前回の記事「燃ゆる女の肖像」と関連して、もう少しオルフェウス神話について思うところを綴っていきます。
神話をテーマにした絵画はもう五万とあるわけですが、オルフェウスで多くの人が思い浮かべるのはギュスターヴ・モローでしょう。
絵画そのものの美しさもさることながら、左上から右下への流れるような構図が素晴らしい。
ギュスターヴ・モロー《オルフェウスの首を持つトラキアの娘》1865
この神話は絵画以外でもテーマアップされています。
フランスの詩人ジャン・コクトーの映画『オルフェ』がその一つ。オルフェウス神話を現代風に構成した作品ですが、その結末は大いに議論を呼びそうなものです。
話の内容はというと、詩人オルフェ(オルフェウス)が亡くなってしまった妻ユーリディス(エウリディケ)を取り戻しに冥府へ降るという構成はそのままなのですが、なんと冥府よりの使者である死神を愛してしまうという物語なのです。
そして死神の部下ウルトビーズもまた生者のユーリディスに恋をし、冥府/現世間の恋愛がテーマとなっているかのようです。
そして、死神とウルトビーズは相手を愛するが故に、生者としての想い人の幸せを願い、冥府でのペナルティを覚悟に二人を現世に返す決断をするのです。
私がすることを理解しようとしないで。この世界でもこれはとても考え難いことなの。
オルフェウス神話には、もう一人重要なキャラクターがいます。冥王ハデスの妻ペルセポネーです。
神話では彼女はオルフェウスの美しい琴の音色に感動し、エウリディケの帰還に助力します。この関係性はまさにユーリディスの蘇りに貢献した死神そのもの。
ペルセポネー=死神と仮定した場合、彼女が抱いたオルフェへの慕情は正に浮気。ハデスの怒りに触れたと捉えることもできますね。
因みに本作はノーラン監督の『TENET』にも影響を与えているようです。(機械経由の時間遡行と鏡経由の冥府降り)
なぜオルフェウスは冥府の出口で振り返ってしまったのか
冥府から現世に戻る途中で、決して振り返るなとのハデスの命を破ってしまったオルフェウス。
愛する者との帰還を目の前にしてなぜ振り返ってしまったのでしょうか。
映画『オルフェ』ではあまりその描写はなされません。現世に戻った後のオルフェとユーリディスが偶然視線を合わせてしまい、ユーリディスは冥府へと舞い戻ってしまいます。
そこでは感情的な要素は取り除かれ、物語はオルフェと死神(ペルセポネー?)の関係性を中心に構成されているわけです。
実際、オルフェウスはエウリディケが本当に後ろをついてきているか不安に駆られ、振り返ってしまったとされています。
そう考えると、前回紹介した『燃ゆる女の肖像』におけるマリアンヌの心情とは、エロイーズについて来て欲しかったというものでしょう。
振り向かなければ会えるという縛りが、逆にオルフェウスに猜疑心を植え付けることになったのかもしれません。
永遠の別れの予感が、最後に目に焼き付けたいという衝動を生むのでしょうね。