平らな深み、緩やかな時間

253.『阿部隆 展』、『シュルレアリスムのアメリカ』谷川渥

前回、ご紹介した『阿部隆展』を見てきました。

https://spc.ne.jp/

阿部さんの絵画の発展については、大筋で前回書いた通りです。

以下は今回の展覧会の印象です。

 

今回も阿部さんの展覧会は素晴らしい作品が並んでいました。ただ、今回のDMに掲載されたような重厚な油彩作品が多数あるのかと思いましたが、この予想は外れました。半分以上がキャンバス(麻布)に描かれた作品ではなくて、紙の上に描かれた作品だったのです。紙と言っても、和紙や西洋紙などの描画用の紙ではありません。印刷に使うような、表面がコーティングされていてロール状で売られている紙だそうです。その紙だと、絵の具の染み具合や拭き取った時の滑り具合がちょうど良いということでした。

 

前回のblogで指摘した、絵画における図と地の問題、これは阿部さんにだけ特有の問題ではなくて、誰でも絵を描けば生じてくる問題です。その問題を阿部さんは、図と地を意識することなく描くことで解消したのでした。実際の画面上では、図と地の境界が曖昧になると同時に、地の部分に平面的な「張り」が出てきて、画面上の弱い部分がなくなっていったのです。そのことを私は、藤枝晃雄(1936 -2018)さんが書いたミロ(Joan Miró i Ferrà , 1893 - 1983)の『世界の誕生』に関するテキストから解読しました。それが前回のblogの内容でした。

 

ところが今回の展覧会で阿部さんは、その同じ問題を二つの方法で克服していました。一つは前回のblogで言及した、地の部分に平面的な「張り」を持たせることによって解消する方法です。そしてもう一つが今回の作品の特徴になるのですが、紙の上を滑るように描画することによって、描画部分と紙の地の部分との違和感がないような、ほぼ同じような奥行きの位置関係を保つことに成功していたのです。

阿部さんは、その画面上の感触がとても心地良いのだと言っていました。もともと阿部さんの絵画は触覚的な手触りによって形作られてきた面がありましたから、今回のように視覚と触覚が矛盾なく関係する方法で描画することが、阿部さんの特性に合っているのだと思います。

しばらくはこの方法で描こうかなあ、と阿部さんは言っていました。自分の感覚や身体性に問いかけながら制作することが、最も正しい方向性だと私も思います。ただ、キャンバスに描かれた作品も捨て難いものがあります。阿部さんはオレンジ色や明るい緑色などの中間色に独特の魅力があって、キャンバス上の絵の具の重なりによって表現された色には、紙の作品にはない深みと輝きがありました。紙の作品を中心に制作するとともに、並行してキャンバスの仕事も進めていただけると、鑑賞者としてとても楽しみです。

それから、これはぜひ言っておきたいのですが、阿部さんのDMに掲載されていた作品は、写真よりもずっと明るくて発色が良いです。それは今回のすべての作品に言えることで、私は阿部さんの作品を写真に撮らせてもらいましたが、どれも実物よりも暗くなってしまいます。阿部さんの作品は平面的な「張り」が特徴ですから、余計な陰影によって奥行きが生じてしまうと、その魅力が半減してしまいます。

ということですので、阿部さんの作品は必ず実物を見て評価してください。展覧会をご覧いただければ、ああ、これは本物を見ないとダメだなあ、ということがわかります。

 

阿部さんの展覧会は、今週も引き続き開催されています。一応、前回と同様に展覧会情報を書き写しておきますが、文頭のギャラリー・ホームページを確認してお出かけください。

SPCギャラリー 〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町9−7 SPC ビル 3F

2022年 9月19日(月) ~ 10月1日(土) 日曜休廊  12:00p.m.~7:00p.m. (最終日 5:00p.m.)

 

さて、今回の阿部さんの展覧会を見て、前々回のゴーキー(Arshile Gorky, 1904 - 1948)さんの話で取り上げた『シュルレアリスムのアメリカ』をもう少し読みたくなりました。著者は美学者の谷川渥さんです。

なぜ私がそう思ったのかと言えば、阿部さんにしろ、私にしろ、いま絵画を描いている人間にとって、アメリカの抽象表現主義の絵画からの影響が避けられない状況にあるからです。そのアメリカの絵画は、ヨーロッパの現代美術の影響を受けながらも、それとの相剋の中で育っていきました。この『シュルレアリスムのアメリカ』は、そのアメリカ美術の形成をシュルレアリスム運動との関係性を中心として考察した本なのです。

アメリカの抽象表現主義は、第二次世界大戦でヨーロッパの著名な芸術家が戦火を逃れてアメリカに渡ってきたことによって発展しました。それまでのアメリカ美術は、ヨーロッパの伝統を追随する未熟な新興国家のものに過ぎませんでした。しかし第二次世界大戦後に、ヨーロッパの現代美術から直接影響を受けた若い画家たちが活躍し、そこにクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)という優れた批評家が現れて、論理的な批評の道筋を作ってアメリカ型絵画をアピールしたのです。そして結果的に、ニューヨークが名実ともに世界の美術の中心地となりました。

先ほど書いたように、いまの私たちはそのアメリカ美術の影響を受けざるを得ない状況にあります。そしてそのアメリカ型の絵画には、シュルレアリスムの中のオートマティスムの手法や、偶然性の受容などの概念が引き継がれていたのです。そしてそれらの概念は、アメリカ型の絵画を経由して現在の私たちに大きく影響しています。阿部さんの絵画を見ても、オートマティックな描き方に近い筆使いや、絵の具のシミや筆の跳ねた跡などの偶然性を取り入れた表現が、画面のあちこちに見られます。

ですから、阿部さんの展覧会をきっかけに『シュルレアリスムのアメリカ』という魅力的な本を再読してみるのも良いだろう、と思った次第です。ここではその全編というわけではなくて、最後のアメリカ美術との関わりを書いた部分、そして前に取り上げたゴーキーさんに関する部分を除いた文章に注目してみます。具体的に言うと、ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)さんに関する記述のところになるのですが、今回はポロックさんのことではなく、ポロックさんに影響を与えたシュルレアリストの画家について触れたいと思います。

それは誰でしょうか?このすぐ後に名前が出てきます。

 

さて、とはいえ『シュルレアリスムのアメリカ』が全体としてどんな本なのか、その書籍紹介の文章を書き写しておきます。

 

1941年、アンドレ・ブルトンは戦火のヨーロッパを逃れて、マルティニク経由でニューヨークに亡命した。同じ時期、マックス・エルンスト、アンドレ・マッソン、イヴ・タンギー、マッタ、サルバドール・ダリなど多くのシュルレアリストが、大西洋をアメリカへ渡っていた。新大陸で再開されたシュルレアリスム運動は、1942年ニューヨークで、マルセル・デュシャンの協力のもと大々的に開催された「ファースト・ペイパーズ・オブ・シュルレアリスム」展へ結実してゆく。

「ブルトンの〈郷愁〉が、〈母〉への直接的退行ではないにしても、アメリカという異郷にあって、〈神話〉という名の〈故郷〉を希求していたことはもはや否定すべくもないのではあるまいか。この〈神話〉が〈透明な巨人〉という脱主体的、非人格的な超越性を帯びているにしてもである」

第二次大戦下の新大陸で、シュルレアリスムはいかに変貌し、そしてアーシル・ゴーキーやジャクソン・ポロックなど戦後アメリカ美術の展開に、どんな種子を撒いたのか。シュルレアリスムの首領アンドレ・ブルトンと、戦後アメリカ美術を先導したクレメント・グリーンバーグの言説を対比させながら、絵画におけるオートマティスムや形象性の問題にも再考をうながす、画期的な新研究。

(『シュルレアリスムのアメリカ』書籍紹介)

 

これがこの本の概略になるのですが、最後の段落の戦後アメリカ美術と関わるところが、今回の話題としたいところです。しかしその部分を語るためには、上の文章の最初に出てくるシュルレアリストたちの一人、アンドレ・マッソン(André-Aimé-René Masson, 1896 - 1987)に触れないわけにはいきません。

え、マッソンって誰?という方は、次のページをざっと見ておいてください。

https://www.artpedia.asia/andre-masson/

マッソンのことを、よく知らないからと言って、がっかりすることはありません。谷川さんも『シュルレアリスムのアメリカ』の中で「アンドレ・マッソンの名を聞いて、ただちにその明確な像を結ぶことのできる人は、そう多くはないに違いない」と書いていらっしゃいます。私もマッソンについて詳しいわけではありませんし、特に好きな画家でもありません。しかし彼の作品は、シュルレアリスム関係の展覧会で見かけた時に比較的好ましい印象があります。シュルレアリスム絵画にありがちな奇妙なイメージ画像に逃げずに、オートマティスムの技法をしっかりと実践している画家のイメージです。

そのマッソンさんは、オートマティスムの手法について興味深い記述を残していて、その記述を谷川さんはこの本の中で紹介しています。それを書き写してみます。

 

オートマティスムのグラフィックな表現に必要な内面の構えと「手法」に関して若干言葉を費やすことは無駄ではないだろう。

(もう一度、私の経験を思い起こしてみる)。

物質的に。紙を少々、インクを少々。

精神的に。心を空っぽにしなければならない。自動デッサンは無意識を源泉とするから、予見しえぬ誕生のように立ち現れなければならない。紙の上の最初のグラフィックな出現は、純粋な身振り、リズム、呪文であり、そして結果として純然たる落書きである。これが第一段階である。

第二段階では、(潜在的であった)イメージが、みずからの権利を主張する。イメージが現れたなら、立ち止まらなければならない。このイメージは、遺跡、痕跡、残骸でしかない。いうまでもなく、これらふたつの段階のあいだで停止することは避けなければならない。休止が入ったりすれば、最初の結果は完全に抽象的なものになるだろうし、第二段階に固執すると、シュルレアリスム的にアカデミックなものになってしまうだろう!この状態を生みだす確実な手段を私は知らない。それは神学でいう恩寵のごときものであろう。

(『シュルレアリスムのアメリカ』「アンドレ・マッソン オートマティスムの絵画」マッソンの記述より)

 

実に面白いです。最初の落書きのような第一段階では、ただの抽象画になってしまいますし、そこから第二段階に入ってイメージを現出する意識が強すぎると、「シュルレアリスム的にアカデミックなものになってしまうだろう!」と彼は書いています。この「シュルレアリスム的にアカデミック」というフレーズが素晴らしいです。「無意識から意識への、抽象から具象への移行」というふうに谷川さんはこの後の文章でまとめていますが、その流れが連続的で、恩寵のようになされなければならない、そして、それができる確実な方法などない、とマッソンさんは書いています。この厳しさに、マッソンさんの芸術家としての良心を感じます。

 

そのマッソンさんとアメリカ現代絵画との繋がりを考えるときに、注意しなければならないことがあります。それは私が『250.私の好きな画家ゴーキー、そしてゴダール追悼』でも書いたように、シュルレアリスム運動は評論家のグリーンバーグさんにとって好ましいものではなかった、ということです。

シュルレアリスム運動は「ヨーロッパの前衛」を象徴するものであり、そこからの乗り越えをグリーンバーグさんは目論んでいたのです。そこで谷川さんは、アンドレ・ブルトン(シュルレアリスム)vsグリーンバーグ(アメリカ型モダニズム)という関係を指摘しています。また、グリーンバーグさんの批評の方法論である「フォーマリズム」の観点から見ても、絵画の造形的な改革が中心であった「キュビズム」が好ましいものであった一方で、文学的な改革が起点となっていた「シュルレアリスム」は否定すべきものであったのです。

しかし、その否定的なシュルレアリスムの中でも、マッソンさんはグリーンバーグさんに評価されためずらしい画家でした。グリーンバーグさんのマッソンさんへの評価は、手放しの賞賛ではなかったものの、批判はあるけれども作品の可能性を否定しない、という感じの評価でした。この評価について谷川さんは、「グリーンバーグ特有の持って回った言い方だが、マッソンをかなり高く評価していることは事実だろう」と書いています。

さてそのマッソンさんが、ポロックさんに大きな影響を与えていたことを示す一つの例として、マッソンさんの『魚の戦い』という作品があります。先ほどのマッソンさんの紹介のホームページの中ほどに、その作品写真がありますから、見逃した方はもう一度確認してください。注目していただきたいのは、その中に砂を使った部分があることです。

ポロックさんがアクション・ペインティングのドリッピング技法、つまり絵を床に置いてその上から絵の具を直接滴らせる技法に至ったのは、インディアンの砂絵の影響があったと、よく言われます。しかし、そのインディアンの砂絵を自分の絵画に取り入れようとしたときに、ポロックさんのヒントとなった作品があったのかもしれません。

そのことについて、谷川さんはこう書いています。

「マッソンの『魚の戦い』(1927年)のような砂絵とオートマティスムの組み合わせに、ポロックが刺激を受けなかったはずがない」

このように、その影響関係はただの精神的なものではなく、具体的な制作方法にも及んでいたのです。このオートマティスムをポロックがどのように取り入れて自分の表現としたのか、それはオートマティスムがいまだに有効な方法論であることから興味深くもあり、またその歴史的な受容を検証することが先人の影響をどのようにして未来に引き継ぐのか、ということを考える上でも参考になります。

谷川さんはとても興味深い分析をしています。ちょっと長い引用ですが、読んでみてください。

 

グリーンバーグの死の前年、1993年に刊行された『著作集』第三巻に収められた「『アメリカ型』絵画」は、したがって最終的形態だが、実はここにはマッソンの名前が付け加えられている。この変更は注意されるべきだろう。グリーンバーグはすでに1953年に、率直にこう語っていた。

アンドレ・マッソンが対戦中大西洋のこちら側にいたということは、われわれにとって測り知れぬほどの恩恵であった。・・・誰よりも彼が新しい抽象絵画を先取りしていたのだが、彼がそれに値する十分な名誉を受けてきたとは私には思えない。

キュビスムは「良い」、シュルレアリスムは「悪い」。グリーンバーグ特有の語彙を用いるなら、端的にいってそういうことになるだろう。キュビスムの線上に抽象表現主義を位置づけて、シュルレアリスムという現象をモダニズムの縁辺に置くというのが、グリーンバーグの基本的態度であったように思う。だが、さすがにポロックに関してマッソンの名前を落とすのは良くないとグルーンバーグも考えたのかもしれない。もともとマッソンに対しては、シュルレアリストのなかでも比較的に、あるいはむしろ例外的に好意的であり続けた人である。『芸術と文化』と『著作集』第三巻とのほんのわずかな、しかし決定的な差異に、グリーンバーグの思いを見てとらなければならない。ポロックは、「キュビスムの空間を捻じ曲げ」ただけでなく、またシュルレアリスムのオートマティスムをも誰も予見しえなかった方向へと「捻じ曲げ」たのではないだろうか。

マッソンは1945年10月に帰国するが、のちにあるインタヴューのなかでこう語ったという。「ポロックは私自身が思いもよらなかった極限までそれを押し進めた」と。「それ」とは「オートマティスム」のことである。

(『シュルレアリスムのアメリカ』「シュルレアリスムと抽象表現主義」谷川渥)

 

いかがでしょうか、とても面白い話だと思いませんか?

私たちにとって絵画におけるオートマティスムは、すでに親しい方法ではありますが、その創始者であるマッソンさんがあのような厳しい決まり事を自らに課していたことを知りませんでした。オートマティスムというのは、どの程度まで無意識であり得るのか、どの程度意識的であるべきなのか、今でも画家たちを悩ませる問題ですが、それぞれの心の持ちようによって、まだまだ可能性を秘めた方法論でもあると思います。

ここでもう一度、マッソンさんのオートマティスムに関する言葉を考えてみましょう。

無意識を源泉とする自動デッサンが第一段階で、そこからのイメージが現れが第二段階です。その流れは速やかでなければならず、第一段階で止まるものはただの抽象的な絵に過ぎず、第二段階を重視し過ぎれば「シュルレアリスム的なアカデミズム」に陥ってしまいます。

それでは、ポロックさんのオートマティスムは、どのような過程になっているのでしょうか。ポロックさんの絵画も、第一段階ではマッソンさんの方法に倣っているのですが、第二段階では違っています。グリーンバーグさんの助言によって、ポロックさんは第二段階として「オールオーヴァー」な絵画の実現を設定したのです。マッソンさんが第二段階において「シュルレアリスム的なアカデミズム」に陥る危険性があったように、ポロックさんにおいても意図的な構成や画面上のバランスを考えてしまうと「抽象絵画のアカデミズム」とでもいうべき構成的な絵画に陥ってしまう危険性がありました。

無意識に任せていては「オールオーヴァー」な絵画になりませんし、意図的なバランスをとってしまっては構成的な絵画に陥ってしまいます。絶頂期のポロックさんの絵画は、マッソンさんが「恩寵」といったものと同じものに導かれて、見事に描き上げられました。しかし、その「恩寵」は、長くは続きませんでした。谷川さんは、この本の中でそのポロックさんの顛末もちゃんと書いています。

 

さて、そして今の私たちの絵画は、どのような状況にあるのでしょうか?

繰り返しになりますが、私たちにとってオートマティックな方法で絵を描くことは、すでに親しいものです。そしてマッソンさんが言う第二段階として、そこにイメージを見出すことも、ポロックさんのように「オールオーヴァー」な画面を目指すことも、今の私たちには可能です。

しかし私たちは、それだけではもう満足できません。それにポロックさんの絵画だって、ただ単に「オールオーヴァー」だから素晴らしいわけではないことも、私たちは気がついています。ポロックさんの絵画から何を見出すのか、それを自分の表現にどう繋げるのか、ということを考えたり、感じたりすることが、これから表現する者にとっての楽しみになります。

そしてオートマティスムには付きものの、「偶然性」による表現効果にも同じことが言えます。偶然性によって美しい画面を作る方法は、今ではたくさんあります。ですからそのさきに、作者が何を見出しているのか、何を表現したいのか、ということが問われているのだと思います。

これらのことを、阿部さんの作品に置き換えてみましょう。

阿部さんの作品は、半ばオートマティックで、半ば意識的に描かれています。「偶然」による効果についても同じことが言えます。阿部さんの作品の美しさは、すべてが計画的ではありません。しかし偶然に出来上がったように見える美しい絵の具の発色には、意図的な下地の効果があります。

そして最終的に、私たちは阿部さんが画面に触れたいと思っている意志を、阿部さんの絵画から感じとります。その阿部さんの触覚性を、私たちは視覚的に感じることができるのです。その試行錯誤の結果、阿部さんは紙という支持体を選びました。その紙の上で阿部さんが感じている触覚性を、私たちは心地よいものとして受け止めます。全体をトータルに見れば、そういう手触り感のある作品を描きたい、という阿部さんの意志を感受しながら、私たちは阿部さんの作り出した美しい絵画を楽しむのです。

これがもしも阿部さんの意志が感じられない、美しいだけの作品だったらどうでしょうか。私はそこに楽しみを見出すことができません。オートマティックな方法がうまく機能し、そこにはハッとするような偶然性が現れていたとしても、それはそれだけの作品です。現在、そういう作品が高値で取引され、描いた画家は巨匠として扱われています。私は彼の絵を貶めるつもりはありませんが、もう少し世界全体が人間味のある絵の楽しみ方をしたらいいのに、というふうに思います。

 

いろいろと書きましたが、何はともあれ、阿部さんの作品の実物に多くの方が出会っていただきたいと願っています。はじめの方で書いたように、写真では伝わらない絵の良さが、阿部さんの作品にはあります。そして文章でできることは、そのことを説明することだけです。

 

もしもあなたが東京の遠方に住んでいて、なかなか私の紹介する展覧会を見に行けない方だとしたら、いつもこんな書き方をして申し訳ありません。でも私自身にだって、見に行きたくても行けない展覧会が山ほどあります。そういう場合は、ご自分で見に行くことができる身近な作品を、少しでも多く見に行くことにしたらいかがでしょうか?そしていつか、何かのおりにそれぞれの感動を分かちあえる日が来たら、とても楽しいでしょうね。

多くの方と出会えるそんな日を夢見て、また展覧会場に足を運ぶことにしましょう。

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