シェンヤン(瀋陽SHENYANG)生活体験記

中国東北部の瀋陽(昔の奉天、満州)。冬には-30度になる土地での驚きや感動を「初めて」の視線でおしゃべりしています。

春に訪れた広島原爆ドーム 68年後の空。

2013年08月06日 | 旅行
春に高校3年生の次男と広島に出かけてきました。

今日、8月6日。 あの日から68年。
高校3年生の自由課題の中で、外国の歴史と日本の関わりを選んだ次男。
まあ、8年くらい、3カ所の国の学校に通い、地元の人や、
世界中からきている先生方や生徒達と関係してきたことが、
次男に影響があるとしたら、それは役だって嬉しいこと。

でも、日本のことをよく知って、自分の足で歩くことも必要と思う私。
で、1泊2日しかとれない中、出かけてきたものでした。



春の穏やかな日。
この景色が熱い色になった場所。

次は、平和記念公園。
今日も、たくさんの方々が。



春だったからでしょうか、
日本人よりも外国の方々、それも親子連れが多かったのには驚きました。

資料館では、それはそれは熱心に、
それはそれは 日本人以上に熱心に見て、家族と話しています。
よく勉強してきています。
親が、子供達に熱心に説明し、話し合っています。
     英語での説明書きが役になっているわけです。
     英語以外の国では、なかなか難しい場面も多いですが。
     現地の言葉でしか書いていなかったり、
     欧州では、英語以外の言葉だったらたくさんあるのに、
     英語の記載がなかったりするところも。

海外って、こういう様子の親子連れをよく見ます。
説明書きを 子供が読めない年ではないのに、読んで話している様子。
これって、子供はどう流し読みをしているかわからないので、
とてもいいことと思っています。
ただ、日本人は、そこで声を出して読んでいると邪魔じゃないかとも
思うのですが、私も最近、そうするようにしています。
相手が高校生の次男でも。

資料館には、地元のボランティアの方が、説明をして下さいます。
そちらから、我が子に声を掛け、
私たちには、何気なく思えた資料を説明してくれました。
そして、
      「来てくれて ありがとう」
と。

やっぱり、歴史的な場所には、出かけてみないとわからないことがたくさん。



桜がきれいなときでした。
たくさんの人が集っていました。
たぶん 地元の人もたくさん。

近くに、被害にあった小学校の校舎をそのまま残しているところがありました。
広島駅の観光センターで頂いた地図の中のひとつに、その場所の記載があったので、
出かけてきました。
壁に、当時、被災して辿りついた方々が黒板の裏に書き残した文字が残っていたり。

これからまだまだ勉強する歴史的なことが、
あらゆる方向から見る目が育って欲しいとおもうものです。
小さい頃から、黙祷する時間を子供達にも心掛けてきました。
自分でも、職場でも、なにかしていても、その瞬間、
1分間はとれなくても、心穏やかに黙祷する心を持ってきました。
私の母も 私が幼い頃から そういうふうにしてきたから。

いつも メールで、「忘れないでね」と。
今日もこれからメールしなくては。

これは、春の広島の朝焼け。
この空が、68年前の今日、一転したのですね。
穏やかな気持ちを持って、この空が続きますように。





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