3月15日(月)から20日(日)まで、東京・京橋のギャラリー檜で個展を開催します。
冒頭のblog「はじめに」やギャラリー檜のHP、または石村HPなどご参照ください。
いよいよ会期が近くなりましたが、予想した通り、首都一都三県の緊急事態宣言は延長されました。以前からご報告してきた通り、外出を自粛されている方にも展覧会の概要を知っていただくためにパンフレットを制作しました。引き続き、ご無理をなさらないようにお願いします。「blog.151」にパンフレットのテキスト部分を掲載しました。また、石村HPの「はじめに NEWS」のページにpdfファイルをアップしました。展示予定の作品の写真も掲載しましたので、よかったらご覧ください。パンフレットをもらっていただける方には郵送しますので、石村HPの「コンタクト CONTACT」からご連絡ください。
さて、前回のblogで吉本隆明(1924 - 2012)の『詩とはなにか』(『模写と鏡』収録 1964)から言葉の「当り」、「しこり」、『言語にとって美とはなにか』(1965)から言葉の「さわり」などについて言及しましたが、ちょっと中途半端な考察になりました。今回は、吉本の言語論からあらためて言葉の「触覚性」について考えてみたいと思います。前回と重複する部分が多々あるかと思いますが、より分かりやすくということを心がけますので、ご容赦ください。
はじめてこのblogをお読みになっている方には、何で「触覚性」という言葉が出て来るのか、さっぱりわからないと思いますので、少しだけ、その説明をします。
私は若い頃に読んだ、中村雄二郎(1925 – 2017)の哲学書『共通感覚論』(1979)から、近代文明が「視覚」を重視するあまり、いびつに発展してしまったということを知りました。そして中村は、「触覚」の重要性を再認識することが、「視覚」の独走を許してしまった近代文明、つまりモダニズムを見直すうえで大切なことなのだ、と提唱したのです。また、私は最近読んだ高村峰生(1978 - )の著書、『触れることのモダニティ』(2017)から、モダニズムを再検討するにあたって「触覚性」がきわめて重要な概念であることをあらためて再認識したのです。
そして私は自分の創作活動において、「触覚性絵画」をキーワードとして絵画制作を始めました。モダニズム思想の影響は、絵画の分野においても視覚重視の傾向として及んでおり、その再検討にあたって「触覚性絵画」という概念をテーマに据えることが有効だろうと考えたわけです。
ふだん、創作としては絵画を描いている私ですが、モダニズムを再検討するという大きな視野に立った時に、「触覚性」についてできるだけ幅広く考察する必要がある、と感じています。そこでここでは、言語の分野における「触覚性」について考察してみることにしたのです。理屈っぽく書けばそういうことになるのですが、ただたんに興味深く、面白そうだから、といった方が私の気持ちに近いのかもしれません。
ところで、なぜモダニズムの再検討が必要なのでしょうか。このようなモダニズムの再検討の必要性は、もちろん私個人の課題などというものではなく、現在のこの世界において緊急の課題だと思います。現実の社会をながめてみれば、モダニズム思想に牽引された社会は、明らかにいろいろなところで行き詰まっています。
例えば経済的な格差による貧困の問題が深刻になっていますが、それはすでに小手先の政策で解消できるような領域を超えています。私のにわか知識で申し訳ないのですが、モダニズム社会の構造そのものが格差を作り出していて、その中心にいる人たちが周辺の人たちを搾取することによって、現在の経済活動が成り立っているらしいのです。ですから、このまま発展を続けていこうとする前向きの思考が、より多くの貧困層を生み出してしまう、という不幸な構造になっているのです。
また、近代文明の発展が環境汚染や地球温暖化を惹き起こし、そのことによって気候変動が生じている、と言われています。それが原因だと思われる災害が起こるたびに、地球が人間の住めない世界になってしまう、という警告が発せられます。それを改善しようという若者を中心とした動きも活発になりつつあります。
若い優秀な学者からは、人々の注意を喚起するようなメッセージが発せられています。ドイツのマルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980 - )や日本の斎藤幸平(1987 - )などの著書が広く読まれていますが、私は若い人たちのこのような動きに確かな希望を抱いています。彼らの提示する具体的な処方箋がどんなものなのか興味深いところですが、それはすでに別の機会で取り上げています。そこで今回は、言葉の問題について考えてみよう、ということなのです。
言葉というのは言うまでもなく、人間に特有の情報伝達の手段です。それはきわめて知的なものですから、感覚から直接、刺激を受けるような美術や音楽などとは違っています。しかし私たちは、言葉によってイメージを共有し、ある種の感情を分かち合うことができます。また、言葉によるイメージの共有は視覚的な像の表現を可能にしますし、言葉を発することで聴覚に心地よい響きをもたらすこともできます。ただし、触覚についてはどうでしょうか。
言葉によって触覚的な体験を伝えることは可能ですが、それは直接、触覚に訴えるものとは異なっています。しかし、中村雄二郎が『共通感覚論』で論じたように、感覚は相互に連携しあうものであり、ある言葉が発せられることで触覚的な刺激を受けることもありうるのです。それは、ガツンと何かをぶつけられたように感じることもありますし、不意に何かの塊に触れてしまったような、静かな違和感のようなものである場合もあるでしょう。このような言葉の表現の「触覚性」を確認することは、「触覚」という感覚の重要性を再認識することになり、「視覚」重視のモダニズムの思想の再検討につながるのです。とくに、知的な伝達手段である言語においてさえ、「触覚性」が重要な意味を持つことが再認識されるということは、とても大切なことだと思います。
そして、それを言語論として具体的に論じようとしたのが吉本隆明なのです。冒頭でも書いたように、吉本はしばしば「さわり」、「しこり」、「当り」というような、触覚的な言葉を使って自身の言語論を展開していきます。それらは、吉本の言語論にとって根本的な概念であり、言語の発生から詩的な表現の誕生までを論じるうえで、欠かせないキーワードなのです。
それでははじめに、吉本隆明の言うところの、言葉による意識の「さわり」について見ていきましょう。彼の著書『言語にとって美とはなにか』には次のような文章があります。
言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりを含むようになり、それが発達して自己表出として指示性をもつようになったとき、はじめて言語とよばれるべき条件を獲得した。この状態は、「生存のために自分に必要な手段を生産」する段階におおざっぱに対応している。言語が現実的な反射であるとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のために存在し、また他のために存在することとなった。
たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろとした青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫びを「う」なら「う」と発するはずである。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ「う」なら「う」という有節音を発するだろう。このとき「う」という有節音はあるさわりをおぼえ「う」なら「う」という有節音を発するだろう。このとき「う」という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声であるが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲得しているとすれば「海(う)」という有節音は自己表出として発せられて、眼前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することになる。このとき、「海(う)」という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。
(『言語にとって美とはなにか』「第1章 言語の本質」吉本隆明著)
ちょっと分かりにくいかもしれません。この吉本独特の言語の起源を理解するためには、吉本が言語を「指示表出」と「自己表出」という二つの側面から考えていることを知っておく必要があります。
「指示表出」というのは、文字通り、言語が何かを指し示す機能をもっていることを説明する用語です。私たちが人間同士で言葉を共有できるのは、それが共通のものを指し示していると了解しているからです。例えば、目の前にいる犬を指して「イヌ」と言っているのに、相手が遠くにいる猫のことだと思っていたのでは会話になりません。「イヌ」という音声は、目の前の犬のことを指しているのだと、互いに了解している必要があるのです。
もしも言葉を機能的な観点から考察するなら、この「指示表出」の仕組みを理解するだけで十分なのかもしれません。しかし、言葉がたんに記号としての役割しか果たさないとしたら、それは芸術的な表現に達することが出来ない、と吉本は考えたのでしょう。吉本はここで、目前にある海のことを取り上げているのですが、その説明はこのようなことでしょう。海を見て人間が「う」と言った時、その音声を発した人の意識に、何かが引っかかったとします。それを吉本は意識の「さわり」というのです。「う」という叫びの中に海の広さ、海の青さ、海の波音を聴いた驚き、などが込められて、それが「う」という音を聴くたびに人のこころの中に海が浮かび上がってくるのです。そのような言葉の働きを、吉本は言語の「自己表出」として分析しているのです。
もしもあなたがソシュール(Ferdinand de Saussure、1857 - 1913)の構造主義言語学を知っていたら、この吉本の言語の発生論がとんでもない思い込みによるものだと思うでしょう。私も、吉本のこの説明には、科学的な裏づけが取れないだろう、と予測します。しかし、おそらく言語の発生について考えた時に、誰も客観的な事実など語ることは出来ないと思います。また、言語には記号としての働きだけでなく、ときには宗教的な信仰や神秘的な思いが込められることがあります。そのような不思議な言語の機能について、科学的な考察だけで解き明かすことは難しいでしょう。ですから、私はこの吉本の説明をやや奇妙なものだと感じつつも、言語の表現力を考えるうえで興味深い仮定だと受け止めるのです。
とくにこの吉本の解説で面白いのは、吉本が意識の「さわり」という触覚的な用語を使っている点です。人間の心の中で何かが触れたような、そんな感覚のことを吉本は言いたいのだと思います。人間は心の中で何かが確かに触れたように思うとき、あるいは重要な何かが引っかかったとき、それを「さわり」という触覚的な感覚として捉えるのです。このように「触覚」という感覚は、たんに物理的なものに人間が触れた時に作用するだけではなく、意識の深いところで他の知覚と連携しながら働くものなのです。
さて、このように指示表出と自己表出というふたつの側面を有した言語を使って、私たちは見たものや感じたものを言葉として共有します。そして複雑な思考や思いさえも、言葉にすることが可能となったのです。しかしその一方でさまざまな事情から、かんたんに言葉にできない事態も生じてきます。「王様の耳はロバの耳」の童話ではないけれども、わかっていても口に出せないこともあるでしょう。そのとき、私たちのこころには何かわだかまりのようなものが残ります。それを吉本は「しこり」という言葉で表現しました。前回も引用した部分ですが、彼は『詩とはなにか』で次のようなことを書いています。
現実の社会で交通の必要からとびかわされる生活語の世界を第一の現実とすれば、散文芸術の世界は第二の想像的な現実であり、詩の世界は第三の想像的な根元であり、詩をかくということはこの第一の現実において、第三の想像的な根元、自己が自己に憑く状態に励起されることである。なぜ、それが(詩をかくことが)必要なのか、はそれぞれの書き手のこころ、社会のなかに秘されている。しかし、一般的にいえば、人間はその原始社会において何らかの矛盾をもつようになったとき、意識の自発的な表出が可能になったとみることは成り立ちうることである。まず、社会的な矛盾は、意識のしこりをあたえ、しこりが意識の底までとどくと、意識は何かの叫びのようなものを自発的に表出する。もちろん、この場合はわたしたちが充足感や快感とかんがえているところは、しこりの裏側にほかならないともいえる。
(『詩とはなに』吉本隆明)
前回も書きましたが、吉本は言葉を三つの層に分けて考えています。私たちが日常的に使う「生活語」から「散文芸術」の言葉へ、さらに「詩の世界」の言葉へ、というふうに日常の言葉から自己表現の高みへと、段階的に言葉が深まっていくのです。私たちが社会生活の中で感じる意識の「しこり」は、はじめのうちは言葉にならない叫びのようなものとして発せられるのですが、その「しこり」の核心を言い当てることができるようになり、さらにそれをえぐり出し、やがてその「しこり」の大きさに値するほどの表現力を持ちえた言葉になった時に、それは「詩の世界」の言葉として発せられるのです。
その「詩の世界」の言葉にまで言葉が昇華するためには、「しこり」の内容を散文的に説明するだけでは不十分です。その言葉そのものが「しこり」に相当するだけの印象を人に与えなくてはなりません。そのとき、人は言葉に比喩表現を用いるのです。その比喩がありきたりであれば、聞く人にさして強烈な印象を与えることができません。かといってあまりに突飛な比喩表現では、比喩としての役割を果たさないでしょう。では、どういう表現がよいのでしょうか。その比喩表現の試行錯誤のおおもとには、言葉の「当り」という触覚的な感覚があるのだと吉本はいうのです。これも前回、引用した部分ですが再度、確認してみてください。
しかし、いずれにせよ、詩的な喩の本質が、でたらめに歌われた手近な対象のうちから、ある述意にたいする意味的なまたは像的な当りに起源をもつということができそうにおもわれる。そして、この当りの意味や像は、歌われ、またはかかれた詩が励起された意識の交響する言葉として表現されるということのなかにはじめてあらわれる。
この当りがまさにあるつぎの言葉にぶつかって励起状態ができ、それによって詩が詩としての本質をあらわす端緒をなすことをかんがえれば、ここに詩的喩の本質があることが容易に理解される。詩の喩は、詩の価値をたかめるための言葉の当りであり、いいかえれば意識の自己表出をたすけるもの、または自己表出そのものの原型である。
(『詩とはなにか』吉本隆明)
前回は、駆け足で引用してしまいましたが、言葉の指示表出、自己表出という二つの側面をおさえたうえでこの文章を読むと、より分かりやすいと思います。とりわけ最後の部分の、「詩の喩」は「言葉の当り」であり、いいかえればそれは「自己表出そのものの原型」である、というところが重要です。詩を味わうには、「言葉の当り」を甘受することが肝要で、その「当り」具合によって、その人にとっての「詩の価値」が決まってくるのです。
それでは、その「当り」とはどのようなものなのか、実際の詩を例にとって見てみましょう。吉本は、次のような北村太郎(1922 - 1992)の詩の一節を例にとって説明しています。
彼は1950年にインターンを終えた
若い開業医である。彼の
サファイアの瞳にうつるのは、貧しい
病める器である。
(Pride and Prejudice 北村太郎)
いま、「サファイアの瞳」という隠喩的な表現を、「サファイアのような瞳」とかけば、直喩的になる。そして、まさしく、北村、加島の論文(「詩の定義」『荒地詩集』1953年、1954年)が指摘しているように、説明的、散文的な印象をあたえる。なぜだろうか?
北村、加島の論文は、直喩は比較が反省の結果表現されるからだと説明している。わたしは、直喩と隠喩という区別はそれほど重要でなく、ただ喩が像的であるか、意味的であるかが重要なのだとのべたばかりだから、べつの説明をとらざるをえない。
「サファイアの瞳」という隠喩のばあい、瞳がサファイアのようにかがやいているというのでもなく、瞳がサファイアで造られているということでもない。まさしく「サファイアの瞳」そのものであって、サファイアという言葉のもつサファイアの像が、瞳の像と直結する。それは像が像に当って表現性をたかめる。
「サファイアのような瞳」という直喩的な表現では、くせものは「ような」という副詞的ないいまわしである。この「ような」が、じつは、単なる助詞的「の」とちがって微弱であるが動きの像をあたえる言葉なのだ。したがってはじめの「サファイア」は「のような」という言葉の動きの像に乗せられてから「瞳」という言葉に到達する。サファイアの像は「ような」という言葉の動きにのって迂回し、それから瞳につながるのである。
これから判るように「サファイアの瞳」という隠喩的な表現が、「サファイアのような瞳」という直喩的な表現よりも直観的であり、後者のほうが説明的であるという理由はでてこない。ただ「ような」という言葉の像の動きにのるか、のらないかのちがいにすぎない。しかし、それにもかかわらず「サファイアのような瞳」という直喩形のほうが説明的、散文的にみえるとすれば、この表現が、現代的な言語の水準で、意識の自己表出性を励起しない程度に文学的には慣らされているからであるとおもえる。いいかえれば、「サファイアの瞳」は、わたしのいう想像的な表出そのものでありうるのにたいし、「サファイアのような瞳」は、想像的な現実にほかならないのである。
(『詩とはなにか』吉本隆明)
文法的な解釈が出てくると、高校時代を思い出して拒絶反応を起こしてしまいそうですが、細かい点はともかく、「サファイアの瞳」と「サファイアのような瞳」を比較すると、前者が自己表出としての度合いが高いのに対し、後者は説明的であり、その度合いが低いのだと思います。つまり「サファイアの瞳」が意識への「当り」が強く、「サファイアのような瞳」は「当り」が弱いのです。これは「サファイアのような瞳」という語句が、「現代的な言語の水準で、意識の自己表出性を励起しない程度に文学的には慣らされているから」であり、永遠不変の法則のようなものではありません。
この『詩とはなにか』という論文が書かれたのが1965年ですから、もう55年以上も前のことになります。いまでは「サファイアの瞳」と言っても、それほど意識の「当り」の強い言葉とは言えないでしょう。私が学生の頃に作詞家の松本隆が「瞳はダイヤモンド」という一節を歌詞に使いました。その当時でさえ、この歌詞から「ダイヤモンド」の宝石を具体的な像として想像した聴き手がどれほどいたでしょうか?それよりも、うるんだ瞳が宝石のような光を放ち、それが「愁いを帯びた瞳」というセンチメンタルな比喩表現として、正しく受容されていたのではないか、と推察します。(あるいは松田聖子のきらきらした瞳とイメージがリンクしただけだったのかもしれませんが・・・。)
ちょっと話が横道にそれました。この『詩とはなにか』という論文の中で、吉本はさらにシュルレアリストの詩を例にあげて比喩の効果について説明しています。シュルレアリスムの手法の中でデペイズマン (仏: Dépaysement) という手法があります。これは「異なった環境に置くこと」を意味するフランス語ですが、日常から切り離した意外な組み合わせのものを併置することで、見る者や聞く者の意識に強い衝撃を与えるという手法です。美術作品においては、写真やイラストをコラージュ(はりあわせる)して、異質のものを画面に混在させてドキッとさせる、という方法で表現されることが多かった手法です。詩の言葉で言うなら、無意識のうちに浮かんだ言葉を連ねてみて、そのつながりの無さで衝撃を与えるような手法です。そのことを理解したうえで、つぎの吉本の説明を読んでみてください。
詩的な喩のひらいてくれる可能性は、ほとんど無際限だということができる。しかし、それは言語の像の意味との当りが無際限であるというのとおなじ意味で、また同じ範囲でだ。たとえば、わたしたちは、シュルレアリストのように言葉を意識から自発的にとびだす弾丸のようにつかうこともできれば、レアリストのような言葉を現実を指示する手段のようにつかうこともできる。詩的な喩は、その起源において、古代詩人がそれ以外にはできなかったという理由から、勝手に手あたり次第の対象をうたいながら、当てたように、現代詩人は、(シュルレアリストのように)当てることの連続によって喩の概念を拡大することもできる。シュルレアリストの詩は、いわば喩だけからできあがった詩だということもできるのだ。
詩のかなめに詩的喩があり、詩的喩は詩人の意識の自己表出力を励起状態に当てることにほかならない。それならば、喩だけからできあがったシュルレアリストの詩は、もっとも詩の発生と未来へとつながるかなめを射ようとしており、そこに最短距離への努力があるといえる。だが、おそろしいことに、言語は自己表出された意識であるとともに、意識の実用化であり、詩の言葉もまた散文の言葉や語り言葉と同じように何ものかを意味してしまうのだ。何が価値ある詩か、というもんだいにおいて、わたしたちがシュルレアリストにも抽象主義にも重きをおきえないのはそのためである。
(『詩とはなにか』吉本隆明)
ここでは、比喩表現と詩の価値についての関係が語られていますが、それと同時にシュルレアリスムが芸術のなかで果たした役割についても客観的に述べられています。シュルレアリスムの手法によって並べられた言葉は、詩の創作の「最短距離」を走破しようという努力が認められるものの、そのようにして出来上がった詩に「重きをおきえない」と吉本は言っています。これは美術の分野においても同様のことがいえると思うのですが、むしろ私には、美術作品を想起した方がわかりやすいくらいです。例えば異なる文脈のものが画面上に混在することで見る者をドキッとさせた作品も、見慣れてしまえばほとんどその価値がなくなってしまいます。マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887 - 1968)、マン・レイ(Man Ray, 1890 - 1976)、ルネ・マグリット (René François Ghislain Magritte, 1898 -1967)、ポール・デルヴォー(Paul Delvaux、1897 - 1994)らの一部の作品、あるいは形而上絵画のデ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888 - 1978)の作品がいまでも魅力的なのは、作品のなかでのイメージの併置、ならびにぶつかり合いに作家の詩的な感覚や知性が反映しているからです。つまり、そこには作家の感覚、意識が介在し、私たちはそれを読みとったり、味わったりして鑑賞しているのです。それに値しなかった作品は、たんにデペイズマンという手法をなぞって現代美術の作品へと直行したものに過ぎません。同じように、詩の表現においても比喩表現の「最短距離」をいくら求めても、そこに詩人の意識が介在しなければ、たんなる言葉遊びになってしまうのです。その手法に慣れてしまえば、退屈な言葉の羅列に過ぎないものになってしまいます。だから吉本は、そこに重要性を求めるわけにはいかない、と書いているのです。
そして吉本は、さらに冷徹なことを書いています。ちょっと今回の問題から離れてしまうのかもしれませんが、大事なことだと思うので一緒に読んでみてください。
詩にとって確かなことは、たとえそのなかで世界を凍らせる言葉がつづられたとしても、やがて詩は終わり、こころの励起はおわりをもつということだ。だが、現実は「永久」にわたしたちを抑圧する。もちろん、抑圧された現実のなかでも、たたかったり、眠ったり、愉しんだり、休息したり、判断を中止したりしているし、残念なことにそれが生活しているしるしになっている。
(『詩とはなにか』吉本隆明)
これは、「サファイアの瞳」の比喩表現のところで触れた、比喩表現がつねに「言語表現の現代性のなかで価値を求められる」ことと、関連しているのかもしれません。それに加えて、ここには生活者であり、思想家であり、詩人である吉本の立ち位置が表れてもいます。吉本の言っていることは、こういうことです。詩の言語表現の中にいっときの真実を見出したとしても、その感動はやがて終わります。それにもかかわらず、私たちは現実の生活中に戻っていかなくてはなりませんし、私たちは「永久」に現実世界に抑圧され続けなければなりません。つまり、詩の表現による救いの効果は一時のものであり、継続しないというのです。もしかしたらそれゆえに、彼は少しずつ思想や批評の仕事に傾斜していき、現実の世界にコミットすることを考えたのかもしれません。
しかし、どうでしょうか。私は吉本の批評の仕事にいまも影響を受けていますし、彼が多くの評論や思想書を残したことに感謝しています。しかし、彼の詩『廃人の歌』を折に触れて読むたびに、その言葉に意を新たにし、戒めや勇気をもらいます。現実の生活の中での「たたかい」が「永久」に続くように、優れた詩の言葉もまた永遠に、抑圧された私たちのもとによみがえってくるのではないでしょうか。それは同じように人を励まし、また以前とは違ったかたちで示唆を与えることもあるでしょう。いずれにしろ、詩や芸術は人々の日々の生活の中で、生かされ続けていくのです。
吉本はこのようにも言っています。
わたしが、いままで詩的な喩として言語のうえからのべてきたところは、この「永久」的な現実の抑圧と、詩の一時的な解放との結び目をとめるクサビのようなものである。
(『詩とはなにか』吉本隆明)
もしかしたら、詩を書いた本人にとってそれは「一時的な解放との結び目をとめるクサビ」であったのかもしれません。しかし、その詩を読む私たちにとっては、その「クサビ」が人生の節目において何度でも訪れるのではないでしょうか。
例えば、前回取り上げた吉本の『廃人の歌』のことを考えてみましょう。この「廃人」という言葉こそ、まさに真実を語る「詩人」の隠喩であるわけですが、その表現はいまだに有効だと思います。
ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ
(『廃人の歌』吉本隆明)
この詩の一節を読むたびに、私たちは「真実を口にする」詩人を打ちのめして「廃人」にしてしまおうとする社会の悪意を認識し、そこにどうしようもない日常的な現実を痛感してしまいます。この言葉の比喩としての表現力は、色褪せるどころか、むしろ人生経験を積めば積むほど、その真理としての重みが増していくように思います。しかしだからこそ、「真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想」を捨てることが出来ないのです。
考えてみると、私たちは自分の心の中に、いくつかそのように働きかける芸術作品を持っているのではないでしょうか。何度でも繰り返して見てみたい絵とか、つらいことがあると聞きたくなる楽曲とか、誰でもひとつやふたつ、そういうものを持っているのではないでしょうか。それらがどうして私たちの心に触れることが出来るのか、私は探究していきたいと思います。
吉本は、言葉による表現が私たちの心の「さわり」から生れたこと、そして「しこり」のような心のわだかまりが言葉となって表出するときに「詩」ができたこと、さらにその「詩」の言葉の表出を支える比喩表現が、私たちの心に「当り」のような感触をもたらすことを教えてくれました。この、言葉の「触覚性」を再認識することはいまだからこそ重要で、この思いを胸にあらためて詩を読むことはもちろんですが、この再認識から派生するさまざまな考察、とくに「視覚」重視のモダニズムに関わる考察を進めていかなければなりません。
そういえば、高村峰生の『触れることのモダニティ』では、ドイツの文芸批評家、思想家、そして翻訳家でもあったベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin、1892 - 1940)が、翻訳の言葉の中に「触覚性」を見出していたことを取り上げていました。これも興味深いことなので、以前にも簡単に触れたことがありますが、もう少し詳しく探究したい問題です。外国語が読めず、翻訳などやったことのない私に、果たしてどの程度の探究が可能なのか・・・、とりあえず、チャレンジしてみましょう。
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