続・タグさんの風雪

あっこんなところに・・
という感じであちこちに生存の痕跡を残そうという儚い試みです。

競売やと

2010-08-31 23:11:36 | 日記

差し押さえされた隠し財産が競売やと。



該当債務は6年分の固定資産税やら何やらが約50万円、相手は役所だ、最悪だ。



それにしても早い、早過ぎる。



脅しにしては淡々と軽いから、本当にやるような感じだ。



更地ではないから現況で競売されたらただ同然の価格で応札されてしまう。向こうは延滞地方税が回収できればそれで一件落着だろうが、こちらは先々に予定があるから、はい、そうですかというわけにはいかない。値下がりしてはいるが国道沿いの百坪だから最低でも数百万の価値はあるはずだ。



いくらかでも支払えば半年延ばしてくれるらしいが今はそのいくらかもない。



わずかだが看板料収入もあるから、今あの土地が流れてしまうのは拙い。何とかせねばならぬ。



来年3月から年金が入ってくるが、それでは間に合わない。還暦で何もかもがゼロになるようにセットされてるのだろうか。


























何となく

2010-08-27 17:58:14 | 日記

何となくいつもより涼しい。



思い切りエアコンを効かせて熱いコーヒーを淹れ深い困惑の中に浸ってみる。



気分転換などではなく、そこに埋没という逆行を試みる。



思索に浸ってもどうにかなるものではない。根本は形而下にある実体経済の問題なのだ。



こういう時何か答えを見出しても、それは大よそ「考え違い」というものだろう。



だが人は何かせずにはいられない存在だから、一応考えるという素振りで存在の正当性と生存の許容を得ようと試みるのだ。



解っていてもやめられないということもある。



メディアは死刑制度への啓蒙を開始したようだが当方には関心はない。戸籍上の生存問題に引っ掛けて持ち出すあたり一応仕事になっているのだろうがいかにも乗りが軽い。



これから機を見て何度も持ち出して来ることになるのだろう。



羊の群れの囲い込みのつもりなのか偉そうにと感じるのは、多分当方がひねくれているからなのだろう。

最近は道行く人が犬など散歩させているのに出会うと素直に羨ましいと思える。いざという時に食糧の備蓄のある暮らしはいいものだ。



人の感性は置かれた環境に束縛されるから「可愛いですね」などという言葉を真に受けてはいけないのだ。









 

















死んでいるのに生きていることになっているというのは笑い話だが、生きているものの命をどう扱うかをその延長で語るのは不謹慎というものだろう。




蛙が殺された

2010-08-26 05:15:59 | 日記

 



 蛙が殺された
 子供がまるくなつて手をあげた
 
みんなでいつしょに
 かわゆらしい
 血だらけの手をあげた
 月が出た
 丘の上に人が立つている。
 帽子の下に顔がある。





           萩原朔太郎「月に吠える」



中学三年の夏、担任が読めと寄こした朔太郎詩集「月に吠える」の一節だ。



読んで時間が止まったような衝撃をうけた。



ことばの中に奥行きのある静止画のように描かれた殺伐とした精神世界の風景を見た気がした。



その風景は自分とそう遠く離れたものではないと感じた。



あれから40余年。



やっと40年で、既に40年だ。



ぐるっと周ってなんとやら。



何が変わったのか、何がそのままなのか。



見回してみても答えは無い。



我が身の内にあるは余熱のけだるさ。



通り過ぎてしまった停留所の場所も名前も夏の暑さで蜃気楼に霞んでいる。



時は流れず凍てついて窓に張り付いている。



でもよいではないか、また次のバスが来る。
















こなくそ暑いな

2010-08-22 19:39:30 | 日記

小沢氏が要職に就くことを求めない国民が七割だと言う。



世論調査の結果ということだ。



メディアは我が意を得たりとこのことを流し続けている。どうしても小沢を葬り去りたいという勢力が未だ気を許してないということなのだろうが、政治家個人をこれだけ執拗に名指しで世論調査の対象に取り上げるというのももう既におかしなことだ。



「誰が」ではなく「何を」政治に求めているのかを詳らかにすることの方が世論調査の本旨だと思うのだが、何もかもが下品な思惑で運用されているようで聞く度に気分が悪くなる。



あれだけ悪役のレッテルを貼り続けてきたのだから、大部分の庶民がそう思い込むのも無理はないのだが、もう二年も続いているのだからそのことの不自然さに気付く人々がもっと増えてきてもいい頃だ。



しかし小沢氏も靡かないものだと感心する。



まるで不動だ。揺るぎが無いというのもここまでくるともう充分に異端者ということにもなる。



小沢が訴え続けているのは政治主導の原理原則なのだから、彼の改革の焦点は官僚機構とそこと結託したメディアということになる。



これは日本の全権力と対立しているということになるのだから、彼の揺るぎのない信念の強さは次に途方もない抵抗を誘い込んでしまうのだろう。



菅氏のように処世をやり遂げることばかりの人間はあちこちに迎合してしまうから、敵対勢力も一息入れることができる。



おかげで財務官僚の意を汲んで増税を口にして誠意と柔軟を示したつもりが、選挙で負けるという羽目に陥ってしまった。



彼の場合は会社の管理部門の長、例えば総務部長や人事部長が社長になってしまったようなもので、売上げを上げる術など元から持ち合わせていないのだから、国の運営など官僚と組まない限りは果たせるものではない。



言わされたのか言ってしまったのか、小沢と距離を置くという表明自体が今は命取りになろうとしていると感じる。



官僚機構の傀儡政権では民主の看板からして自ずと潰れてしまうだろう。



最後には再編、大連立という有名無実に逃げて延命に汲々とすることになるのは素人目にも読めることだ。



根っからの事務屋に経営は無理なのだよ。



政治的解決の課題ばかりが残ってしまった現状でどちらが政治的に価値を持っているのかは明らかだと思うのだが、激動を嫌う日本の庶民が真綿で首が絞まってきているから、暫くは面白い展開が続くように思う。



心配なのは小沢氏にはもうあまり時間が残されてないということ。主なき形だけの政治機構はいつの時代も誰かに利用されて食い物にされてきている。



日本の将来など、どうにかなってしまった方がいいのではとも思えるから、それが多数の無言の意思となりそっちの方に行ってしまうのだろう。








何が何して

2010-08-21 19:41:39 | 日記

米を10kg買ったのは正解だったようだ。



自転車を調達したらまた文無しになってしもうた。



油断大敵、信賞必罰、楽あれば苦あり、禍福は縄の如しで、奇想天外も、もう言うことなしの心境だ。



近所に畑でもあれば自給自足に突入だが、公園の夏草の雑炊では腹の足しにもしゃれにもならん。



することもないからといって、ただ当ても無く自転車で彷徨うのも空しいばかり、戯れに木津川に釣り糸でも垂れてみようか。