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同窓会

2024-12-11 08:53:47 | エッセイ

 

 

長崎市立佐古小学校──ここが我が母校であり、

その6年2組、男女それぞれ23人は1955(昭和30)年の卒業生である。

すでに82歳。皆、69年という年月を背負ってきた。

同窓生名簿はその重さを物語り、いささかやるせない。

すでに亡くなった人が6人、所在が分からない人も20人ほどいるし、

また加齢に伴う体調不良に悩まされている者も少なからずいるのだという。

 

長崎市で開いた同窓会には、市内とその近郊に住み比較的元気な人たち、

それに久しぶりに福岡から参加した僕を加え、男4人、女5人が集まった。

彼らは年に1、2回集まり近況を語り合っているのだというが、

残念ながら福岡からでは思うに任せず、

こうやって参加したのは皆で古希を祝った12年も前のことになる。

席上、その古希の祝いの際のビデオを見て「皆若いなあ」と大笑いとなったのだが、

12年間の我が身の無残な老化に愕然となったのが偽らざるところだった。

 

カラオケルームで開いたその同窓会は、にぎやかに歌うでもなし、

それぞれが近況を語り合い、ランチの時間を緩やかに過ごすのみだった。

46人のうちのたった9人だけ、その数だけをみれば何とも寂しくはあるが、

9人が互いの無事を確かめ合い、また69年間も持ち続けた〝仲間〟意識が

何とも心地良く感じられるのだった。

 

     

                     旧佐古小学校

 

その語り合いの中で、隣に座る顔艶もよく、山にもよく登るという彼が

「もう終活やっているか」と聞いてきた。

実は、らしきことは何もしていない。「特に何も」と返しつつ、

逆に「君は何かやっているの?」と尋ねてみた。

「写真の整理というか廃棄だね。

写真というのは自分だけの思い出になるものがほとんどじゃない。

そんなものを家族に遺したってしようがないよ」というのである。

 

僕にしても手元には随分と写真が溜まっている。

それらの大半は会社勤めの時のもの、

あるいは小学校から大学の間の記念写真みたいなものである。

これらは残された家族にどんな思いがつながるであろうか。

彼が言う通りなのかもしれない。

ただ、孫も含めた家族と一緒の写真を処分するとなると、やはりためらうだろう。

死後も孫や娘たちから暖かく、優しく見つめていてもらいたい。

懐かしんでもらいたいではないか。

 

あの佐古小学校は、今はもうない。

2016(平成28)年4月に近くにあった仁田小学校と統合され、

伴って校舎も解体されたそうだ。

ただ、跡地に建つ新校舎の写真には、わずかではあっても往時の学び舎が偲ばれ、

何だかホッとさせられる。

 

 

 

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