K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

キュー

2021年06月12日 | 文学
久しぶりの更新です。4月・5月全く更新せず気づけば梅雨入りが目の前に……時の流れの残酷さは誰にでも平等ですね。
今回は敬愛するSF作家上田岳弘氏の『キュー』をご紹介いたします。

さあ、今から「世界最終戦争」を始めよう。人類を終わりにするために。

平凡な医師の僕が突然拉致された先では、世界の趨勢を巡る暗闘が繰り広げられていた。その中心には、長年寝たきりのはずの祖父がいるという。そして明かされる祖父の秘密、それは人類を一つに溶かすという使命なのだが――

プロローグを除き全部で九章構成となる本作。章節タイトルはすべてが「キュー」という徹底ぶりで、順に急・旧・九・求・究・宮・久・球・と流れていきます。
現代の分断された社会を《世界最終戦争》という切口で捉えた見事な作品でした。



人類の進化 ー パーミッションポイント

上田岳弘が過去の作品から一貫して描いているのは、テクノロジーの進歩とその行末です。本作では《予定された未来》と表現されます。
技術が人類を統合するという彼の基本思想はブレませんが、今回新しく加えられたのはそこに至るまでにいくつかの中継点、即ちパーミッションポイントがあるという点です。

作中では人類の進化には避けては通れない18のパーミッションポイントがあるとされ、今現在9つの事象《言語の発生》《文字の発生》《鉄器の発生》《法による統治》《活版印刷》《自律動力の発生》《世界大戦》《原子力の解放》《インターネットの発生》が発現。

そして次に予定されたパーミッションポイントが、俗にAIが人類を追い越すと言われている《一般シンギュラリティ》でした。
そこから人類は加速度的に進化し、《寿命の廃止》《性別の廃止》《世界最終戦争》《個の廃止》《言語の廃止》《時の留め金の解除》《拡張真実》等を経て《予定された未来》へと向かっていくわけです。

雪の結晶のように美しい人類の軌跡。時間軸にしたがって滑走すれば、無限の可能性があるように見える人類の活動が、十八のパーミッションポイントに収斂していく様が見て取れます。
上田岳弘『キュー』新潮社(2019年)より

まさに『2001年、宇宙の旅』で登場した「モノリス」との邂逅が如く人類の進化はパーミッションポイントの通過によって促されていくわけです。



人類の終着点 ー 世界最終戦争

主人公は立花徹という心療内科医なのですが、物語の中心は彼ではありません。
第二次世界大戦の記憶が中に入っているという主人公の同級生恭子と主人公の祖父、嘗て石原莞爾とも親交のあった立花茂樹、この二人を中心にさまざまな因果が収束していきます。

戦後のフィクサーとして活動していた立花茂樹は盟友とも言える石原莞爾の掲げた「世界最終戦論」を実現しようと奔走します。
それは嘗ては極西の大国アメリカと極東の満州国(大東亜共栄圏)との戦いによって石原莞爾によって実行される予定でしたが挫折。代わりに戦後、「等国(レヴェラーズ)」と「錐国(ギムレット)」の対立によって実行に移されることになります。

「等国」が権力を個人にまで分散させていく社会モデルなのに対し、「錐国」は権力をとある個体に集約していくモデルとして定義されており、資本主義の権化アメリカと共産主義の大国中国との分断を暗示させます。

大澤信亮氏の非常に詳しい論考「小説の究極ー上田岳弘論」でも、上田氏の描く分断する世界を以下のように表現していす。

人類には突き詰めると、垂直に統合する傾向と、平等に共和化する傾向がある。

つまり、人類は現在ある種行き詰まっており、それが米中対立として顕現しているわけです。そして石原莞爾の思想によれば、勝者に世界が傾いていく、世界が統合されていくことになります。

結果として、日満中、あるいは他のいずれかはわからんが、一つが盟主となるだろう。…(中略)…その時点が東西の二つの人類の行き止まりだから、そこでとうとう激突する。どちらの方が世界を統べるにふさわしいかを決める最終決戦だよ。《世界最終戦争》が必ず起こることを俺は東アジアの同朋たちに予言しておかねばならん
上田岳弘『キュー』新潮社(2019年)より

東洋か西洋か、世界統一の原理がどちらに傾くかの最終戦争。第二次大戦で実現し得なかったこの決着を、立花茂樹は錐国と等国に担わせることで、強制的に人類を次のステージへと進めることを選ぶわけです。



人類の終焉 ー 権力の放棄

では、《世界最終戦争》を経て人類はどうなっていくのか。結果はどうあれ、石原莞爾の想定通り勝った方に世界が収斂していくことになります。
そこで人類は《個の廃止》というパーミッションポイントを通過し、上田氏が他作品でも言及しているような、一つの人類として「肉の海」へと変貌していくことになります。

《寿命の廃止》で永遠の命を手に入れ、《時の留め金の解除》により時間を操ることもできるようになった人類。18のパーミッションを経て完成してしまったかのように見えました。では、人類はいつ終わるのか?

コールドスリープから目覚めた最後の人類「Genius lul-lul」は、そうした行き詰まった人類を更に進化させるパーミッションポイントを見出します。

Genius lul-lul、君のした願いごとは、シンプルでとても美しいな。すべての権限を放棄しろ。そうだね。最後の三つのパーミッションポイントをRejected Peopleに委ねたところで、結局、人類は権限だけは手放さなかった。君が天才だということ、僕は信じたくなっている。
上田岳弘『キュー』新潮社(2019年)より

最後に訪れる人類の進化は《権力の放棄》である、この提言が最終章でもある「救」に現れたということは、それが救いに繋がるのではないかというメッセージに他なりません。
そして、プロローグで引用されるのは「第九条」であり、物語の秘密結社が位置するのは地下29階(B29)であり、運命の人が降り立つのはテニアン島であり、この小説は第二次世界大戦と九条に対する上田氏の思想が反映されたものだとも捉えられるでしょう。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。



第二次世界大戦という過去、東京オリンピック直前にある現在、そして人類が「肉の海」と化した未来。本作はこの3つの時間軸が複雑に絡み合っており、理解するのが非常に難しい作品でした。
ただ、小説の構造が徐々にわかってくると如何に綿密に練られたものか、その気宇壮大な構想に感服してしまいます。

以下、最後に胸に響いた言葉を引用して終わりにします。誰の言葉かはぜひ小説を読んで確かめてみてください。

自分がいなくなり、再び言語が廃止されたとしても、それらの発する微かな熱はなくならないはずだ。何かのきっかけを持って、ただ身を潜めているだけなのだ。
上田岳弘『キュー』新潮社(2019年)より


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