壁に白い板を設えただけの質素な祭壇には、マリア像に並べて
母、そして義父母の3人の遺影を飾っている。
うっすらと笑いを含んだ穏やかな表情。
それぞれに在りし日の良き思い出が偲ばれる。
ただ、本来あるべき我が父の遺影がない。
どんなに探しても見つけることが出来なかったのである。
まだ若かった頃、長姉が僕にこう言った。
「4人いる男の兄弟の中で末っ子のあんたがいちばん父ちゃんに似とるね。
いや、そっくりだわ。年を取ると、きっと頭も禿げるやろうね」
──よしてくれ、と思いはしたが姉は見事に言い当ててしまった。
毎朝、鏡を覗き込みながら「ええい、もう。親父の奴」と、
そのDNAを罵ってしまう。
実を言えば、頭の禿げ具合だけではない。足指の巻き爪もそうだ。
爪が内側にぐいと食い込んでおり、父が若い頃、
そんな爪にさんざん悩まされていたことを思い出す。
それと、アルコール類はまったくダメ、正真正銘の下戸だった。
「(酒粕で漬けた)奈良漬け1枚で顔が赤くなる」と言われたほどだ。
僕も若い頃には少しは飲んでいたが、もともとは飲めない質で、
正直言って酒をうまいと思ったことは一度もない。
これもDNAのせいなのかもしれない。
そうとあって、30年ほど前にあっさりやめて以降一滴のアルコールも口にしていない。
その父は入退院を繰り返す闘病の末、
昭和44年5月28日69歳で尽き果てた。
横たえられたその顔にはうっすらとヒゲが……
少しの温もりも喜怒哀楽も、何もかも失くした、
その頬や顎にそっと剃刀を当ててやった。
それはあたかも言葉を交わすことのない語らいに思えたことを思い出す。
そんな父であるが、写真1枚ないのではどんな顔つきだったのかさえ
忘れてしまいそうで何とも侘しい。
そんな思いをしていた時、長姉の一人娘、つまり姪の一言に驚かされた。
「あら、じいちゃんの写真ありますよ。母の結婚式の時のものですが……」
というのである。LINEで送ってくれた写真を見れば、
姉が言い当てたように禿げ具合なんかそっくり。
苦笑いと一緒に、あれやこれやと懐かしさがこみ上げてきた。
これで4人の親が揃った。
ただ、よくよく見れば、父だけがしかつめらしい顔をしている。
「親父め」悪態をつきながら微笑みを投げかけてやった。
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