平らな深み、緩やかな時間

42.『宮下圭介 -透視するまなざし-』とラジオの話

宮下圭介さんの展覧会が、沼津市庄司美術館(http://www18.ocn.ne.jp/~monmusee/で5月18日まで開催されています。ホームページを見ると、現時点では前の展覧会の案内がバーナーで流れていますが、ちゃんとやっています。先日、オープニングの日に見に行ってきました。
回廊式の展示場で、一番奥の広いスペースに最新作が展示してあります。そこに至るまでに、主な旧作のシリーズが展示されていて、厳選された作品が並んでいました。オープニングのちょっとしたセレモニーで、私も宮下さんの作品について話す機会がありましたが、一般の地元の方もいらっしゃる中で、どのように宮下さんの作品に触れたものか、多少思案しました。結局、もっとも伝えたかったこと、それは作品の素材や様式の変遷にもかかわらず、宮下さんの制作姿勢が一貫していること、そしてそれが作品の構造を透明化し、見る人と創造行為を共有するものであること、だったのですが、うまく話せたかどうか・・・・。
前回も書きましたが、このタイミングに合わせて、宮下さんは画集も発行されました。そこに拙文も掲載させていただいたので、読んでいただけると幸いです。内容は、宮下さんの作品の、構造の透明化について、建築家のコーリン・ロウ(Colin Rowe、1920 – 1999)の高名な論文や、岡田温司(1954- )の『半透明の美学』を参照しながら論じたものです。できれば、宮下さんが現在の制作でもっとも苦心していらっしゃるであろう、線描で描かれた図像の問題まで掘り下げたかったのですが、どこまでやれたのか、読んだ方のご判断に任せるしかありません。いずれにしろ、作品こそが能弁に宮下さんの軌跡を語っているので、ぜひ展覧会を見て、画集を手に取ってみていただきたいものです。

ところで、最近はインターネットでラジオの放送がストリーミングで聴けるのですね。そのことに気がついて「英語で読む村上春樹」という番組を、パソコンで聞いています。肝心の英語の部分はさっぱりわかりませんが、日本語の朗読がとても心地よく聞けます。3月までは沼野充義が講師で「かえるくん、東京を救う」を取り上げていましたが、4月から講師が新元良一という人に変わって、作品も「踊る小人」になりました。英語訳はかなり意訳があることがわかったり、あらためて日本語の朗読を聞くと、村上春樹の文章のリズム感の良さに感心したりします。
また、これとはまったく別な話ですが、インターFMで「Bob Dylan's Theme Time Radio Hour」というアメリカの放送番組がやっているので、MDで録音して車で聞いています。こちらもディランが何を言っているのやら、歌手や曲の名前がときどきわかるぐらいで、内容はさっぱりわかりません。でも、心配はいりません。放送後に、ピーター・バラカンの解説が入るので、それがとても親切です。それに聞いたことのないような古い曲がいっぱいかかるので、なかなか興味深いです。ディランは予想以上に博識で、カントリーやポピュラー音楽に精通していてびっくりします。印象的だったのは、「昔はプロの作曲家が曲を書き、プロの歌手が歌ったものだが、最近じゃ、すっかりシンガー・ソング・ライターの時代になってしまった」などということを、ディラン自身がシラっと言っていた、とピーター・バラカンが解説していたことです。どうやらディランはDJとしても、なかなかいい味を出しているようです。

今回は、美術以外の話題にもふれてみました。それでは、また。

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