続・タグさんの風雪

あっこんなところに・・
という感じであちこちに生存の痕跡を残そうという儚い試みです。

端境期

2010-05-07 10:03:41 | 日記

取り巻く人間関係が音を立てて変遷を遂げている。



特筆は家族関係だ。



次男坊を軸にした新たな、しかも強固な家族関係の基盤が出来つつある。



それは今までの、親が子を扶養するということを軸に成り立っていた家族関係ではなく、子の意思や動機が深く関った新しい家族関係なのだ。



私は今時の、夫婦関係を軸にした外観形式主義の家族関係の中では、人間としての本質的な子の育成はできないと思っている。
家庭は子が巣立つ場所に過ぎなくなっていて、
子が巣立つことで親子関係も家庭も無用になる。
残った夫婦が死ぬことでその家庭は消える。
それが社会にとって都合のいい管理しやすい
核家族システムというやつだ。
老いて子に従うという故事に一抹の真理があっても、親を想う子が育っていなければ、空論に過ぎない。

異端の辺境にあっても、親を想いやれる子が
育成されている限り、家庭の外観がどうあろうとも心配はいらないというのが私の家庭に対する考え方であったから、今回の家族が見せた夫々の表情は私を安堵させるに充分なものがあった。



次男坊を軸にまとまった新たな家族関係は情愛に満ちていて、次の時代の息吹を感じさせる値打ちのあるものであった。私に対する配慮や思いやりは身に余るもので、自分の選択が誤りではなかったと実感することができた。



夫婦関係が壊れると家庭が成立しなくなるのは、いつまでも夫婦関係と子の扶養を中心に据えた家作りを行っているからで、早くから子を家長に据えた家作りを行っておけば、老齢で起きる様々な現象や不協和音にも健康的な時勢に惑わされない対処ができるようになる。



妻が夫に従わないということは多いが、子には従うから、夫が子の尊厳の対象でいる限り、子の主権の元で世代を超えた家族の結集が実現するのです。



次に玉石混淆の友人関係。



こちらにも大きな収穫があった。生活の利便や仕事の都合で連なった友人関係は、何かの突発的な出来事を経て思いもかけぬ発展を見せる。



人としてどう生きるかという魂の渇望に近い問いかけに共鳴しあえる友は貴重だ。



60年という人生の節目は、単なる暦の数字合わせだけではない科学的裏付けが存在するのではとさえ思い始めている。



新たな友との変遷を経るためには、失うことも辞せずの勇気が必要かとも思う。家族関係の構築の時のように。



思いもかけず友人の1人が援助の手を差し伸べてくれて、その御蔭で5月分の家賃を支払い夜逃げを延期できることになりました。



根本の問題の解決にはまだこれからいくつかの難題を解決してゆかねばなりませんが、結果はどうあろうとも、私はここでも新たな人間関係の萌芽を迎えることになったのです。



いま私は我が人生に悔いなしの思いを噛み締めています。