巷のゲーム遊びとは違う
自分の生き方を証明するようにする
考え方のベースが自分はOK で 他者は Not OKの人は 「やっぱりそうやんな」というように持っていく
自分がNot OKで他者がOK の人もしかり
傲慢タイプはそれを証明し
自己ひげタイプはそれを証明する
そして上塗り上塗りしてそのまま人生を閉じるわけだ
自分の人生のシナリオを中学生頃には書き上げるといわれている
なにも文章に書いて本にするわけでは無いのだがシナリオそう自分の生き方を決めている
筋書きを決めているからその通りに生きているというものだ
人の考えは「自分で」と思っているが
良く考えると親(養育者)からの伝達通りというのが大半を占める
第二次成長期に親からもらった考えを考察しなおす時期があるが
その考察の仕方もこれまたほぼベースは親からのベースになる
私にとっての養育者とは母が5歳からの養母で小学校の教員で父は実父で政治に携わっていた
3歳までに幼児決断をするというのだが「ロッキードのように『記憶にございません』」
ところがヒーリングワークを受けたり
他の心理学の講座を受けるにつれて
浮き彫りになって来る
それは秋にエガチャンが
「なんで上倉は金無い・カネナイっていうんやねん。それはそこからきてるんかなあ?」と言ったことがある
そういわれてどこからそんな考えが来るか観ようと
きちんとお金の流れをつけ始めた
かれこれ半年きちんとつけている
きちんとつけ続けた
今迄にもつけてはいたが・・・・・
サラリーの範囲で付けていた
そしてこんがらがって・・・・・・
やっぱり「ないからだ」と決めつけていた
ところがどこからそんな考えが来るのか?と変えてつけてみると
☆入ったものはすべてでていく
☆ないわけではなくある
ではそこからがテーマかも・・
と思っていた
なぜなら
まあまあほかのことは進歩の具合が良い
このお金については根深いのかなあ・・という思いがあった
お金は人間が誕生してから日も浅いから誰もがちゃんと扱えているわけではないとか・・・・・
ところが・・・・
この土日ゲーム分析を受けることで大きな気づきがあったのだ!
そのゲームは人生の脚本を創る大きなテーマとして取り上げられ
それに基づいてストーリーが創られていく
それても
他のことが起こっても
必ずテーマに戻るのだ
つまりテーマを変えない限り
死ぬまで脚色を変えて来る返されるということが
実体験を通して実感・・体感したのだ
はっきり認識することで
これはテーマの書き換えが出来ることになる
つまり書き換えるときにはそのテーマではない事
脚色を変えるのではない
テーマを変えるには
そのテーマで自分が傷ついた子供であるそのことを受容癒しすことだろう
その前にそれを確り直面することだ
ゲームの名前は
「盗人に追い銭」
形を変え人を変え産みの母がしてきたこと
5歳からの養母もしてきたかもしれない
ひょっとしたら父もそうかもしれない
私はコピーをやめる!
原紙の書き換えを今日から始める
人生脚本の書き換えに取り組む
これは予習が始まったのだ
人生脚本を書き換えるトレーニングをすると決めたからだろう
またきたか
いつもこうなる
もう絶対嫌だ
それなのになぜ
やっぱり私には無理なのか
そういう一連の流れにはゲームが潜んでいて
それが人生の脚本を作り
だから
やっぱりそうなるのだ
それは自分が決めているという事すら気が付いていないということだ
このことに気付き書き換え作業をするのだから・・・・・・
これは人生丸儲けです!!
そして今まで私の人生に登場した人物は
今、このことを気が付くように配役を見事に演じきってくれていました
ゲームを繰り返し起こすようにしてくれた人・・・
私をコピーする息子たち
きっぱりそのこととは知らず助言をくれる友人
私をカモにしている友人(友人は無意識であるはず・それが彼女のテーマだからねえ・・きっと)
さあ・・私はこれから
どんな人生をテーマにして
人生丸儲けしていくのでしょうか!
信じるのです
自分も他者も
基本的人間観で
過小評価(ディスカウント)することなく
感情を選び取るれるということを念頭に
はりまっせ・・ここから
泉のようにエネルギーが湧いている
穏やかにコンコンと
今年年頭に考えていたことがここへ結びつくとは・・・・・
これは学び続けた経過途中である
人生の幕が下りるまで
確り自分で自分の人生に責任を持ち生き続ける
徒労感や疲労感ではなく
充実感・幸福感・悦び・嬉しさ・楽しさ
愛をこぼれるほど与え与えられ
幕とじる
それまでの時間は未定である
だからこそ
今・ここ
大事に生きる
やっと私は私の人生を握った!という感じがする
嬉しい!