ此方へふらふらののんびり旅  
山陰に入ると当時でもまだ珍しい道の駅というものに出会う  
国道9号線には何ヶ所か点在していてとてもありがたかった 
下記は出雲での記録を拾い出したもの

当時の写真を1枚だけ・・・


 
1993年5月12日~13日 

明日はいよいよ出雲に入る・・・もう寝よう 


今にも雨が降り出しそうな蒸し暑い朝8時に出発 
一目散に出雲を目指す 
途中八重垣神社の案内板に導かれて訪ねてみると 
小さいながらも立派なお社が建っていた 
ここはスサノオノミコトとクシナダヒメが新婚生活を営んだ場所でもある 
出雲は神話の国・・・いつか行ってみたいと思っていた国 
なんか空気が違う・・・

神社の前にお土産屋さんがあり「コーヒー」とあったので注文すると 
「あなたはコーヒーよりお抹茶でしょう」といきなり言われた 
確かにお抹茶は大好きだ 
「お抹茶もあるんですか それじゃあお抹茶お願いします」 
話し好きな人で出雲の神話についてあれやこれやと自分の見解を話してくれた 
そのうち地元郷土史家を名のる人たちが現れ面白い話を耳にする 


大黒さまが足下に敷いているものあれは米俵ではなく大麻だそうな 
大黒さまはブータンから来た人だから色が黒く 
それで大黒さまと言われるようになったんだそうな 
でもこの説は学界のえらい人たちに揉み消されてしまったそうな 
その人が言うには 
学者たちのこれまでの学説が覆されるから困るからだそうな 

出雲の国(島根)は虚構の国だそうな 
権力者側の都合にいいように創られた歴史の国だそうな 
島根の人間は本心を言わず根回し上手とのこと 
元○○のTさんのことを例に出して話がなかなか面白い 


因幡の白兎の話でも 
あれは稲作の話を脚色したものだそうな 
大黒さまの大きな袋の中身は稲の種であったそうな 
兎が皮をワニに剥がれたというのは米が取れなくて不作で苦しんだということだそうな 
真水で身体を洗えというのは米作りのための水は塩水ではなく 
真水でなければならないとの教えだそうな 

郷土史家の人たちの話は尽きることがなく面白く 
後ろ髪引かれる思いで後にした 

お店の人に教えてもらった神魂(かもす)神社へ 
とても気持ちのいい空間がそこにはあった 

いろんな神社へ行くのはこの空間に浸りたいがため 
その気の流れを感じたいがため 
いまはそんな思いにさせてくれる神社が少なくなったような・・・ 


後年このお店を訪ねてみたら荒れ果ててしまっていて 
当時の面影もなく周りの空気もカサカサしていた 
時の流れに無常を感じた瞬間・・・ ( 2003年6月 記 )