最近映画ばっかですねー・・・
勉強できてないですねー・・・
私ばっかですねー・・・
映画より優先すべき事項があるはずなのに、
映画の方に時間を割いてばっかりや。
本当は英語の勉強しなきゃなんだよねー;;
てか、色々検定試験受けたいなー。
時事検定とか、語彙検定とか。
結構実務的な検定とかもあるから受けてみようかなぁー。。
まあ、就活云々関係なしに、色々受けてみたい。
漢検とかもいいしね。
でも個人的にはもう少しトリッキーなやつを受けたかったりする笑
映画検定とかね。
でも過去問全然解けなかったわ―。
まあ、ただ観てるだけだったりするしね。
色々分析しながら観るけど、監督の名前とかは正直全然。
画家の名前なら無駄に知ってるのに・・・
まあ、映画までにはそれほど深く携われてないということですかね。
映画の本買ったしがんばろっ。
というわけで(?)
今回もまたもや映画批評です。
でも長くなりそう・・・
ナタリーポートマン主演、ダーレン・アロノフスキー監督の作品。
「ブラック・スワン」というタイトルの通り、白鳥の湖の舞台配役を巡ったあるバレエ団の中の話です。
これも批評理論をめちゃめちゃ使えるというか、
もう無理やり見つけて批評したるぜ!って感じなんですが笑
とりあえず、やっぱりフロイトは使えて笑
あとはジェンダー批評も可能な気がします。
あ、あとこの作品を構造主義で捉えた後の脱構築も可能な気がします。
【以下ネタばれ注意!】
ストーリーは。
ニナ(ポートマン)というバレリーナが「白鳥の湖」の主演に選ばれ、
その主演という大役の重責が二ナの精神を追い詰めていくという感じです(雑)
結局最後は心理的不安に打ち勝ち、完璧なバレエを踊って終わります。
まあ、もちろんそんな単純ではないんですけど。
ニナは正確さは団随一のモノを持っているのにもかかわらず、
何故か大役には抜擢されないダンサーで、
「白鳥の湖」の選考会においても、舞台監督に「白鳥だけなら君を選ぶ」とまで言わしめた。
しかし、今回は王子を誘惑する黒鳥の役もできなければならず、
ちょっとしたアクシデント(リリーが二ナの演技中に入ってくる)もあり、ニナは選考に落ちてしまう。
舞台監督につめよって結局主役を演じることになるのだが、
やはり、監督の求めている「本能の解放」を演じきれないニナ。
そんなニナの近くではリリー(ミラ・キュ二ス)が好評を得ている。
リリーはニナが持っていない本能の解放を有しているのだった。
そんな中、ニナはリリーが自分の役を奪おうとしているという妄想にとらわれ始め・・・
っていう感じのお話です。
詳細は実際に観れ!
白鳥と黒鳥の二項対立。
ニナとリリーの二項対立。
現実世界と幻想(妄想)世界の二項対立。
そんな様々な二項対立が緩やかに進行していくのですが、
最後はそういった垣根を越えて脱構築がなされます。
ニナは白鳥と黒鳥の役をこなし、
リリーへの妄想にも打ち勝ち、
最後は現実とも幻想ともわからないまま舞台で演技を終える。
また、リリーに対する妄想は、
大役の重責の権化ともいうことが出来るでしょうが。
そこにフロイト精神分析の妥協形成というプロセスが現れてはいないでしょうか。
ニナは責任と言う目に見えない敵と戦っていたわけですが、
その目に見えない相手、というものに対して可視化された敵を欲していたとも考えられましょう。
戦いようのない敵の役をリリーに転移したとも言えます。
そうした、重責という闘争心の相手をリリーに妥協形成したのではないでしょうか。
このような本能的な自衛反応もフロイト心理学では重要になってきます。
また、こうした重責のせいで、それまで仲の良かった母親と敵対関係に入ります。
ですが、最後の舞台のシーンで、観客の中に母を見つけたニナは、
そこで母と和解したというシーンも注目すべき点ではないでしょうか。
それ以外にも、バレリーナという女性の世界における、
男の舞台監督という権力構造。
枕営業をして役を勝ち取るダンサーたち。
それと、ニナとリリーが性行為に及ぶシーン(妄想)もあるのですが、
その同性愛のシーンに込められた意味なんかも深いんではないでしょうか。
詳しくはわかりませんが・・・苦笑
映画の感想は。
妄想の中でスリリングなシーンも多く。
少しうおっとなったシーンもありましたが。
全体としては静かにどろどろ進行して、
最後のバレエ公演当日のシーンで一気に解放される感じ。
深まるサスペンスが一気に解決に向かう感じですね。
幻想的、象徴的シーンは多いものの、ストーリー自体は明快でわかりやすいため、
ツリーオブライフよりは確実に見やすい(笑)
結構面白かったです。
おすすめかも。
では、ご飯食べて勉強しますー^^
hona-☆
勉強できてないですねー・・・
私ばっかですねー・・・
映画より優先すべき事項があるはずなのに、
映画の方に時間を割いてばっかりや。
本当は英語の勉強しなきゃなんだよねー;;
てか、色々検定試験受けたいなー。
時事検定とか、語彙検定とか。
結構実務的な検定とかもあるから受けてみようかなぁー。。
まあ、就活云々関係なしに、色々受けてみたい。
漢検とかもいいしね。
でも個人的にはもう少しトリッキーなやつを受けたかったりする笑
映画検定とかね。
でも過去問全然解けなかったわ―。
まあ、ただ観てるだけだったりするしね。
色々分析しながら観るけど、監督の名前とかは正直全然。
画家の名前なら無駄に知ってるのに・・・
まあ、映画までにはそれほど深く携われてないということですかね。
映画の本買ったしがんばろっ。
というわけで(?)
今回もまたもや映画批評です。
でも長くなりそう・・・
ナタリーポートマン主演、ダーレン・アロノフスキー監督の作品。
「ブラック・スワン」というタイトルの通り、白鳥の湖の舞台配役を巡ったあるバレエ団の中の話です。
これも批評理論をめちゃめちゃ使えるというか、
もう無理やり見つけて批評したるぜ!って感じなんですが笑
とりあえず、やっぱりフロイトは使えて笑
あとはジェンダー批評も可能な気がします。
あ、あとこの作品を構造主義で捉えた後の脱構築も可能な気がします。
【以下ネタばれ注意!】
ストーリーは。
ニナ(ポートマン)というバレリーナが「白鳥の湖」の主演に選ばれ、
その主演という大役の重責が二ナの精神を追い詰めていくという感じです(雑)
結局最後は心理的不安に打ち勝ち、完璧なバレエを踊って終わります。
まあ、もちろんそんな単純ではないんですけど。
ニナは正確さは団随一のモノを持っているのにもかかわらず、
何故か大役には抜擢されないダンサーで、
「白鳥の湖」の選考会においても、舞台監督に「白鳥だけなら君を選ぶ」とまで言わしめた。
しかし、今回は王子を誘惑する黒鳥の役もできなければならず、
ちょっとしたアクシデント(リリーが二ナの演技中に入ってくる)もあり、ニナは選考に落ちてしまう。
舞台監督につめよって結局主役を演じることになるのだが、
やはり、監督の求めている「本能の解放」を演じきれないニナ。
そんなニナの近くではリリー(ミラ・キュ二ス)が好評を得ている。
リリーはニナが持っていない本能の解放を有しているのだった。
そんな中、ニナはリリーが自分の役を奪おうとしているという妄想にとらわれ始め・・・
っていう感じのお話です。
詳細は実際に観れ!
白鳥と黒鳥の二項対立。
ニナとリリーの二項対立。
現実世界と幻想(妄想)世界の二項対立。
そんな様々な二項対立が緩やかに進行していくのですが、
最後はそういった垣根を越えて脱構築がなされます。
ニナは白鳥と黒鳥の役をこなし、
リリーへの妄想にも打ち勝ち、
最後は現実とも幻想ともわからないまま舞台で演技を終える。
また、リリーに対する妄想は、
大役の重責の権化ともいうことが出来るでしょうが。
そこにフロイト精神分析の妥協形成というプロセスが現れてはいないでしょうか。
ニナは責任と言う目に見えない敵と戦っていたわけですが、
その目に見えない相手、というものに対して可視化された敵を欲していたとも考えられましょう。
戦いようのない敵の役をリリーに転移したとも言えます。
そうした、重責という闘争心の相手をリリーに妥協形成したのではないでしょうか。
このような本能的な自衛反応もフロイト心理学では重要になってきます。
また、こうした重責のせいで、それまで仲の良かった母親と敵対関係に入ります。
ですが、最後の舞台のシーンで、観客の中に母を見つけたニナは、
そこで母と和解したというシーンも注目すべき点ではないでしょうか。
それ以外にも、バレリーナという女性の世界における、
男の舞台監督という権力構造。
枕営業をして役を勝ち取るダンサーたち。
それと、ニナとリリーが性行為に及ぶシーン(妄想)もあるのですが、
その同性愛のシーンに込められた意味なんかも深いんではないでしょうか。
詳しくはわかりませんが・・・苦笑
映画の感想は。
妄想の中でスリリングなシーンも多く。
少しうおっとなったシーンもありましたが。
全体としては静かにどろどろ進行して、
最後のバレエ公演当日のシーンで一気に解放される感じ。
深まるサスペンスが一気に解決に向かう感じですね。
幻想的、象徴的シーンは多いものの、ストーリー自体は明快でわかりやすいため、
ツリーオブライフよりは確実に見やすい(笑)
結構面白かったです。
おすすめかも。
では、ご飯食べて勉強しますー^^
hona-☆
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