K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

安部公房「天使」

2013年01月17日 | 文学
久しぶりに文学の更新。
まあ、卒論でも扱った安部公房の話なんですけど。
「天使」という短篇を取り上げようと思います。
昨年の11月に見つかった、安部の22歳の頃の作品です。
安部の三番目の作品だとか。
いやあ・・・やっぱり安部の小説は難しいですね。
22歳でこんな小説書いてたとか本当に信じられないレベル。

内容をざっくり言うと、入院患者が天使に変貌する変身譚です。
「変身」というよりは、自身の認識の変化という方が正しいですね。
主人公はある日、食事を運んでくる看護師(或いは医師)を天使だと再認識し、それに取り囲まれてる自身もまた天使であると認識していく。
壁が「無限そのもの」に変貌し、病室の外は「天使の国」であった。
そこで、白衣の人々を天使だと認識していくわけです。

狂人の精神を描写したらこんな感じになるんですかね・・・

全体としては主人公の誤認が凄まじかった印象。
病人として、すれ違う医師からはいぶかしい目で見られているのに気づかず。
息子との対峙でも、わけのわからない天使の口上を述べて拒否してしまう。
狂人が白い目で見られ、わけのわからない文句をわめいている情景は容易に想像できるものの、文章にしたらこうも世界はズれるのか。

日常というものが観方によってここまで意味のわからない世界になってしまう。
壁が「無限そのもの」に変貌していく様は、まさに日常の異化という手法に他ならない。
「日常の破砕」とは安部が何度も用いた手法です。
変身譚の根幹にもこういうものがあるのかもしれませんね。

単純な変身譚はシュルレアリスティックな手法として非常に多く用いられていて「赤い繭」「棒」「箱男」なんかの作品がありますが。
でも、これらの変身譚は身体は「モノ」として捉えられている点で、やはりこの「天使」とは違うんですよ。
意識の転換というか、内的変身譚というか?

安部の小説には、植物を観察していた男が植物になるという「デンドロカカリヤ」という話があるんですけど、これは内的変身譚に近いような気がします。
観察者が観察対象と入れ替わる、というのは「天使」とも少し異なった手法ですけど。
アルゼンチン作家フリオ・コルタサルの「アホロートル」という話に似ています。
アホロートルを観察していた男がアホロートルと入れ替わってしまう話。

安部公房には南米で流行った「魔術的リアリズム」の影響があると授業で習ったので、フリオ・コルタサルの影響があったことは十分に考えられますね。
まあ、確証はないですけど笑

最近文学からはめっぽう遠ざかってるので、読書の習慣取り戻しますかな~。
せっかく卒論も終わって時間もあることだし!
そしてあわよくば自分の書きかけの小説も・・・

と言いつつ、獲らぬ狸のなんとやらにならないようにしなければ笑

hona-☆

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