Tの時間

なんでもない日常のできごとや思いのなかで・・

「 旅日記 」について

2021-05-21 13:42:01 | 旅日記

1993年5月9日 ( 日 ) ~1993年8月17日 ( 火 )
100泊101日の記録は6月17日の記録で途絶えたままです
18日からの記録はまとめてないのです
当時のノートに備忘録として綴ってはあるのですが・・・

もうあれからほぼ30年です
記憶も朧気になりました

立山~宇奈月温泉~柏崎~佐渡~鳥海山~岩木山~竜飛岬~青森からフェリー~函館へ
北海道では1ヶ月ほど過ごしました
そのときに奥尻島での地震もありました
当時は携帯など持ち合わせていませんし知ったのは翌朝のことでした
野付半島の方にいましたので全くわかりませんでした
家人から宿に心配してる電話があり初めて知ったような感じです

北海道はまた旅したいと思いますが当時と比べるとかなり変わっていることでしょう

東北へ入って
恐山~十和田湖~ぬるかわ温泉~大湯ストーンサークル~田沢湖~玉川温泉
~澄川温泉~東トロコ温泉~尾去沢~八幡平~久慈~宮古~盛岡~小岩井
~花輪ねぷた~秋田駒ヶ岳~角館~北上~遠野~羽黒山~天童~湯殿山
~山寺~月山~米沢~川西~喜多方~会津若松~大内宿・・・帰宅

秋田の八幡平では何泊もして温泉三昧です


まだまだ旅を続ける予定でしたが疲れを感じてここで終わりにしました

とても楽しく刺激ある100泊101日の一人旅
多くの出会いに感謝です 頑張ってくれた愛車にも
そして快く送り出してくれた家人にも
いまでも感謝の思いしかありません




今朝雨の中一輪だけ咲いていました


旅日記 1993年 6/15 ~ 6/17

2021-04-28 21:40:27 | 旅日記

能登路

6 / 15 ~ 6 / 17

朝から雨の金沢を出て能登へと・・・
雨だったからなのだろうか
驚いたことに記録がほとんどない
筆 (?) が進まないわけだ・・・

記憶の中ではいろいろ思い出すことがある
砂浜を車で走れる有名な「なぎさドライブウエイ」を横目に
気多大社に参拝して黒曜石で出来た “ 勾玉 ” を求めた
とても大きくて10cmはあろうかという立派なもの
後年友人の初出産のお祝いにあげてしまった
また来たときに求めればいいことだし・・・

なのに
昨年 ( 2003年 )参拝したときにはもう“勾玉”はなかった
社務所の巫女さんたちに尋ねても
知らない、わからないとの返事が返ってくるばかり
10年も経てばいろんなことが変わっても不思議はない

雨の中を走っていたら富来町というところで世界一長いというベンチにであった
なんと全長460メートル
サンセットビューのスポットにもなっている
それからしばらく走ると「白米千枚田」
幾何学模様を織り成す棚田が素晴らしい観光スポット
軍艦島と呼ばれる見付島あたりではかなり強い雨にたたられた
恋路海岸のすぐそばの宿にピットイン

翌日は晴れたものの特筆すべきこともなかったのか記録ナシ
富山に泊まり次の日五箇山から白川郷そして飛騨高山へ
途中でみた御母衣ダムには息を呑んだ
国内でも有数の巨大ダムで岩石を積み上げて造られているせいか
その威容には人をして圧倒させるものがある
五箇山では旅の記録メモ手帳を電話ボックスに置き忘れてしまったけど
拾ってくれた奇特な人が親切にも自宅の方に送ってくれた
住所と名前を書いていてよかった
感謝です

後日家人に旅先に送ってもらい無事手元に戻る

高山から41号線を上って立山へ向かう

2004年9月8日(水) 記


旅日記 1993年 6 / 10 ~ 6 / 9

2021-04-23 21:50:22 | 旅日記

福井~東尋坊~松任~金沢へ


6/10~6/14

旅に出てからちょうど一ヶ月が過ぎた・・・
連泊して福井の町中をぶらぶらと歩いてみたけど
すぐに戻ってゆっくり過す
そろそろ旅の疲れが出て来たのだろうか
松任にいる古い友人に連絡するととてもびっくりしていた
明日の再会を約束

東尋坊は社内旅行で初めて訪れたときと変わらぬ姿で波に打たれていた
その頃は歩くとすぐに疲れて天下の名勝や絶景よりも
しんどかったことの記憶がほとんど・・・
柔なというより鈍らだった

夕方友人がホテルまで会いに来てくれた
ちっとも変わっていない
ベビーフェイスもそのままベビースキンもそのまま
丹後ちりめんを扱う呉服屋の跡取りさんと結婚
2時間ほど懐かしい話に花が咲く

翌朝彼女が迎えに来てくれて友人の家へ
ご家族のみなさんに泊まるように勧められご好意に甘えることに
そのあとご主人に兼六園、忍者寺、近江市場と案内していただいた
夕飯のあとご主人のお母さまから
九谷焼のお皿を記念にと言われたときには正直そこまで甘えてしまっていいものかと迷った
でも友人はここで大事にされて幸せに暮らしているのだなと思って
ありがたくいただくことにした

次の日友人宅を後にして金沢へ
金沢は小雨の中を「百万石まつり」の真っ最中
鶴来の白山比咩神社へ参拝
夜東京の友人よりTel あり近況を話す

翌日は雨の中、まつりの金沢を歩く
ふと立ち寄った喫茶店でマスターやママさんとおしゃべり
階上にあるので祭のパレードがよく見える
「特等席でしょ」とママさんの言
上から眺めると人々の動き回る姿が様々で面白く見ていて厭きない

明日は能登路・・・

2004年6月10日(木)


旅日記 1993年6/7 ~ 6/9

2021-04-17 14:40:08 | 旅日記

6/4~6/6 の記事は既に『元伊勢』にてUPしているので割愛します

若狭の国から永平寺へ

6/7~6/9

琵琶湖を離れて若狭湾へ
若狭の国一の宮の若狭姫神社・若狭彦神社に参拝
ご祭神はトヨタマヒメの命、ヒコホホデミの命
社務所で「塩乾る玉」「塩満つ玉」の二つの玉の入ったお守りをいただく
ヒコホホデミの命は「海幸彦、山幸彦」のお話の山幸彦のこと
龍宮で手に入れた潮の干満を自在に操れる玉
神社のご神紋にもなっている
思いを飛ばして神話の世界にかいま浸る
早めに宿に入り
翌日はどこへも出かけず部屋で一日を過した

次の日三方五湖レインボーラインを走り梅丈ケ岳展望台へ
素晴らしい眺めにしばし時を忘れるほど
心の底までじわーっと浸透して潤い満たしてくれた

永平寺
生憎と補修工事の最中で雑然としていた
それにしても大きい
山門 仏殿 法堂 僧堂 大庫院 浴室 東司
これらの七堂伽藍以外にも多くの伽藍がある
閉門の1時間くらい前に着いたのでゆっくり拝観することはできなかった
でもずーっと抱いていたイメージとは大きく異なり
少し失望感を味わった

神社を廻っていていつも感じるのは
神社の杜にはある種冒し難い空気があるということ
確か西行法師の作だったと記憶しているのですが

「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」

という伊勢神宮を参拝したときの有名な歌がある
神社には大なり小なりそう思わせる何かがあると思う

永平寺にも似たような空気を期待していた
言うまでもなくお寺と神社は違うということは理解しているつもり
失望したのは工事中だったからなのか
多くの参拝客でごった返していたからなのか
とにかく残念に思った
いまはどうなのだろう・・・

2004年5月20日(木)


旅日記 1993年 6/1 ~ 6/3

2021-04-10 12:56:10 | 旅日記

大山目指して・・・


6 / 1 ~ 6 / 3

6月に入りそろそろ一ヶ月にもなろうかというこの頃
少しペースを上げなければという焦燥感に時折り見舞われる
梅雨になる前に北海道に渡りたいと思っていたから

大山を目指して走る
大山の山開き祭が6月5日、6日というのでそれに合わせていたのだが
それにしても日程が余る
気持ちとは裏腹にのんびりゆっくりと時間を費やすことに

翌日は昨日と打って変わって凄い暴風に大雨
木々の枝葉は飛んで来るしワイパーはフル回転
それでも走っていると
道路に風で薙ぎ倒された樹木が横倒しになっていて立ち往生
とてもひとりで動かせるわけでもなく思案投げ首
幸いなことに車が一台やって来た
男の人が4人
彼らが通れる道をつくってくれたので助かった
丈高の車だったので風に飛ばされ横倒しになるんじゃないかしら・・・
もしかしたら崖崩れか何かで通行止めとか・・・
いまと違って携帯電話などない
そんな恐怖と不安とで予定していた裏大山の宿泊地をキャンセルしようと決めて
6月5日、6日に泊まる予定の大神山神社近くに草鞋を脱いだ・・・
昔ならこんな表現をするんだろうなあ
風の吹き荒れる駐車場に停めた車が気になって仕方ないけど
こうなったら風の止むのを待つしかない
眠れぬ夜を過した・・・
と言いたいところだけど眠れないということがほとんどない
いつの間にか熟睡

レースのカーテン越しに差し込む光に昨夜の嵐の去ったことを知る
大神山神社は補修工事中でテント張りの中
そこを除けば周りは古色蒼然とした趣の山中の景色
しかも誰もいない
大山寺には団体の観光客や修学旅行生が多いというのに何が違うのかしら
しばらく歩いた後
大山登山を諦めて先を急ぐことにした
ちょっぴり後悔の念に心を痛めながら雄々しくも「前進々々」と自分を激励
今夜は岩井温泉泊まり
温泉以外なあ~んにもない
明日は距離を稼ごうと早めにやすむ


2004年5月9日 (日) 記


旅日記 1993年 5 /29 ~ 5 /31

2021-03-28 14:38:49 | 旅日記

松江~加賀の潜戸~隠岐の島

5 / 29 ~ 5 /31

朝起きてフロントでコインランドリーのある場所を教えてもらう
やっとスッキリしてホッと・・・
武家屋敷の町並みを見ながら松江城へ
天守閣へは上がらずにすぐ傍の図書館へ入り本を読むことにした
帰りに城内の茶店で松江名物の「ぼてぼて茶」なるものをいただいてみた
番茶仕立てで碗の底に御飯粒とこんぶと金時豆がほんの少し
味は塩味
小腹が空いたとき虫押さえにいいのかも知れない

翌日松江を発ち名前に惹かれて加賀の潜戸(くけど)へ
ここが『出雲風土記』に出てくる出雲の神様の生誕の地という案内で
船は好きではないのになんとなく乗ってしまった
30人も乗れば一杯のグラスボート
手を伸ばせば海面に手が届いてしまいそうなそんな舟
岸を離れて進む舟はかなり揺れるし水しぶきが顔にあたる
泳げないせいかどうも水が恐い
潜戸と言われる所以の海食洞窟をグラスボートで往来するのはスリルがあった

洞窟内を通り抜けることが出来みごとな景観に圧倒されながらも
このまま海中に沈んでしまうようなことになったら・・・
そんな思いに邪魔されて
ほんとはじっくり味わうことも出来なかったのだ
船着場に無事戻り着くまで生きた心地がしなかった
そのくせ明日は隠岐へ行って見よう・・・と寝しなに思うのだった

境港の七類から隠岐ノ島の島後、西郷へ渡る
隠岐ノ島には島前と島後の二つの大きな島がある
日帰りなので車は七類港へ置いて行く

西郷に着くと思いがけなく人がたくさんいた
バスは出た後で次の発車までかなり時間があるしどうしたものかと
ろくに下調べもしてない島でちょっとうろたえた
船着場の周りを見やるとタクシーが客待ち顔で並んでいたので
思い切ってタクシーの運転手さんに
「玉若酢神社」や「水若酢神社」へ行くにはどのくらい時間が掛かるのかたずねてみた
幸い親切な運転手さんであれこれ親身になってくれて結果
島内の主だった場所へ案内してもらうことにした

貸切のタクシー・・・
旅の途中の大きな出費ではあったけど
名所旧跡のガイドまでしてくれて写真まで撮ってくれて
帰りにはウニの瓶詰めまでお土産にいただいてしまった
お財布は軽くなったけど心は満たされてこれぞ旅の醍醐味・・・と得した気分に浸る
またいつか訪れてみたい・・と思った


2004年5月5日(水)記


旅日記 1993年5月28日

2021-03-18 14:33:06 | 旅日記

過去の記事とダブっているかも知れないけど
記録として残します

出雲熊野神社 ~ 松江


1993年 5/28

出雲にも熊野大社がある
紀州の本宮熊野大社のご祭神は出雲の熊野大社から勧請されたと一説にある
難しい話はおいといて早速お参りを
朱塗りの橋を渡り出雲の国らしい大きな注連縄のご本殿へ
ご祭神は加夫呂伎熊野大神櫛御気野命 (カムロギクマノオオカミクシミケヌノミコト)
つまりはスサノオノミコトのことと言われている
縁結びのお守りとして「熊野大社御櫛」がある
今更縁結びでもないのだけど
真ん丸い形で愛らしいのでひとつ求めた
後年友人に初めての子が生まれたときお祝いとして贈った
そのまた後年出雲を訪れたとき
出雲熊野大社にお参りして再度求めたのでいま手元にある



毎年4月13日に御櫛祭りが行われている

八重垣神社へもお参りして裏手にある「鏡の池」で占いもしてみた
社務所で白い紙をいただいて
その上にコインを乗せて池面に浮かべる
水に浮かべると文字が浮き出てくる
早く沈むと良縁が得られるとか
時間がかかると縁遠いとか言われてたような・・・
縁結びに関係なく願い事を託したら
結構早く沈んでくれたのだけど・・・

神社前の茶店に寄ってうれしい再会
気さくなおじさんおばさんにお茶にお菓子においもにコーヒー・・・
楽しいお話までついて言うことなし
お抹茶一服でこんなに歓待されて寄ってよかったなあ・・・と心から思った
お礼を述べ別れを惜しみながらも
いい気分で松江市内へと

早めに宿に着いたので月照寺や武家屋敷へ出かけた
月照寺は松江藩主の代々の菩提寺で
茶人としても有名だった7代藩主不昧公のお茶室や
それに夜な夜な松江の町を徘徊していたといわれる大亀の像がある
武家屋敷や小泉八雲記念館や八雲旧居など・・・
残念ながらほとんど記憶に残っていない
いろんなところの同じような場所が一緒になってしまっているようだ

松江に行けばあると思っていたコインランドリーが見つからない
洗濯物もだいぶたまってしまったというのに・・・


2003年9月24日(水)記


旅日記 1993年 5/25

2021-03-08 14:51:33 | 旅日記

きょうは確定申告に行きました
ミロ  がやっと出回り始めました
早速一袋買いました

5 / 25

岩国を出て湯来温泉へ
生活道路を走っていたようで何度も道に迷う
地元農協の車が走って来たので道をたずねたら途中まで案内してくれると言う
スズキアルトの後ろをついて行ったのはいいのだけど
狭くてくねくねした道を構わず引き回され
両側に石垣やブロック塀のある車一台やっと通れるようなカーブの道で
対向車に出会った・・・
先導車は既に広い道に出てしまっている

よそ者だと思ってかどうかバックしろと合図してきた
当然軽トラの方がバックしてくれるものと思っていただけにショックで
こんな狭いカーブのところどうバックしろっていうの・・と思いながらも
そちらでバックしてくださいと言えない気の弱い自分が哀れで
少しずつバックしていたら石塀に後部左側のバンパーを傷つけてしまった
なんとかその場を抜け出したもののダブルショック
近道かどうか知らないけどこんな狭い道を引き回す先導車が恨めしく思われた

湯来温泉で一風呂浴びて散歩・・・
渓流のせせらぎの音が疲れを癒してくれる
実家に電話して居場所を告げるとビックリしていた

父の実家は既に無く
母の実家に行ったのはまだ就学前の小さかった時
どこにも寄らずに誰にも会わずに・・と思っていたけど
ここまで来てご先祖様のお墓参りもしないで素通りすることはやはり出来なくて
そのときの記憶と母が昔語りによく話してくれた地名を頼りに次の日バスに乗った・・・

困ったときに助けてくれる人は必ず現れるもので
ふと立ち寄ったスーパーで道をたずねたおじさん・・・ありがとうございました
母の弟にあたる叔父の家の近くまで連れて行ってくれました


表札を確かめてドアベルを鳴らすと若い女の人が出てきて訝しそうに
当然ながらお互い見覚えはない・・・
どうやら叔父の長男夫婦の家だったらしい
名乗りをあげてわけを話すとすぐ近くの叔父の家に案内してくれた
道すがら近所の人に出会い
「○○○さんの娘さんじゃろう そっくりだからすぐわかった」
いきなり言われたときには胸にこみあげて来るものが・・・
母の同級生だったその人に母の消息などを伝えると懐かしそうに聞いてくれて
父も母もいまだこの地で人の心の中に生きつづけているのだと感動した

血縁にあるもの同士というのは不思議な絆で結ばれているらしい
数年あるいは数十年の時間の隔たりなど一瞬にして無にしてくれる
叔父叔母や従兄弟たちとの話も弾む

明日は叔父の家に泊めてもらうことになった

2003年7月7日(月)


旅日記 1993年 5/20 ~ 5/21

2021-02-27 14:32:22 | 旅日記

津和野 ~ 秋吉台 

5/20 ~ 5/21
津和野は小京都といわれるだけあって
町が一体となって観光事業に力を入れてることがわかる
いままで訪れて来たところに比べると観光客も多く
修学旅行生もたくさん来ていた

この地に来て初めて観光地に来たという思いがした
それほどに観光地といわれるところが廃れてきているのをずーっと感じてきていた

なんにしても活気のある町に出会うと気持ちも華やいでくる
美術館や森鴎外の旧居跡など修学旅行生といっしょになって楽しんだ

津和野を出て日本海側を走り秋吉台に寄って下関へ

秋吉台のカルスト台地は絵や写真でしか見たことがなく
実際に目にした台地はただただ見事で圧巻だった
見渡す限りの草原には
ヒツジの様な形をした石灰岩が視界いっぱいに点在して連なっていた
空の青 カルストの白 草原の緑・・・
色のコントラストは誠に妙なるかな・・・自然の美

秋芳洞は言うも更なり
鍾乳洞は各地に散在しているけれども
秋芳洞に優るものはいまだ知らない
美しさにおいても
規模の大きさにおいても
気の遠くなるほどの年月を幾つも幾つも重ねて出来たであろう・・・
一見の価値あり

下関に着き九州へと続く関門海峡を眺め
この旅での九州行きはとりあえず断念することにした

翌朝彦島へ渡り気分よく車を走らせていたら
前方にお巡りさんが・・・
どうやら「指定車以外進入禁止」道路に侵入してしまったらしい
ただ前の車の後をついて走っていただけなのに・・・
旅行中で地理がよくわからず進入禁止道路だと知らなかったということで
幸いにもお目こぼしをいただいたけど
お巡りさんとのお付き合いに慣れていないせいか
しばらくのあいだ気分がすぐれなかった

長府の町を散策し少し離れた住吉神社まで歩いて行ったりしていたら
もう3時・・・
5時間ほど歩き回っていたことになる

きょうの泊まりの湯田温泉へ
湯田温泉は山頭火の縁の地


2003年7月7日(月)記


旅日記 1993年 5/17~5/19

2021-02-19 22:32:00 | 旅日記

三瓶温泉から石見銀山へ

5/17 ~ 5/19
1泊のつもりの三瓶温泉が翌日は朝からの雨でもう1泊することにした
この日いままでの旅の記録をまとめるため
ワープロを持ち込み一日がかりで取り組んだけど終わらない

それにしても
旅先で一番困るのは食べ物のことだった
この頃には既に菜食にこだわっていたのだけど
どこの宿泊先でも
お肉お魚や卵を使った料理が出る
もちろんお砂糖も入っている
旅先のことなので今ほど厳格にはしていなかった
それでも口に出来るものは
白米 野菜を使った料理 パンなど・・・
出された料理の大半をいつも残していた

旅の楽しみの大部分は食にあると言っても過言ではないと思う
それがかえって苦痛となっていたから
宿の人に悪いなあと思いながらも
やはり自分の主義を曲げることは出来なかった
そのうち素泊まりを利用するようになって
おかげで食に対するストレスは消えた

この日一日部屋に篭もり記録まとめに専念した


翌日出発し石見銀山へ立ち寄る
「龍源寺間歩」という坑道の跡があり当時を偲ぶよすがとなっている
中に入るとひんやりとして湿っぽい
ノミの跡など工夫たちの苦労が思いやられた

唐人屋敷跡などがあり当時の隆盛振りを思わせるが
すべては今は昔・・・

益田市には柿本人麻呂の終焉の地といわれている所が二ヶ所ある
ひとつは斎藤茂吉氏が提唱する“鴨山説”
もうひとつは梅原猛氏の提唱する“鴨嶋説”

人麻呂のうた(万葉集)

「 鴨山の岩根しまけるわれをかも         
            知らにと妹が待ちつつあらむ 」


うろ覚えだけど確かそんな歌だったと思う

梅原猛氏の「水底の歌」という本は人麻呂の終焉の地を探るもので
この歌の“鴨山”を廻っての論争は興味深いものがあった

そしていまこの地に立ち自分なりに思う

梅原説に軍配を上げたいと

さりながら真実は何処に..........

2003年7月7日(月)