呪文じゃないよ!
ようやく今日から授業開始ということで。
のっけからねぶっちでスタートしてしまいました。
どうも、とりわけ最近朝に弱いただけーまです。
寒いからかな?(・ω・)
夜遅いからかな?(・ω・)
でも、疲れていたので許してください。
サークルの合宿で新潟に。
その後は箱根の旅行で、一昨日は熱海に行って参りました。
ふふっ・・・充実してるだろ!
ということでぼくの夏休みは熱海で終わりましたとさんさん。
しかも海上花火を高級マンションから見れて、有終の美を飾れたと思います。
いやー楽しかったー。
砂浜に埋められたけど。
今朝も耳から砂出てきたけど。
買ったばっかりのずぼんだったけど。
(笑)
まあそんなことはさておき。
その前日にグスタボ・イソエ展に行って参りましたので。
感想をば!
練馬区美術館です。
個人的にはすごい好きな美術館!
前回も書いたけど、何が良いって人がそんなに多くないし。
展示の内容とか構成がすごい安定してるし。
すごーい普通の美術館なんですけど。
でも東京にいたらそうした普通の美術館がとても際立ってよく感じてしまうというか。
なんか落ち着くのですごい好きです。
ただ、アクセスが悪いのが難点。
中村橋ってwww
池袋に出ないと・・・家からだと2回乗り換え。
その日は荻窪に用事があったのでバスで直通だったんですけど。
なんであんなにアクセスのよくないところに・・・
まあ、上手くいけば渋谷から1本で行けるのか。
区立だからしょうがないとは思うものの。
まあだから落ち着いた雰囲気なのかもね。
オススメです^^
さてさて。
中身の方ですが。
こちらも負けず劣らずすっごーいよかったです!
磯江毅という日本人の画家なんですけど。
スペインのマドリードに留学してリアリズムを追求した画家です。
しかし、単純なリアリズムではなく、そこにある種の特殊性を見出そうとしている点に磯江の特徴があります。
ボードリヤールの言うアウラ的なものがそこにはある気がします。
淡白な意味のリアリズムを追求するのならばそれは写真でことが足りる。
しかし、やはり写真では代用できない何かがあるからこそ、
写真が開発されても、平面による立体表現という手法は生き残って、
写実絵画というジャンルが残り続けているのでしょう。
写実とは真「実」を「写」すこと。
して、視覚的情報のみが対象の真実なのか。
磯江の関心事はこれにつきます。
外見と真実は違う。
内面と外見が一体となって対象の真実を作る。
リアリズムの画家は、そういった、対象の真実を見抜くことが必要なのだと。
磯江は写実考として語っています。
リアリストには審美眼というものを彼は求めていたのかもしれませんね。
ちなみにマドリードにはリアリズムの巨匠アントニオ・ロペス・ガルシアという方がいらっしゃって。
彼も磯江のことを高く評価していたようです。
特に<鰯>という作品は今回の展示の目玉でもあったようですが、
彼の目に止留まったようです。
そんな対象の内に秘められたアウラ的なものを求めた彼は、
実はヴァニタス絵画という死を主題とした絵画も書いていて。
多岐に渡る関心事が感じられます。
「死」という対象とはなりえないものを、リアルにある対象の内面を組み合わせて作る。
そういう操作がなされている気がしました。
彼の技術的にすごいところ(全部すごいですけどww)は、
対象の質感まで平面に興せたという表現力だと思います。
それはアントニオ・ロペスも認めるところで、
彼は、生モノの有する水水しさとか、セーターの毛の質感とか、コートのフェルトの質感とか・・・
とにかく視覚でしか捉えられないはずの絵画から、質感を捉えることもできるという超高度な技術も有していると言えましょう。
ああ、このセーターこんな触感で、この若鳥の死体はこんな触感で、
というのが、脳のトップダウン的な機能から感じ取れるという、記憶と連結される絵画と呼べるかもしれません。
記憶=現実ですから、それと結びつく絵画は、リアリズム画家にとって究極の到達点とも考えられそうです。
そして、クロッキー帳など下書きの段階でも彼の、というかリアリズムの画家はそうなのかもしれませんが、
他の画家には見られない特徴が見られました。
まあ、他の画家と言ってもクロッキーまでまじめに目を通したのはそんなに多くないですけど。
とにかく、クロッキーとか下絵の段階だと、非常にホログラム的に解像度が低い。
しかし、完成した絵画は写真と見まがうほどのリアリティーなわけです。
他の画家の下絵は、下の時点で完成作品に近かった記憶があります。
少なくとも、「解像度」という観点からすれば著しく異なることはなかったように思います。
そこにリアリズムの特徴が表れているのではないかと感じました。
というわけで個別の感想!
<深い眠り>
女が深い海の中へ沈んでいくかのように思わせるこの絵は。
ソファで寝かせた女をソファなしで描いた結果出来たイメージです。
リアルとヴァーチャルの融合が起きているわけですね。
そういった現実との境界を曖昧にしたことで独特な雰囲気が生じているとも考えられるでしょう。
神秘的な作品・・・流石は代表作という感じでしょうか。
あ、リアリズムじゃねーじゃんって突っ込みはなしでwww
<横たわる女>
これは未完に終わってしまった作品で、遺作となってしまったものです。
何がすごいって、こんなに完成度が高くても未完なんだなということ。
彼は、手の下を通る静脈を満足に描ききれず他界したそうです。
そもそも、個人的にはどうして目にはっきり見えないものを、あたかもはっきり見えてるかのように描けるのか不思議でなりません。
たった数本の静脈が描けずに完成をしなかった作品。
磯江の熱い魂が感じられます。
ほかにも高橋由一へのオマージュがあったり、
ルネサンス絵画の模写(非リアリズム絵画をリアリズム手法で描くという面白い試み)があったり、
おもしろい作品は多かったのですが、ここでは割愛します。
てか、もう遅いので寝ます笑
おれまじめすぎわろた。
hona-☆
ようやく今日から授業開始ということで。
のっけからねぶっちでスタートしてしまいました。
どうも、とりわけ最近朝に弱いただけーまです。
寒いからかな?(・ω・)
夜遅いからかな?(・ω・)
でも、疲れていたので許してください。
サークルの合宿で新潟に。
その後は箱根の旅行で、一昨日は熱海に行って参りました。
ふふっ・・・充実してるだろ!
ということでぼくの夏休みは熱海で終わりましたとさんさん。
しかも海上花火を高級マンションから見れて、有終の美を飾れたと思います。
いやー楽しかったー。
砂浜に埋められたけど。
今朝も耳から砂出てきたけど。
買ったばっかりのずぼんだったけど。
(笑)
まあそんなことはさておき。
その前日にグスタボ・イソエ展に行って参りましたので。
感想をば!
練馬区美術館です。
個人的にはすごい好きな美術館!
前回も書いたけど、何が良いって人がそんなに多くないし。
展示の内容とか構成がすごい安定してるし。
すごーい普通の美術館なんですけど。
でも東京にいたらそうした普通の美術館がとても際立ってよく感じてしまうというか。
なんか落ち着くのですごい好きです。
ただ、アクセスが悪いのが難点。
中村橋ってwww
池袋に出ないと・・・家からだと2回乗り換え。
その日は荻窪に用事があったのでバスで直通だったんですけど。
なんであんなにアクセスのよくないところに・・・
まあ、上手くいけば渋谷から1本で行けるのか。
区立だからしょうがないとは思うものの。
まあだから落ち着いた雰囲気なのかもね。
オススメです^^
さてさて。
中身の方ですが。
こちらも負けず劣らずすっごーいよかったです!
磯江毅という日本人の画家なんですけど。
スペインのマドリードに留学してリアリズムを追求した画家です。
しかし、単純なリアリズムではなく、そこにある種の特殊性を見出そうとしている点に磯江の特徴があります。
ボードリヤールの言うアウラ的なものがそこにはある気がします。
淡白な意味のリアリズムを追求するのならばそれは写真でことが足りる。
しかし、やはり写真では代用できない何かがあるからこそ、
写真が開発されても、平面による立体表現という手法は生き残って、
写実絵画というジャンルが残り続けているのでしょう。
写実とは真「実」を「写」すこと。
して、視覚的情報のみが対象の真実なのか。
磯江の関心事はこれにつきます。
外見と真実は違う。
内面と外見が一体となって対象の真実を作る。
リアリズムの画家は、そういった、対象の真実を見抜くことが必要なのだと。
磯江は写実考として語っています。
リアリストには審美眼というものを彼は求めていたのかもしれませんね。
ちなみにマドリードにはリアリズムの巨匠アントニオ・ロペス・ガルシアという方がいらっしゃって。
彼も磯江のことを高く評価していたようです。
特に<鰯>という作品は今回の展示の目玉でもあったようですが、
彼の目に止留まったようです。
そんな対象の内に秘められたアウラ的なものを求めた彼は、
実はヴァニタス絵画という死を主題とした絵画も書いていて。
多岐に渡る関心事が感じられます。
「死」という対象とはなりえないものを、リアルにある対象の内面を組み合わせて作る。
そういう操作がなされている気がしました。
彼の技術的にすごいところ(全部すごいですけどww)は、
対象の質感まで平面に興せたという表現力だと思います。
それはアントニオ・ロペスも認めるところで、
彼は、生モノの有する水水しさとか、セーターの毛の質感とか、コートのフェルトの質感とか・・・
とにかく視覚でしか捉えられないはずの絵画から、質感を捉えることもできるという超高度な技術も有していると言えましょう。
ああ、このセーターこんな触感で、この若鳥の死体はこんな触感で、
というのが、脳のトップダウン的な機能から感じ取れるという、記憶と連結される絵画と呼べるかもしれません。
記憶=現実ですから、それと結びつく絵画は、リアリズム画家にとって究極の到達点とも考えられそうです。
そして、クロッキー帳など下書きの段階でも彼の、というかリアリズムの画家はそうなのかもしれませんが、
他の画家には見られない特徴が見られました。
まあ、他の画家と言ってもクロッキーまでまじめに目を通したのはそんなに多くないですけど。
とにかく、クロッキーとか下絵の段階だと、非常にホログラム的に解像度が低い。
しかし、完成した絵画は写真と見まがうほどのリアリティーなわけです。
他の画家の下絵は、下の時点で完成作品に近かった記憶があります。
少なくとも、「解像度」という観点からすれば著しく異なることはなかったように思います。
そこにリアリズムの特徴が表れているのではないかと感じました。
というわけで個別の感想!
<深い眠り>
女が深い海の中へ沈んでいくかのように思わせるこの絵は。
ソファで寝かせた女をソファなしで描いた結果出来たイメージです。
リアルとヴァーチャルの融合が起きているわけですね。
そういった現実との境界を曖昧にしたことで独特な雰囲気が生じているとも考えられるでしょう。
神秘的な作品・・・流石は代表作という感じでしょうか。
あ、リアリズムじゃねーじゃんって突っ込みはなしでwww
<横たわる女>
これは未完に終わってしまった作品で、遺作となってしまったものです。
何がすごいって、こんなに完成度が高くても未完なんだなということ。
彼は、手の下を通る静脈を満足に描ききれず他界したそうです。
そもそも、個人的にはどうして目にはっきり見えないものを、あたかもはっきり見えてるかのように描けるのか不思議でなりません。
たった数本の静脈が描けずに完成をしなかった作品。
磯江の熱い魂が感じられます。
ほかにも高橋由一へのオマージュがあったり、
ルネサンス絵画の模写(非リアリズム絵画をリアリズム手法で描くという面白い試み)があったり、
おもしろい作品は多かったのですが、ここでは割愛します。
てか、もう遅いので寝ます笑
おれまじめすぎわろた。
hona-☆
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