平らな深み、緩やかな時間

95.生きることの違和感と芸術について、『荒野のおおかみ』H.ヘッセと丸山圭三郎と

「92. 2019年、夏。若い美術家の方へ。」で触れることができなかった本で、私が若いころに読んで影響を受けた本、目から鱗が落ちる思いをした思想や考え方について、いくつか書いてみたいと思います。
そのはじめに取り上げたいのがヘッセ(Hermann Karl Hesse, 1877 - 1962)の書いた『荒野のおおかみ』(1927)という本です。この本は1960年代のヒッピー文化にも影響を与えた、と言われています。

ちょっと横道にそれますが、ヒッピー文化を描いた代表的な映画に、デニス・ホッパー(Dennis Hopper,1936 - 2010)とピーター・フォンダ(Peter Fonda、1940 - 2019)の『イージー・ライダー』(1969)がありますね。その映画で使われた曲『ワイルドでいこう!(Born to Be Wild)』を歌ったロック・バンド、ステッペンウルフ(Steppenwolf)はこの小説からバンド名を取ったのだそうです。
そしてこの文章を書いているさなかに、ピーター・フォンダの訃報が入ってきました。私の青春時代のアイドルが、また一人亡くなってしまいました。
少し前にはニューオーリンズの音楽を代表するミュージシャンのドクター・ジョン(Dr. John、1941 - 2019)とアート・ネヴィル (Art Neville 1937 - 2019)が、そしてボサノヴァの創始者の一人と言われるジョアン・ジルベルト(João Gilberto、1931 - 2019)が亡くなりました。みんな1960年代から活躍していた人たちですから、時代の変わり目を感じますね。情報過多の現在では、亡くなった人はすぐに忘れ去られてしまいます。彼らの音楽を聴いたことがない若い方は、ぜひこの機会に聴いてみてください。
Dr.ジョンなら、まずは『ガンボ』(1972)、アート・ネヴィルならミーターズ時代も良いのですが、ネヴィル・ブラザースの『Yellow Moon』(1989)が聞きやすいかもしれません。ジョアンなら、ジャズ・サックス奏者のスタン・ゲッツ(Stan Getz、1927 - 1991)との共演盤で、有名な『イパネマの娘』が入っている『ゲッツ/ジルベルト』(1963)が基本でしょうか。ジョアン・ジルベルトはかなり変わった人だったようで、彼の名義のレコードは、ボサノヴァというよりはジョアンの音楽としか言いようがない感じがします。とくにこちらの心持が内向きな時に聞くと、彼の声が感情の襞にしみ込んできて、病みつきになります。

さて、それでは『荒野のおおかみ』は、どんな小説なのでしょうか。
主人公のハリー・ハラーは50がらみの初老の男です。学生時代に読んだときには、なんだ、老人の話か、と思ったものですが、何のことはない、いまの私よりだいぶ若いですね。ハリーは、日々の生活に対して、あるいは、この世界に対して、説明しがたい違和感を抱きながら生きています。そのハリーの日常の様子について「編集者の序文」という形で本のはじめに説明されています。ハリーはちょっととっつきにくいけれども、どこかに魅力のある孤独な男、というふうに書かれています。この「序文」を書いたのが、ハリーが下宿しているアパートのおかみさんの甥です。その人物がハリーによって残された原稿を本に掲載する、という形で小説が進んでいきます。残された原稿=「ハリー・ハラーの手記」が謎に満ちていて、手記の中でハリーは自らのことを「荒野のおおかみ」と表現しています。「ハリー・ハラーの手記」、「ハリー・ハラーの手記、続き」という二つ章に分かれて掲載されているのですが、その間に「荒野のおおかみについての論文」という章が挿入されています。これは、ハリーが街を徘徊しているときに暗い小道で謎の男から小冊子を受け取った―その冊子に書かれた文章が「荒野のおおかみについての論文」なのです。この謎の男がハリーの幻想の中の人物だと考えるなら、「荒野のおおかみについての論文」もハリーが書いたものだと判断するのが妥当でしょう。いわばハリーの自己分析の文章なのです。それでは、章ごとに内容を追っていきましょう。

まず「編集者の序文」ですが、ハリーが筆者のおばの下宿を借りるところから始まります。彼は10か月程度そこにいましたが、その後の行方はわかりません。ハリーが自殺して、もうこの世にいない可能性も示唆されています。
ハリーは教養のある人物で、時おり訪ねてくる美しい恋人もいます。筆者は講演会や音楽会に一緒に行った経験から、ハリーがこの世界に対して鋭い批評眼を持っていることに気がつきます。教養のある、穏やかな初老の男であるハリーですが、生活は不規則で、どうやら街を徘徊しては疲れ切って帰ってくるらしいのです。いったい、街で彼が何をしていたのか、あるいは、彼の内面では何が起こっていたのか、が「手記」によって明らかになります。

「ハリー・ハラーの手記」では、彼が隠者のように暮らしていること、老人らしい体の痛みのことなどが綴られています。「手記」には「狂人のためだけに」という副題がついていますが、ハリーが街の看板に「魔術劇場」「入場は―狂人―だけ!」という文字を見つけてしまうなど、しだいに幻想的に、もしくは狂気を帯びたような内容になっていきます。そしてその文字が書かれたプラカードを持った謎の男から「荒野のおおかみについての論文」という小冊子を渡されます。夢の中のような話ですが、自宅に帰ってハリーが外套を脱ぐと、確かにその粗末な小冊子が出てきます。

その「荒野のおおかみについての論文」ですが、先ほど書いたように、ハリーについての分析(自己分析?)が書かれています。少し抜き書きをしてみます。

かつてハリーという名で、荒野のおおかみと呼ばれた男がいた。二本の足で歩き、服を着ており、一個の人間であったが、実際はやはりまさしく荒野のおおかみであった。頭の良い人間たちの学びうることをたくさん学んでいた。そしてかなり賢い男であった。しかし、彼が学ばなかったことがあった。それはつまり、自分と自分の生活に満足することだった。それはおそらく、自分はほんとうは人間ではなくて、荒野から出てきたおおかみだということを、心の底でいつも知っていた(あるいは知っていると信じていた)ことから来ていた。
(『荒野のおおかみ』「荒野のおおかみについての論文」H.ヘッセ著 高橋健二訳)

荒野のおおかみはこうして二つの性質を、人間的な性質とおおかみ的な性質とを持っていた。これが彼の運命だった。この運命がなんら特殊な珍しいものではなかったということはあるかもしれない。犬かきつね、魚かへびの性質を多分にそなえながら、そのため特に困りもしなかった人がこれまでにもうたくさん見られたはずだ。それらの人間の場合は、人間ときつね、人間と魚が並んで暮らしており、一方が他方を苦しめるということがなく、たがいに助けあいさえした。成功してうらやまれる人の中には、幸運をかち得たのは、人間よりむしろきつねか、さるであったという場合が少なくない。これはだれでも知っている。これに反してハリーの場合は別だった。彼の中では人間とおおかみが並んで走ってはおらず、ましてやたがいに助けあってもいなかった。両者がたえずともに天をいただかずという敵対関係にあった。一方はただ他方を苦しめるために生きていた。二つが一つの血と魂の中でともに天をいただかずという敵対関係にあるとすれば、それこそまったく不幸な生活である。ともかく、めいめいが自分の運命を持っており、どの運命もらくではないのである。
(『荒野のおおかみ』「荒野のおおかみについての論文」H.ヘッセ著 高橋健二訳)

かなり深刻な文章ですが、「成功してうらやまれる人の中には、幸運をかち得たのは、人間よりむしろきつねか、さるであったという場合が少なくない」という部分にヘッセのブラックなユーモアを感じます。
それはさておき、これらの部分を引用したのは、人間が生きていくうえで生きにくさを感じること、違和を感じることはよくありますが、ハリーの場合には単なる違和感ではない、ということを読み取っておきたかったからです。いまの社会では、例えばさまざまなハラスメントやいじめの問題などで苦しんでおられる方がたくさんいると思いますが、それは明らかに加害者に非があって、被害者の方は正当に処遇されたり、救済されたりするべきことです。また、若い方なら就職に関する不安があり、年配の方なら老後の心配があり、というふうに、世の中は違和感だらけじゃないか、と言いたくなりますが、それらは日本経済の構造的な問題であったり、社会保障制度の問題でもあったりするわけで、個人の内面にその原因を求めるわけにはいきません。しかし、ハリーの場合には、ハリーが「荒野のおおかみ」であることを「運命」づけられているのであって、彼の不幸の要因は彼を包む社会の側にあるのではなくて、彼の中にあるのです。それは「狂人」という言葉がたびたび「手記」に書かれているように、ハリーの内面を蝕む病気のようなものだともいえるでしょう。
このハリーの生きにくさは逃れようがなく、彼は自分を「自殺者に属している」と規定することで、何とか生き延びようとします。「自殺」が生き延びることにつながるというのは矛盾した言い方ですが、「彼は、50回めの誕生日を自殺を敢行する日ときめた」ことで、「どんなに苦しいめやつらいめに会おうと、万事期限つき」だと考えるようにして、いまを生きているのです。このような考え方に私はかなり共感できるのですが、みなさんはいかがでしょうか?
それではヘッセは、自殺願望や精神病で悩む人間の姿を描きたくて、このような小説を書いたのでしょうか?「あとがき」に書かれているのですが、ハリー・ハラーもヘルマン・ヘッセもイニシャルがH.Hであり、この小説はヘッセの自己告白の書である、と言われています。そうだとするならば、ハリーの危機的な状況は、老年を迎えようとしていた詩人、作家ヘッセの危機でもあったはずです。つまり、これはある種の芸術家の危機を書いたものである、ともいえるのです。「荒野のおおかみについての論文」を続けて読むと、ヘッセはこういう風にも書いています。

これにはもう一つ付け加えておかねばならない。ハリーと似たような種類の人間はかなりたくさんいる。多くの芸術家は特にこの種類に属している。これらの人間はみな二つの魂を、二つの性質を内に持っている。彼の中では、神的なものと悪魔的なもの、母性的な血と父性的な血、幸福を受け入れる能力と苦悩を受け入れる能力とが、ハリーの中でおおかみと人間がそうであったと同様に、敵対したり、もつれたりして、並存したり、からみあったりしている。彼らは、非常におちつかない生活を送っているが、ときとしてまれな幸福の瞬間には、非常に強いもの、名状しがたいほど美しいものを体験する。瞬間の幸福のあわはときとして苦悩の海を越えて、高く、目がくらむほどしぶきを上げるので、この短い輝く幸福は光を放って、他の人々をも動かし魅惑するのである。こうして幸福の海の上の貴重なたまゆらな幸福のあわとして、すべての芸術作品はできる。
(『荒野のおおかみ』「荒野のおおかみについての論文」H.ヘッセ著 高橋健二訳)

このようにある種の芸術家は、ヘッセの言い分で言えば「おおくの芸術家」は、二つの相反する魂を持っていて、その間を行ったり来たりしながら「おちつかない生活を送っている」ということになります。この点については、後ほどもうすこし詳しく読み解いていきましょう。
ヘッセは「荒野のおおかみについての論文」という章を設けることで、ハリーという人物について論理的に説明したわけですが、その次の「ハリー・ハラーの手記、続き」で小説は急展開します。

「ハリー・ハラーの手記、続き」のはじめに、ハリーは旧知の大学教授に会い、自宅に招かれますが、ハリーが新聞に書いた平和主義的な意見について、ハリーが書いたことを知らないその教授からこれは「祖国の裏切り者」が書いたものだと難じられるなど、散々な目にあいます。この小説が書かれたのは第一次世界大戦後の復興と第二次世界大戦勃発のはざまの時期で、ヘッセにとって生きにくい時代だったようです。傷ついたハリーは、偶然たどりついた酒場でヘルミーネという少女と出逢います。ヘルミーネはハリーの少年時代の友だちヘルマンの面影を宿すという設定ですが、言うまでもなくヘッセのもう一つの分身です。ハリーはヘルミーネからジャズ・ダンスの手ほどきを受け、愛人となる少女マリアを紹介され、麻薬を操る楽団員のパブロと引き合わされます。
小説の最後に、ヘルミーネの誘いでハリーは仮面舞踏会に出かけることになるのですが、そこではさらに混乱と幻想に拍車がかかります。ハリーはヘルミーネと結ばれ、パブロの薬物による幻想の中で旧友とともにゲリラのように人を殺し、幻想から覚めてヘルミーネをナイフで刺し、なぜか唐突にモーツァルトが現れ、ハリーは裁判にかけられ死刑が確定し・・・といった具合です。その破天荒な物語のひとつひとつにどこまで意味があるのかわかりませんが、その後のボリス・ヴィアン(Boris Paul Vian, 1920 - 1959)やビート・ジェネレーションの文学を彷彿とさせます。あるいはゴダール (Jean-Luc Godard, 1930 - )の映画のように、話の成り行きにまかせて展開していった物語のようにも思えます。最後の尻切れトンボのような終わり方が印象的なので、引用してみます。

彼(パブロ)はヘルミーネを抱きあげた。すると、彼女はたちまち彼の指の中で将棋のこまのように小さくなった。彼はそれを、さっきタバコを取り出したチョッキのポケットの中に入れた。
甘い濃い煙が快くにおった。私(ハリー)は自分のからだががらんとなったように感じ、一年間眠るつもりになった。
ああ、私はすべてを理解した。パブロを理解し、モーツァルトを理解した。自分のうしろのどこかに彼の恐ろしい笑いが聞こえた。自分のポケットの中の生命の遊戯の幾十万の姿をことごとく知り、その意味を察知して心打たれ、その遊戯をもう一度始め、その苦悩をもう一度味わい、その無意味さにもう一度おののき、自分の内部の地獄をもう一度、いやいくどでも遍歴しようと思った。
いつかはこの生命のこまの遊びをもっとよく演じるようになるだろう。笑うことをおぼえるだろう。パブロが私を待っていた。モーツァルトが私を待っていた。
(『荒野のおおかみ』「ハリー・ハラーの手記、続き」H.ヘッセ著 高橋健二訳)

この物語の展開について、インターネットで見ると、例えば中年男が若い女からセックスの手ほどきを受け、男から麻薬を教わり、遊ぶことを知った・・・、つまりちょっとみっともない話ではないか、という解釈もあるようですが、確かにそういわれればそうだな、と思います。私たちは1960年代のヒッピー文化の挫折を知っているので、フリー・セックスや麻薬、ラブ&ピースだけでは世界が変わらないこと、それらがいとも簡単に資本主義経済に飲み込まれてしまうということを知っています。そういう目で見れば、この小説は日常からの逸脱を描くパターン化された話のようにも読めます。しかし、時系列で影響関係を考えれば、それは逆の話で、ヘッセは『ワイルドでいこう!(Born to Be Wild)』を聴いて、この小説を書いたわけではないのです。

先ほども少し触れたように、この小説はある種の芸術家の魂の苦悩を描いた作品だともいえると思います。この小説を書いた時期のヘッセは、自分自身も精神的な危機の状態にあり、心理学者のユング(Carl Gustav Jung、1875 - 1961)の影響を受けたとも言われています。ユング心理学の特徴は、人間の無意識の奥底に人類共有の元型のイメージがある、というものですから、例えばこの小説のようにハリーの幻想を描くことは、ハリーという個人の幻想を描くこと以上の意味がある、とヘッセも考えていたのではないか、と思います。
そのユング心理学ですが、人間の心の奥底に何か広大な沃野がありそうなイメージがあって、心理学に日常を超越するような手掛かりを求めたい芸術指向の人間にとっては、とても魅力的な学問です。しかしその一方で、神秘主義的なものとか、オカルト的なものと容易に結びつくところもあり、取り扱いには慎重さを要する、というのが私の考えです。さらに私には、若いころにその著作や活動に興味を持っていた河合隼雄(1928 - 2007)というユング派の心理学者が、後に文化庁長官になり、道徳の副教材『こころのノート』を作ってしまう、ということがあって、深く失望した経験があります。
それで、というわけではありませんが、今回はユング心理学ではなく、ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913 )を研究した言語学者、丸山圭三郎(1933 - 1993)の著作から、『荒野のおおかみ』について考えてみたいと思います。
その前に、すこし丸山とソシュールのことについて説明しておきたいと思います。私は丸山の本からソシュールの言語学を学びました。しかし構造主義の根幹となるソシュールの思想について、ここで要約して語ることはできません。ですから、私がもっとも感心したことについてだけ書きとめておきます。
ソシュールは言語を記号の体系としてとらえ、言葉を「シニフィアン」と「シニフィエ」が結びついたものであると考えました。「シニフィアン」というのは、たとえば日本語の「イヌ」という、犬を指し示すときの音の連鎖、つまり「イヌ」という言葉のことです。「シニフィエ」というのは言葉で指し示された犬の概念、つまり犬という動物のことを指します。これらが記号として一体化しているので、私たちは「イヌ」と言われたときに、犬という動物をイメージできるのです。そしてソシュールは、この「シニフィアン」と「シニフィエ」の結びつきは、恣意的なものだと言っています。「イヌ」という言葉が犬という動物を指し示すことに何の必然性もありません。その証拠に、英語であれば「dog」という、日本語の「イヌ」という音韻とは何の関係もない言葉が犬を指し示すのです。それならば、「イヌ」が「イヌ」でなくても良いのか、といえば、一度体系化されてしまえば、そうはいきません。この言語の体系のことを「ラング」と言います。
ここまでの説明ならば、とくに感心するようなこともないじゃないか、と言いたくなりますよね。しかし、この言語の恣意性を踏まえると、たとえば私たちがはじめて「ミズ」という言葉を理解するときに、実は水と水でないものを同時に理解することになるのだ、ということに気が付きます。水という概念が生まれることと、「ミズ」という言葉を理解することとは同時であり、私たちは「ミズ」という言葉を理解したそのときに、私たちの認識している世界は水と水ではないものに、はじめて分節されるのです。これは、ちょっと感動的な話ではありませんか?有名なヘレン・ケラー(Helen Adams Keller、188 - 1968)は「water」という指文字によって、言葉によって世界を分節することを知り、全盲、全聾の苦難を克服したのだそうです。言葉を知るということは世界を分節することと同義であり、それはそれまでの混沌とした認識から抜け出して、文化的な網の目に参入することを意味するのです。
この記号論を芸術に応用したのが前回も宮下さんの作品のところで参照した、美術評論家の宮川淳(1933 – 1977)です。ミニマル・アートの作品に関連して、私たちの「見る」ことの中に「美術」とか「芸術」という意味が含まれているのではないか、というふうに宮川は言ったのですが、この論理は、「シニフィアン」と「シニフィエ」という記号の論理を突き詰めたところで生まれたものだと思います。
さらにソシュールの言語学で特筆すべきことを言うと、ソシュールは言語の体系である「ラング」が、人間の言葉を発する実践によって常に書き換えられる状態にある、つまり言葉の構造が流動性を持っていると言っているのです。この言葉を発する実践のことを「パロール」といいます。「パロール」は「ラング」のという体系に基づいて実践されます。しかし言葉の使い方には微妙なずれが生じますから、そのことによって体系化された「ラング」の一部が書き換えられる、ということも起こるわけです。そうすると、ラングという言葉の網の目は固定化されたものとして考えるよりは、海上に浮遊しながら常に微妙に形をかえる網の目をイメージした方が正確でしょう。丸山はこのような解釈によって、ソシュールの言語学をよりラディカルな方向へと導いていきます。ソシュールの言語学を固定化した体系に基づくものだと考え、実は古臭い学問ではないのか、という意見に対し丸山は断固として反証します。
そうこうするうちに、丸山圭三郎の著作は徐々に領域を広げていきました。私が今回参照する本は『言葉・狂気・エロス』(1990)という過激なタイトルの付された晩年の新書です。購入した時は、丸山はどこまで行ってしまうのだろう、と少し買うのをためらいましたが、今読み直してもさまざまな卓見が含まれています。
この本の「プロローク―始原も終極もなく」で、丸山は現代に生きる私たちの世界に対し、次のような問題意識を示します。

第二の世紀末を迎えて20世紀思想を総括し、21世紀への展望を開く試みがなされるのはよいが、ここでもまた〈モダニズムの終焉〉に続く、〈ポストモダンの終焉〉が云々される。これはモードの変遷に過ぎない。めまぐるしく移り変わるからこそ流行(モード)なのであって、〈ポストモダン〉から〈ネオモダン〉と呼びかえてみても、せいぜい我が国の70年代半ばから80年代後半にいたる表層的カルチャーの解説にしかなるまい。
それにしても何故私たちは、異なるもろもろの文化や時代における人間の生き方の違いに対しては鋭い感覚をもっても、人間の原本的な特性に対しは奇妙に鈍感なのであろうか。現在問われているのは、資本主義か社会主義か、市場経済か計画経済か、生産中心主義か消費中心主義かなどの顕在的対立の底にある汎時的(=時代と地域を超えた)視点からとらえられる人間像なのである。
(『言葉・狂気・エロス』「プロローク―始原も終極もなく」丸山圭三郎)

「真理とはそれがなくてはある種の生物が生きていけないかもしれない誤謬である」と言ったのはニューチェであるが、このアフォリズムの力点は、「すべての真理は誤謬である」と言うところにあるのではなく、誤謬であれ何であれ真理なしに「生きられない」というところにおかれている。文化の多様性と無根拠性を知っただけでは安直なペシミズムに陥るばかりである。何故私たちは、それでも神と真理を求め続けるのだろうか。
歴史にも人間にも終焉はない。あるものは絶えざる差異化という生の円環運動だけであり、これが停止した時に待っているのが、生の昂揚とはほど遠い動物的死か、狂気なのではあるまいか。
(『言葉・狂気・エロス』「プロローク―始原も終極もなく」丸山圭三郎)

このように丸山は、自分の興味が時代や地域を超えた人間像であることを示し、その人間は真理を求め続け、絶えざる「生の円環運動」を継続するしかない存在なのだ、と言っています。
それでは、この「生の円環運動」とは何なのでしょうか。私は、「生の円環運動」が、『荒野のおおかみ』という小説のモチーフそのものではないか、と思っているのですが、順序だててみていきましょう。
『荒野のおおかみ』のハリーは、日常生活の中で自分自身を律すべき「理性」では制御できない何事かを抱えています。「理性」とか「自我」とか言われるもの、自分自身の同一性を保障する「意識」の側にあるものがうまく機能すれば、何の問題もありません。しかし「無意識」の側にあるもの、それが幻想性とか暴力性を伴って日常生活に顔を出すと、大変なことになります。その「無意識」の側にあるものこそ、ハリーの心の中に住まう「おおかみ」なのでしょう。
しかし丸山は、そのように「理性」や「自我」に基づく「意識」の側から人間の内面を捉える見方に疑問を呈します。

自立した主体すなわち〈自我〉の確立こそは近代西欧の思想の根底をなすものであり、それ自体は至極健全な考え方のように思われる。たとえば、親兄弟や友人にのみ依存する子供は、一日も早く自立した責任ある社会人としての大人に成長すべきであるという主張。たしかにその通りであろう。しかし、私たちの視野を西欧近代以前にまで広げて人間存在を汎時的に捉え直すとき、〈自立/依存〉という二項対立図式そのものが、そう簡単に成立しないことに気づくのではあるまいか。
(『言葉・狂気・エロス』「意識と無意識」丸山圭三郎)

丸山が言うとおり、近代以前に時代を遡り、あるいは視野を東洋にまで広げてみると、「自立/依存」という二項対立でものごとを考えない生活があります。日本人は「個人」としての意識が低い、とか西欧人から見ると「自我」がないのではないか、とよく言われますが、これは近代以前の私たちの心のあり様の名残なのかもしれません。「自我」を確立して大人になるべきだ、という考え方を疑ってみると、「正気」と「狂気」の境界も変わってきます。

それでは、私たちが健全な人格を保つためには、〈自我〉を確立し、その同一性を防衛すべきなのだろうか。
先にも見たようにフロイトもそう考えたふしがある。しかし、はたしてそうだろうか。私たちは抑圧に失敗したために神経症になるのでもなければ、棄却に失敗したために精神病になるとだけは言いきれない。その正反対に、これらが成功し過ぎたために、つまりは強すぎる抑圧によって自我を防衛し、深層意識にあるさまざまな欲望が日常の表層意識に回帰不能となったために、さらには深層意識の核となるはずだった原初的イメージをも棄却・排除してしまったために狂気に陥るとも言えるのではないだろうか。
(『言葉・狂気・エロス』「意識と無意識」丸山圭三郎)

普通に考えると、「正気」を保つためには「自我」を鍛え、無意識とか深層意識とかいわれるところにある欲望を抑え込むことが適切でしょう。そして、それに失敗した人が精神病になるのだと考えるのが常識です。しかし、自我の防衛が強すぎて、深層意識の欲望に変調をきたした、と考えるとどうでしょうか。私たちに本当に必要なことは、「深層意識にあるさまざまな欲望」をよく知ることであり、深層意識と日常の表層意識とを往復する円環運動こそが、真に必要なことなのではないか、と丸山は説いています。

近代的自我とは、日常という虚構において硬直したエゴに過ぎず、私たちの意識と身体の奥では、無限の可能性に開かれた複数の〈自己〉が息づいている。
人間の生の円環運動を持続させるためには、〈自我〉に風穴をあけ、自らの内なる他者と絶えず対話を交わさなければならない。ただし、この風穴はあけっぱなしでも閉じっぱなしでも停滞を呼ぶ。ルソーが作曲したと言われる童うたの叡智にならって「結んで開いて/手を打って結んで/また開いて手を打ち」ながら、心の奥の欲望を解放しつつ制度へと立ち戻る永続的な運動が望まれるのではあるまいか。
(『言葉・狂気・エロス』「意識と無意識」丸山圭三郎)

丸山は、「自我」に風穴をあけ、深層意識にある自らの内なる他者と対話し、また日常へと浮上して風穴を閉じるという運動を続けることが必要なのだと言います。『荒野のおおかみ』のハリーならば、心の内なるおおかみと対話し、また日常へと回帰していく、それが「生の円環運動」なのです。ここまで理解すると、『荒野のおおかみ』は深層意識に降りていく人間のイメージを物語にしたものではないか、というふうに解釈できるのです。
丸山はここで言語学者らしく、詩人を例にとって「生の円環運動」について説明します。詩というのは、言葉を用いた芸術作品ですが、どのような方法で詩人は言葉を芸術に昇華するのでしょうか?言葉は「ラング」として体系化されているものの、それは固定的な構造ではありません。詩人は比喩表現を用いたり、言葉の連想を用いたりして、固定化された言葉の意味を多義的なものへと変えていきます。さらに言葉の意味だけではなく、音韻からイメージされるものや、人間の五感を刺激する言葉、意味をなさない言葉の羅列など、小野小町(平安時代)の和歌からジェイムズ・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce、1882 – 1941)の『Finnegans Wake』(1939)まで例にとりながら、丸山は解説していきます。詩人や文学者は自分の深層意識にまで降りて行って、日常的にはナンセンスでしかない言葉を持ち出してきて、固定化された言葉の意味に新たな生命を吹き込むのです。そのことについて、丸山は次のように説明します。

芸術に見られるナンセンス化は、鬼面人を驚かすような新語を作り出すことでもなければ、駄洒落のような語呂合わせとも異なる。また「無意識を鳴り物入りで濫用したシュルレアリスト」(P.J.ジューヴ『夢とエロスの構造』国文社)のような自動記述法による無意味な語の羅列とはほど遠いことも、前章に述べた。
確かに〈狂人〉と芸術家(および思想家)のいずれもが、意識と身体の深層の最下部にまで降りていって、意味以前の生の欲動とじかに対峙し、この身のうずきに酔いしれる。しかし後者は、たとえその行動と思想が狂気と紙一重であっても、必ずや深層から表層の制度へと立ち戻り、これをくぐりぬけて再び文化と言葉が発生する現場へと降りていき、さらにその欲動を昇華する〈生の円環運動〉を反復する強靭な精神力を保っている人々なのではあるまいか。
(『言葉・狂気・エロス』「狂気の言葉」丸山圭三郎)

かつて精神分析学によって人間の深層意識の存在が明らかになった頃、シュルレアリストたちにとってはいかに深層心理を表現するのか、ということが問題でした。そのときに生み出された自動記述によるおびただしい言葉の羅列がありますが、それらがいまだに読み返される価値があるのかどうか・・・、丸山は否定的です。結局、その詩人が「再び文化と言葉が発生する現場」へと赴くだけの資質があったのかどうか、そのことによって詩の価値が決まってくるのです。シュルレアリストたちの残した美術作品も同じことで、そのすべてがダメなわけではありませんが、良い作品は限られています。
その実状を考えると、「欲動を昇華する」と言うのは簡単ですが、実践することは困難です。『荒野のおおかみ』にしても、ヘッセが自分の見た幻想をそのまま文章として羅列しただけならば、このような魅力的な小説にはならなかったでしょう。モチーフを再構築して読むに値する構成に仕立て上げるには、ヘッセの力量が必要だったのです。麻薬やアルコールによって幻視を体験することは容易ですが、そのこと自体にそれほどの意味がないことを、すでに私たちは知っています。丸山の言う「生の円環運動」をいかに実践するのか、その解答は個々の芸術家にゆだねられているのです。


さて、今回『荒野のおおかみ』を取り上げたのは、もしもこれを読んでいる方の中に、生きていくことに違和感を抱いている方がいるとしたら、そのことについて考えるきっかけを持っていただきたい、と思ったからです。その違和感は逃れがたく、救済される方法もありません。そもそも芸術表現を実践したい、という欲望が抑えようもなく自分の内面から湧き出てくるのだとしたら、それを「自我」で抑え込んでしまうことが正しいことでしょうか?ここで丸山のような、「その欲動を昇華する〈生の円環運動〉を反復する」という逆の思考が必要なのではないでしょうか?
実は、『荒野のおおかみ』の中にも、そのことが語られています。
ひとつは「荒野のおおかみについての論文」の中の、「こうして幸福の海の上の貴重なたまゆらな幸福のあわとして、すべての芸術作品はできる」という一節です。芸術作品というのは、ハリーのような「非常におちつかない生活」の中で、一瞬の「あわ」のようにして生まれてくるものなのです。
もうひとつは小説の結びの部分の「自分のポケットの中の生命の遊戯の幾十万の姿をことごとく知り、その意味を察知して心打たれ、その遊戯をもう一度始め、その苦悩をもう一度味わい、その無意味さにもう一度おののき、自分の内部の地獄をもう一度、いやいくどでも遍歴しようと思った」というハリーの決意を示した一節です。これこそは丸山の言う「生の円環運動」を続けていくしかない、という決意表明のように読み取れるのですが、いかがでしょうか。
芸術家は幾度でも「自分の内部の地獄」を遍歴しますが、その苦悩の繰り返しの中で生まれる芸術作品は、まるで「あわ」のようなものでしかありません。しかし、芸術を志すものは「荒野のおおかみ」としての運命を負っているわけですから、これを繰り返すしかありません。
私はヘッセの作品の中で、宗教的な救済や悟りがない、一見すると救いのないこの『荒野のおおかみ』が、もっとも人間の魂の真実を描き得ていると思います。残酷なようですが、救いのない人生というものが確かにあると思います。私は自分自身が芸術的な人間だとは思っていませんが、それでも生きる事への違和は子供の時から感じています。ただ私の場合、救いのないこの人生でさらに残酷なのは、「幸福のあわ」のような芸術作品をいまだに見たことがありませんし、残された時間の中でこれからもその見通しがたたないということです。でも、まださまざまな可能性を秘めているあなたなら、きっと大丈夫です。

ところで、雑談をひとつ。
1960年代に台頭してきたサブ・カルチャーの中で、ポップ・ミュージックはしばしば深層意識にある自己と向き合ってきたと思います。一般大衆に働きかける力があるだけに、その影響は大きかったと思います。
有名なのはボブ・ディラン( Bob Dylan、1941 - )のアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』に収録され、シングル盤としても大ヒットした『雨の日の女(Rainy Day Women #12 & 35)』(1966)とか、ビートルズの最高傑作と言われるアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録された『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』(1967)などの歌詞です。これらは薬物による幻視をテーマにしていると言われ、さらに『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』のタイトルの名詞の頭文字をつなげると「LSD」(薬物名)になる、ということも話題になりました。私がリアルタイムで聴いたのは、1974年にエルトン・ジョン(Elton John、1947 - )がカヴァーした『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』ですが、こちらはさすがに極上のポップ・ソングとしてアレンジされています。
ビートルズは歌詞だけでなく、音作りの面でも、インド音楽の瞑想性や、現代音楽的な音のコラージュなど、人間の深層意識を感じさせるような曲を書いて、その後の音楽に影響を与えました。
少し話は異なりますが、私がポップ・ミュージックを意識的に聞き始めたのは中学生になる1973年頃ですが、その当時はシンガー・ソング・ライターの活躍が花盛りの頃で、生きていくことの違和感に向き合ってどうしようもない気持ちを抱えていた私に、彼らの書く内面的な歌が救いになりました。例えば月並みですが、ニール・ヤング(Neil Young , 1945 - )の『Heart of Gold』、ジェームス・テイラー(James Taylor、1948 - )の『Fire and Rain』などですが、これらはアメリカで大ヒットしました。いま聞き返すと生きることの苦難が歌われている一方で、救いらしい救いのない内容で、よくヒットしたものだなぁ、と感心します。
そして何と言ってもジャクソン・ブラウン(Jackson Browne, 1948 - )の『The Pretender』というアルバムです。タイトル曲の『The Pretender』は、偽って生きる人、という意味ですが、現代社会の息苦しさの中で、自分は自己を偽って生きる人になろう、とペシミスティックに歌っています。アルバム全体が生きることへの違和感に満ちていますが、演奏は素晴らしく、とくに一曲目の『The Fuse』などはギタリストのデヴィッド・リンドレー (David Lindley、1944 - )とのコラボレーションが最高潮に達した作品だと思います。地味なレコードですが、多くの方に聴いてほしい音楽です。

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