大井町平和小路
大井町駅東口を出てすぐ、北側の線路沿いに広がる横丁、東小路を抜け、ゼームス坂の通りを横切ると白地に青い文字のアーチの平和小路に行き当たる。迷路のように細く入り組んだ「平和小路」という50メートルほどの居酒屋横丁がずるずるずると続いている。路地には、昭和の下町風情満開の飲み屋や食堂が20軒ほどあり、青竹平打ち麺という中華そば屋には行列ができていた。
成立したのがいつかは不明、おそらく戦後の焼け跡にできた闇市が発生と考えられる。後に昭和30 年代頃に、建て替えられ現在の形になったと思われる。立て替えられたときに現在の平和小路の名称になったと思われる。昭和の怪しげさが残る。または、昭和の懐かしさは残ると表現されている。
大井町は東京都品川区の南東部に位置する。鎌倉時代には、大井郷と呼ばれ、江戸時代には鈴ヶ森刑場(南大井)が置かれた。1889年(明治22年)村制を施行した。1908年(明治41年)町制を施行して大井町となり、駅名になる。1932年(昭和7年)東京市に編入され品川区の一部となり、大井は一帯の町名となった。1939年(昭和14年)沿岸が埋め立てられ、戦後大井競馬場(勝島)や大井埠頭(八潮)が整備された。1964年(昭和39年)住居表示により大井、南大井、東大井、西大井が成立した。
大井町駅東口を出てすぐ、北側の線路沿いに広がる横丁、東小路を抜け、ゼームス坂の通りを横切ると白地に青い文字のアーチの平和小路に行き当たる。迷路のように細く入り組んだ「平和小路」という50メートルほどの居酒屋横丁がずるずるずると続いている。路地には、昭和の下町風情満開の飲み屋や食堂が20軒ほどあり、青竹平打ち麺という中華そば屋には行列ができていた。
成立したのがいつかは不明、おそらく戦後の焼け跡にできた闇市が発生と考えられる。後に昭和30 年代頃に、建て替えられ現在の形になったと思われる。立て替えられたときに現在の平和小路の名称になったと思われる。昭和の怪しげさが残る。または、昭和の懐かしさは残ると表現されている。
大井町は東京都品川区の南東部に位置する。鎌倉時代には、大井郷と呼ばれ、江戸時代には鈴ヶ森刑場(南大井)が置かれた。1889年(明治22年)村制を施行した。1908年(明治41年)町制を施行して大井町となり、駅名になる。1932年(昭和7年)東京市に編入され品川区の一部となり、大井は一帯の町名となった。1939年(昭和14年)沿岸が埋め立てられ、戦後大井競馬場(勝島)や大井埠頭(八潮)が整備された。1964年(昭和39年)住居表示により大井、南大井、東大井、西大井が成立した。