う~ん この不安と似たものを 味わったことがあります。
靱帯断裂!
実は、昨年冬、まだ欧州にいた頃、モンブランの麓の街シャモニーにつながる
スキー場で、モンブラン山頂も眺められる最高の景色の上級者用コースで、
ちょうど冬季オリンピックのモーグルの上村愛子のイメージも頭にあり、
こぶを ゆっくりながら がんがんが、、、と滑っていたところに
欧州人の さほど うまくない大きなお兄さんが突っ込んできて、
避けようとして踏み込んだときに、左膝が ボキッ と 大きな音。
避け方はうまかったんです。
突っ込んできた大きなお兄さんの板の真横に揃うような感じで私のスキー板。
ぶつかるのは避けられ、お兄さんは通過、私はこけた!
折れた? と 思いましたねえ。
立ち上がれるけど、膝崩れが起きる! 初めての感じでした。
まあ色々あって、どうにか地元にもどって救急病院へ。
「左膝前十字靱帯完全断裂」
フランス語の世界で、聞いたことも無い英単語の羅列の中、
模型を使って説明してもらって理解しました。
松坂大輔の「今は不安しかない」。わかります。
治療の選択の話をきいただけで、普通の私だって、気が遠くなりそうな話でした。
たとえば、私の場合、、
有力スポーツ選手なら手術を勧めるが、手術をしなくても、他の靱帯や筋力を
鍛えれば通常の生活は問題無くなる、、、とか。
手術をしても、正座ができるほどには戻らないケースとか。
(この正座を基準にするのは、欧州人医師には理解できませんでしたね)
あらゆるブログを見て、スポーツ運動能力関係を専門とする教授になった高校時代の
同級生にもメールで相談したり、
う~ん、でも、ふつ~にスポーツをやるくらいには、戻りたい。
たまたま以前も通ったことのある現地の私立病院は、
欧州のオリンピック選手も通う程の病院でした。
オリンピックの五輪マークも付いている!
手術をしても、正座が出来なくなる可能性があるのなら、手術はしないことにしました。
リハビリだけなら入院する必要はありませんが、
手術だと3~一ヶ月の入院が必要です。
手術の後のギブス生活が長いようでしたから。
膝ですから、足の付け根から足首までのギブス。そして、リハビリは毎日。
もし今手術しない場合、手術は、あとになっても出来るとのこと。
そしてもうひとつの選択。
リハビリは、現状の炎症等を押さえる程度にするか、
筋力ともう一つの靱帯と、右足の筋力も鍛えるか!
それは、運動選手と同じようなリハビリだと。
私は、運動選手並みのリハビリを選びました。
腫れと痛みが治まるまでは、杖を付いていましたが、欧州のサポーターは
しっかり収まらず、ぐらぐらします。
病院ではこれ以上のものは無いとのこと。 五輪マークがついていても!
日本でお世話になったことがある整骨院に相談して、送ってもらうことにしました。
これには助けられました。支えられ方が前々違います。
お陰様で、回復が順調だったような気がします。
痛みが治まってから、週3回の早朝、病院の中のスポーツジムのような場所で、
足関係の機材全てを使ってのトレーニングが始まりました。
安定感が出来てからは、ますます筋力と、損傷していない後十字靱帯を鍛えるため、
不安定な器具の上に左足を乗せて安定感を保ったり、
そのままでトレーナーとキャッチボールをしたり、遠目に置かれたボールを
不安定な状態のままで拾って返したり、、、
片足のままで椅子に座る状態まで腰を下ろして立ち上がったり、、、。
家での宿題リハビリもありました。
両足の筋肉はバンバンに腫れ上がり、膨れあがりました。
5ヶ月後の日本への一時帰国の際、先の教授になった同級生にスポーツ医学で
靱帯専門医師を紹介してもらい、駆け込みました。
医師曰「ここまで鍛えなくても、よかったのに~」と。
五輪マークが付く病院で、運動選手並みのリハビリを選んじゃいましたからねえ。
この時点で、正座は出来ていませんでした。
でも、結構順調な仕上がりに、日本の専門医師は、私が持ち帰った全てのレントゲン他
病院からの資料を持ち帰ったものを見て頂きました。
最初は、欧州病院のレントゲンのCDが、ソフトの違いか見られなくていたら、
さすがに専門病院ですね、パソコン等専門部門があるとかで、そこにCDを送って
見られるようになりました。 これには驚きでした。今の時代は当たり前?
すると、、、それをみたら、私の場合、完全断裂ではないようだと。
細い線で集まっている靱帯が、ちくわのようになっていて、真ん中の線は切れているか
伸びきっているけれど、外側が伸びているが残っているので、
完全断裂のような 緩みや ぐらつき 不安定さが無いから
断裂なりに しっかりしているとのこと。
これ、すっごくほっとしました。
では、同じレントゲン映像をみていたのに、欧州の診断は?
欧州の医師は、手刀を真横に切る素振りまでして断裂の説明をされたけど。
この後、サポーターを送って頂いた整骨院で、宿題も出されました。
そして、運動選手並みのリハビリも一段落し、怪我をしてから1年3ヶ月。
小走りもするし、ゴルフの打ちっ放しだけれど膝に不安無く普通に出来る。
ゴルフって、左膝命ですからねえ。
正座は、10ヶ月頃に出来ていました。
あれって思うのは、階段を小走りに上がっていると、頭の中では、右足同様に
引き上げているのに、思った程引き上がって無くて、躓くことが結構あります。
それでも、私は最初の五輪マーク付病院と、日本の専門医と、日本の整骨院には
恵まれて、ここまでの経過が辿れたと思っています。
私のようなケースでも、靱帯損傷して、どこまで戻るのかは、
戻ってきたことを確認するまでで、不十分なことがいつまでに戻るかは
誰にもわかりません。
さて、松坂大輔。
「野球人生で最大のピンチ」「今は不安しかない」
これから1年 無事な経過を辿られますように。
靱帯断裂!
実は、昨年冬、まだ欧州にいた頃、モンブランの麓の街シャモニーにつながる
スキー場で、モンブラン山頂も眺められる最高の景色の上級者用コースで、
ちょうど冬季オリンピックのモーグルの上村愛子のイメージも頭にあり、
こぶを ゆっくりながら がんがんが、、、と滑っていたところに
欧州人の さほど うまくない大きなお兄さんが突っ込んできて、
避けようとして踏み込んだときに、左膝が ボキッ と 大きな音。
避け方はうまかったんです。
突っ込んできた大きなお兄さんの板の真横に揃うような感じで私のスキー板。
ぶつかるのは避けられ、お兄さんは通過、私はこけた!
折れた? と 思いましたねえ。
立ち上がれるけど、膝崩れが起きる! 初めての感じでした。
まあ色々あって、どうにか地元にもどって救急病院へ。
「左膝前十字靱帯完全断裂」
フランス語の世界で、聞いたことも無い英単語の羅列の中、
模型を使って説明してもらって理解しました。
松坂大輔の「今は不安しかない」。わかります。
治療の選択の話をきいただけで、普通の私だって、気が遠くなりそうな話でした。
たとえば、私の場合、、
有力スポーツ選手なら手術を勧めるが、手術をしなくても、他の靱帯や筋力を
鍛えれば通常の生活は問題無くなる、、、とか。
手術をしても、正座ができるほどには戻らないケースとか。
(この正座を基準にするのは、欧州人医師には理解できませんでしたね)
あらゆるブログを見て、スポーツ運動能力関係を専門とする教授になった高校時代の
同級生にもメールで相談したり、
う~ん、でも、ふつ~にスポーツをやるくらいには、戻りたい。
たまたま以前も通ったことのある現地の私立病院は、
欧州のオリンピック選手も通う程の病院でした。
オリンピックの五輪マークも付いている!
手術をしても、正座が出来なくなる可能性があるのなら、手術はしないことにしました。
リハビリだけなら入院する必要はありませんが、
手術だと3~一ヶ月の入院が必要です。
手術の後のギブス生活が長いようでしたから。
膝ですから、足の付け根から足首までのギブス。そして、リハビリは毎日。
もし今手術しない場合、手術は、あとになっても出来るとのこと。
そしてもうひとつの選択。
リハビリは、現状の炎症等を押さえる程度にするか、
筋力ともう一つの靱帯と、右足の筋力も鍛えるか!
それは、運動選手と同じようなリハビリだと。
私は、運動選手並みのリハビリを選びました。
腫れと痛みが治まるまでは、杖を付いていましたが、欧州のサポーターは
しっかり収まらず、ぐらぐらします。
病院ではこれ以上のものは無いとのこと。 五輪マークがついていても!
日本でお世話になったことがある整骨院に相談して、送ってもらうことにしました。
これには助けられました。支えられ方が前々違います。
お陰様で、回復が順調だったような気がします。
痛みが治まってから、週3回の早朝、病院の中のスポーツジムのような場所で、
足関係の機材全てを使ってのトレーニングが始まりました。
安定感が出来てからは、ますます筋力と、損傷していない後十字靱帯を鍛えるため、
不安定な器具の上に左足を乗せて安定感を保ったり、
そのままでトレーナーとキャッチボールをしたり、遠目に置かれたボールを
不安定な状態のままで拾って返したり、、、
片足のままで椅子に座る状態まで腰を下ろして立ち上がったり、、、。
家での宿題リハビリもありました。
両足の筋肉はバンバンに腫れ上がり、膨れあがりました。
5ヶ月後の日本への一時帰国の際、先の教授になった同級生にスポーツ医学で
靱帯専門医師を紹介してもらい、駆け込みました。
医師曰「ここまで鍛えなくても、よかったのに~」と。
五輪マークが付く病院で、運動選手並みのリハビリを選んじゃいましたからねえ。
この時点で、正座は出来ていませんでした。
でも、結構順調な仕上がりに、日本の専門医師は、私が持ち帰った全てのレントゲン他
病院からの資料を持ち帰ったものを見て頂きました。
最初は、欧州病院のレントゲンのCDが、ソフトの違いか見られなくていたら、
さすがに専門病院ですね、パソコン等専門部門があるとかで、そこにCDを送って
見られるようになりました。 これには驚きでした。今の時代は当たり前?
すると、、、それをみたら、私の場合、完全断裂ではないようだと。
細い線で集まっている靱帯が、ちくわのようになっていて、真ん中の線は切れているか
伸びきっているけれど、外側が伸びているが残っているので、
完全断裂のような 緩みや ぐらつき 不安定さが無いから
断裂なりに しっかりしているとのこと。
これ、すっごくほっとしました。
では、同じレントゲン映像をみていたのに、欧州の診断は?
欧州の医師は、手刀を真横に切る素振りまでして断裂の説明をされたけど。
この後、サポーターを送って頂いた整骨院で、宿題も出されました。
そして、運動選手並みのリハビリも一段落し、怪我をしてから1年3ヶ月。
小走りもするし、ゴルフの打ちっ放しだけれど膝に不安無く普通に出来る。
ゴルフって、左膝命ですからねえ。
正座は、10ヶ月頃に出来ていました。
あれって思うのは、階段を小走りに上がっていると、頭の中では、右足同様に
引き上げているのに、思った程引き上がって無くて、躓くことが結構あります。
それでも、私は最初の五輪マーク付病院と、日本の専門医と、日本の整骨院には
恵まれて、ここまでの経過が辿れたと思っています。
私のようなケースでも、靱帯損傷して、どこまで戻るのかは、
戻ってきたことを確認するまでで、不十分なことがいつまでに戻るかは
誰にもわかりません。
さて、松坂大輔。
「野球人生で最大のピンチ」「今は不安しかない」
これから1年 無事な経過を辿られますように。