最後のドライブは片道14㌔ほど、篠栗町にある『九大の森』への撮影行だった。
周囲2㌔ほどの池を広葉樹の森林が取り囲んでおり、季節に関係なく池が増水すると、
水辺の10本ほどのラクウショウという木が
水中からすくっと伸びてきたように屹立するのである。
その景観がまるでジブリの世界を思わせ、
多くの人が訪れる人気のスポットとなっている。
いつものように写真撮影を楽しむ妻のお供だった。
この日は朝からずっと雨が降り続いていた。
写真撮影には不向きかと思えるのだが、水面に跳ねる雨粒が
ラクウショウの木肌や葉色の緑を一層しっとりとさせ、
ジブリの世界をより際立たせる。もちろん、シャッターを押す妻の手は忙しい。
雨はしとしと降り続いている。
妻を守る傘と自身を守る2本の傘は僕の両手にある。
撮り始めて2時間経ったろうか。やっと妻は三脚をたたみ始めた。
僕の腕は雨を含んだ2本の傘の重みをかろうじてしのいだ。
翌朝、12年間連れ添った愛車が『九大の森』を最後の思い出に
買い取り業者に引き取られていった。
随分と迷いながらも、「車を運転するのは、もうよそう」やっと心を決めたのだ。
本格的に車を運転しだした40歳の頃からおよそ40年間、7台の車を乗り継いできた。
この間、大きな事故を起こしたことはない。
だが、年を取るにしたがって擦り傷など小さな傷が増えてきた。
これも老いによる衰えであろうか。
言うまでもなく老いの衰えは、足腰といった身体的なものだけではない。
人や物の名前はすぐには出てこなくなり、「この、その、あれ、どれ」
つまり「こ・そ・あ・ど」言葉で誤魔化さざるを得なくなる。
記憶力だけではなく、聴力にしても娘や孫たちがたまに我が家にやって来ると
テレビの音量に驚く。
加えれば、その画面はちらつき、ぼやけて見えづらくなってきている。
とりわけ視力の衰えは悩ましく、夜間に車を運転しようなんてことになると、
白線はぼやけて道路幅の感覚がつかみにくく、
左に寄れば歩道に乗り上げはしないか、
右に寄れば対向車線にはみ出すのではないかと腕・肩はコチコチとなる。
トンネル走行は言うまでもない。
昼間での運転にしても注意力がおろそかになり「はっ」とすることが多くなった。
「自分が傷つくのはともかく、他人様を傷つけるのは絶対にしてはならない」
そんな綺麗ごとみたいなことを心の中で繰り返す。
その実、「運転するのが怖くなってきた」というのが本心だろう。
「どうしようか」もやもやとしていた思いに、ついにケリをつけたのである。
引き取られていく愛車を見つめながら、「車のない生活はどうなるのだろうか。
もう妻を撮影に連れて行くことも、楽しい車中泊も出来ないな」
そんな寂しさが胸中に湧いて出る。
『九大の森』からの帰路、二人とも終始無言だった。思いは同じだったかもしれない。
免許証の有効期限は令和8年7月までだ。「返納はしないでおこう」多少の未練を許す。
読みながら込み上げるものがありました。
昨年亡くなった父は95歳でしたが大きな事故もせず任意保険が切れる3月中旬まで運転していました。
車の必要な地域に住んでいるので車がなければタクシーに頼らないといけません。 事故をするからと何度も言ったのに止めることはしませんでしたが車検が切れる10月まで任意保険を月掛で掛けるとなれば高くて渋々辞めました。
運転に不安を感じる時に辞めるのが一番だと思いますが苦渋の決断ですね。
キキさんのこみ上げるものを
読み 父の思い出と
遠からじ,
まだまだ先ですが、
わが身を思いました。
また、九大の森を
知りました。
お二人の ゆったりした
これからのご投稿を
楽しみにしております。
運転技術的にはまだ十分だと思っていますが、
少しずつ自信がなくなってきたのも確かです。
夜は見にくいし、昼間は運転していて眠くなることしばしばです。危ないですね。
そんなこんなでもうやめたです。
車がなくなってまだ数日ですから、さしたる不便さは感じていませんが、これからいろいろ出てきましょうね。
老いは誰にでもやって来るものです。
伴ってさまざまな選択を迫られます。
車の運転もその1つでしょう。諦めざるを得ない日が必ずやってきます。
運転をやめるって、大きな決断だったの、免許もってなくてもわかります🐻!
最後がこの幻想的な九大の森への道だった・・というのがまた、忘れられない思い出になりそうですね💎✨✨
(それにしてもすごい景色です!!)
それでも未練はあります。
少しずつ車のない生活に慣れていくしかありませんね。
初めまして どうぞ これからよろしくお願い致します🙇♀️
今まさに いつ免許を手放すか 日々考えています。
運転中は 四方に注意を 怠らないようにと思い それが出来なくなったらと🤔
でも それに自分が 気づけるかしらと考えたりします。
手放されるのにも 勇気が✨
九大の森 なんとも 美しく幻想的です。
最後のドライブに 相応しい地ですね。
車の運転を止めるかどうか、確かに踏ん切りがつきにくい問題です。
「ちょっと危なくなってきたかなあ」と自覚し出しても、
いやまだまだと思ってしまうものです。
そんな時、助手席の妻が
「もうそろそろいいんじゃない。
さっき赤信号なのに、交差点に入ろうとしたよ。
隣に座っていて少し怖くなってきた」
なんて言うんですよ。
それだけではないんですが、似たようなことを言われることが多くなりました。
自分ではまだ大丈夫だと思っていても、他から見ると危なくなっているんですね。
そういうこともあり、決心したわけです。