平らな深み、緩やかな時間

152.『廃人の歌』吉本隆明から学ぶこと

3月15日(月)から20日(日)まで、東京・京橋のギャラリー檜で個展を開催します。
冒頭のblog「はじめに」やギャラリー檜のHP、または石村HPなどご参照ください。
今回は新型コロナウイルスの感染状況下での危うい状況がわかっていましたので、カラー刷りのパンフレットを作成しました。外出を自粛して来ていただけない方にも、展覧会の概要を知っていただこうという趣旨です。もちろん、このような状況下で画廊を開いている方々のためにも、お近くにいらっしゃることがあれば、実物をみていただきたい気持ちはやまやまですが、とにかくご無理をなさらないようにお願いします。前回のblogにそのパンフレットのテキスト部分を掲載しました。パンフレットの形をそのままご覧になりたい方は、石村HPの「はじめに NEWS」のページにpdfファイルをアップしました。展示予定の作品の写真も掲載しましたので、よかったらご覧ください。
http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html
実は今朝、出来上がったパンフレットが届きました。知り合いの方には郵送しましたが、もしももらっていただけるようでしたら、ホームページの「コンタクト」を利用してご連絡ください。よろしくお願いします。


さて、今回は詩人で評論家、思想家の吉本隆明(1924 – 2012)が書いた有名な詩を取り上げます。吉本隆明は私の父と同じくらいの年齢ですから、若い方から見ると祖父母の世代か、あるいはもっと上の人にあたるのかもしれません。彼は私より少し上の、学生運動が盛んだった世代の若者たちのヒーローでした。そして私たちの世代からすると、サブカルチャーまで巻き込んだ現代思想ブームの重鎮のような人でした。在野でありながら、難しい思想書から漫画の批評まで広大な分野の仕事をこなし、若手の人気作家、吉本ばなな(1964 - )の父親でもあったのですから、たいへんなオーラを放った人でした。このblogでは、少し前に「121.『100分de名著 共同幻想論』(先崎彰容)から『青が消える』(村上春樹)まで」の中で、彼の主著『共同幻想論』を間接的に取り上げました。
今回、彼の『廃人の歌』(詩集『転位のための十篇』の中の一篇 1952~53)という詩を取り上げたのには、理由があります。それは、前回掲載した私の個展のパンフレットのテキストの中に、次の一節があったのですが、お読みいただけたでしょうか。
「・・・これまでとは異なる価値観を再検討すべきときです。言うまでもなく、芸術はその先進的な例であるべきです。」
これはどういうことかというと、芸術の分野では、しばしば現実の世界で起こる問題が先進的なかたちで表れる、ということを言っているのです。そして芸術家は、それを感度よく察知し、自らの創造行為に取り込んでいくことで、現実世界の課題への取り組みの先進例となることが出来るのです。それは意図してそうなるのではなくて、芸術家としての感度が鋭ければ鋭いほど、どうしようもなくそういう結果になっていくのです。
私はいつしかそう考えるようになりましたが、思い起こせばその基本となったのが、吉本のこの『廃人の歌』という詩だったのです。それで今回は、『廃人の歌』について考えてみたいのです。そう書いておきながら、私は知性も感性も鈍い人間ですから、詩を読むのが実に苦手です。そこで詩の解読の手引きとして、吉本自身が『廃人の歌』のおよそ10年後に書いた『詩とはなにか』(『模写と鏡』収録 1964)という評論を参照することにします。
とはいえ、この『詩とはなにか』もなかなか難解で、とくに民俗学者で国文学者でもあった折口信夫(おりくちしのぶ、1887 - 1953)について書かれた部分などは、私にとってはチンプンカンプンです。ですから、必然的に私の理解できるところだけを拾い読みすることになります。少しでも日本文学に親しんだ方からすると、私の幼稚さが目に余るかもしれませんが、ご容赦ください。(これだけ言い訳を書いておけば、好き勝手なことを書けそうですね。)それでは、まず吉本の『廃人の歌』を、少しずつ読んでみましょう。

ところで、この『廃人の歌』全編をお読みになりたい方は、吉本の詩集を買うか、図書館で借りて読むのが読書人としてのルールでしょう。しかし、たった一編の詩ですから、ネット上でタイトルを検索すると、簡単に全編を読むことが出来ます。私は詩作品をまるごとここに書き写してしまうことに抵抗があるので、必要なところのみを取り上げていきます。
まずは、詩の出だしの部分です。
                       
ぼくのこころは板のうえで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時の街でぼくの考えていることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ
(『廃人の歌』吉本隆明)

さっそく難解な言葉に出会いました。「こころは板のうえ」というのは、どういうことでしょうか。「ぼく」は、固くて居心地が悪そうな「板」のうえにいるので、ゆっくり夕食が取れそうもない、だから「晩餐をとるのがむつかしい」ということなのでしょうか、それとも、「ぼくのこころ」はまな板の上に置かれて、これから晩餐のために調理されそうになっていて、調理された自分の「こころ」を食べるのがつらいので「晩餐をとるのがむつかしい」のでしょうか。
このようにつまらない解釈しかできないので、わからないところを飛ばして全体から感じ取れることに集中しましょう。「ぼく」は、どうやらとても大切なことを思索しているらしいです。その思索をしている場所というのが「夕ぐれ時の街」ですから、街の中にあっても、「ぼく」は孤独なさみしさを感じているのではないでしょうか。しかしその孤独の一方で、「全世界を休止せよ」という宣言の中に、その思索が大きな世界とかかわっていることが示されています。そして、自分の「考えていることが何であるかをしるために」は、世界を止めなくてはならない、それほど重大なことを「ぼく」が考えているのだ、とわかります。
それでは、そんなことを考えている「ぼく」は何者でしょうか。「全世界」にむかって「休止せよ」というのは、かなり尊大な、つまりエラそうなものの言い方です。しかし「ぼく」はどうやら、それほどエライ人ではなさそうです。その後の部分を読んでみましょう。

明日は不眠のまま労働にでかける ぼくはぼくのこころがいないあいだに世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 
(『廃人の歌』吉本隆明)

「ぼく」は「労働にでかける」ということですから、一労働者ということになります。そして「ぼく」は、自分の知らないところで起こっている出来事にいら立っています。それを何とか見届けようと「夜はほとんど眠らない」のですから、ちょっと世話の焼ける人のようです。だって、自分の知らないところで、自分の意に染まないことが起こりうる現実を、だれもが許容して生きています。そして、そんな許容することができる人たち、つまりものごとをよくわきまえた人たちを、上に立つ人たち、例えば神様、雇用主、為政者は好むのです。この後に次の部分が続きます。

眠るものは赦すものたちだ 神はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひょっとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがいない 幸せはそんなところにころがっている 
(『廃人の歌』吉本隆明)

自分の知らないところで、何が起こっていようが気にしない人たち、そんな人たちに対し、「神」も「女」も「雇主」も、つまり「ぼく」をとりまく社会ということになりますが、それらは「慈悲を垂れる」のです。抽象的なものの言い方でわかりにくいように思いますが、実はこの「ぼく」の抱く焦燥感は、現在の日本においてもっともホットな話題ではないでしょうか。例えば、次のニュースをご覧ください。

日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で、会議の場に女性を増やすことについて、「時間も規制しないとなかなか終わらないので困る」などと発言した。

男性が圧倒的に多い党幹部会議に女性国会議員5人がオブザーバーとして出席するのを認めることを提案した。女性議員らは会議で発言はできず、会議後に限って意見を提出できるようになるという。
(『BBC NEWS/JAPAN 2021年2月18日』より)

吉本が個々の事象に対してあまり具体的なイメージを語らず、言葉に普遍性を持たせているのに、ここで時事的な話題を織り込みたくはないのですが、やはり触れないわけにはいきません。ここで「ぼく」が抱えている焦燥感は、まさに会議に出席することを拒まれている女性たち、会議場にいてもいいけど発言してはだめ、と言われている女性たちの焦燥感に、みごとにリンクしてしまいます。例えば『廃人の歌』のここまで引用してきた部分を、「ぼく」を「わたし」に、「きみ」を「あなた」に、「女」を「男」に変換して読むと、まさに現代の為政者たち、あるいは女性差別の社会を戒める言葉に変わります。そう考えると、「ぼく(わたし)」は、ものわかりがよく、飼いならされたような人間になってはいけないはずなのです。しかし、現実はなかなか厳しいようです。それが次の部分に繋がります。

たれがじぶんを無惨と思わないで生きえたか ぼくはいまもごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ そこで不眠をうったえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはとく名の背信者である 

このようなものわかりの悪い「ぼく」は、「廃人」であり「背信者」であるほかないのです。そして不眠症のように眠れず、生活は苦しくなるばかりです。「ぼく」はまったく「ごうまん」ではないのに、「ごうまんな廃人」だと見なされるので、自らのなかへと落ち込むしかありません。
このように「ぼく」の居場所はなくなってしまっているようですが、そんなひどい仕打ちをする「全世界」に対して、「ぼく」はどのような態度を取るべきなのでしょうか。その次の部分が、この詩のもっとも有名なところです。私が記憶しているのも、実はこの部分だけです。

ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ 
(『廃人の歌』吉本隆明)

この一節によって、「ぼく」が本当は何者であるのかが分かります。「真実を口にする」ことによって「全世界を凍らせる」ことの出来る人、そんな言葉を持っている人は「詩人」に違いありません。しかし逆に、「全世界」の方から見れば、そんな「真実」を認めるわけにはいきません。それは「ぼく」の「妄想」にすぎない、そして「ぼく」は「廃人」にちがいない、というわけです。
この詩の一節には、「詩」のすべてが書きこまれているように思います。あるいは「芸術」のすべて、と言ってもいいでしょう。ぎりぎりの限界を究めた真実、そのような極北の真実にたどり着いた言葉、これが美術家なら極北の真実が込められた形象、それらは「全世界を凍らせる」がゆえに、まさに「真実」なのです。
何を言っているのか、わかりにくいでしょうか。その場合には、すこし身近な例で考えましょう。「全世界」を凍らせる言葉を具体的に見出すのは難しいのですが、その場を凍らせる言葉なら簡単に思いつくでしょう。先ほどの「日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会」の例で言えば、元総理大臣まで経験した大物元会長が平然と男女差別をむき出しにした意見を口にしています。しかもその元会長は、自分自身が差別発言をしていることさえ、気づいていません。そこで、誰かが手を上げて、そのことを指摘して発言を撤回させようとしたなら、間違いなくその場は凍りついたことでしょう。実際に、そんな人はいなかったのですが、そのときに放たれた言葉があるとしたら、それはその場を「凍らせる」言葉であったに違いありません。その架空の言葉について、もう少し考えてみましょう。
具体的なその言葉は、人間が平等であるべきだという「真実」を語っていたのかもしれません。しかし、だからといってその言葉は「詩」ではありませんし、語った人も「詩人」ではありません。なぜかと言えば、そのときに語られたかもしれない言葉は、その時にだけ意味を持つ言葉であり、普遍的な言葉とは言えないからです。
吉本の『廃人の歌』が「詩」として成立しているのは、その言葉が普遍的な価値を持つように、周到に練られているからだと思います。実際のところ、『廃人の歌』の全体から感じられるのは、男女差別ではなくて社会階級による差別だと思うのですが、きっかけは何であれ、この詩は「真実」とはきれいごとではなくて、ときに「全世界を凍らせる」ものであり、そのような「真実」を追究している人間は、「廃人」と見なされて排除されてしまう、という普遍的な真理を語っています。それゆえに「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」という一節は、芸術的な価値を持つのです。
この一節が普遍的な価値を持つという証拠に、この一節からイメージできる画家を想定してみましょう。美術表現でいえば、その「真実」を表す形象が、具体的なものであろうと抽象的なものであろうとかまいません。私は例えば、セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 – 1906)という画家が、まさに吉本が言うところの「廃人」なのだろう、と思います。彼は絵画を通して、人間が空間と時間とともにある存在だ、と私たちに示しました。それゆえに、人間という存在の限界を示したのだとも言えます。人間はまさに目前の世界とともにある存在であって、それを無視して時間や空間を自在に操ろうとしても、それはリアリティのない単なる絵空事になってしまいます。そんな作品は、セザンヌの絵と並べられると、ただの器用な絵、きれいごとの絵になってしまうのです。だからセザンヌの後から来た者たちからすると、彼は絵画表現の極北の「真実」をすでに示してしまっているので、それを超えることは不可能だ、という絶望感すら抱かせることになります。こんなふうに、あらゆることに対して忖度のない絵を描いてしまう画家は「廃人」に違いない、と言いたくなります。実際のところ、セザンヌは実生活ではかなり困った人であったようですし、父親の遺産がなければ絵を描くどころか、日々の生活さえおぼつかなかったでしょう。
また、吉本の詩に戻りましょう。この強烈な一節の後で、「ぼく」の孤独はいっそう深まっていきます。

街は喧噪と無関心によってぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして  ちょうどぼくがはいるにふさわしいビルディングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お袂れだ
(『廃人の歌』吉本隆明)

「ぼく」は孤独を深めていきますが、なんとか自分の居場所を作ろうとしています。その一方で、宗教的な救いについては否定されています。「大工の子」というのは、イエス・キリストのことだと思われますが、ここで「いらない」と否定されているのは、キリスト教に限らず、宗教そのものではないでしょうか。吉本は宗教書や宗教家について語るときでさえ、それらの思想的な「真実」を見ようとします。漠然とした宗教的な救いならば「いらない」のだ、と言っているのでしょう。
それでは、この詩の最後の部分を一気に読んでみましょう。

ぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしっているのに 沈黙をまもっているのがゆいいつのとりえである患者だそうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい生れてきたことが刑罰である ぼくの仲間で ぼくの好きな奴は三人はいる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる          
(『廃人の歌』吉本隆明)

どうやら「ぼく」は孤独ですが、一人ぼっちというわけではなさそうです。「ぼくの仲間で ぼくの好きな奴は三人はいる」というのですから、この「三人」という数字が多いのか少ないのか、判断はみなさんにお任せします。もしも「ぼく」が詩人であり、芸術家であるなら、「ぼく」の「真実」を受けとめてくれる友人が「三人」だというのは、それほど少ない数ではないように思います。先ほど私が例にあげたセザンヌならば、自分の芸術を理解してくれる人が身近に三人もいたと思っていたでしょうか・・・。そして、「ぼく」を受け容れない「全世界」との戦いは、静かに継続している雰囲気があります。「刑罰は重い」、「不可抗の控訴」と言った言葉から、きびしい審判が待っているようですが、「休暇はかせげる」というのですから、いますぐ断罪されるのではなくて、時間稼ぎをしながら戦いを続けていくのでしょう。

こんなふうに勝手に解釈していきましたが、吉本自身はこの詩についてどう考えていたのでしょうか。彼は『詩とはなにか』という評論の中で、実は具体的にこの詩について次のように書いています。

1952年頃『廃人の歌』という詩のなかで「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって、ぼくは廃人であるそうだ」という一節をかいたことがある。この妄想は、16、7歳ころ幼い感傷の詩をかきはじめたときから、実生活のうえでは、いつも明滅していた。その後、生活や思想の体験をいくらか積んだあとでも、この妄想は確証をますばかりであった。
すくなくとも、『転位のための十篇』以後の詩作を支配したのは、この妄想である。わたしがほんとのことを口にしたら、かれの貌も社会の道徳もどんな政治イデオロギーもその瞬間に凍った表情にかわり、とたんに社会は対立や差別のないある単色の壁に変身するにちがいない。詩は必要だ、詩にほんとうのことをかいたとて、世界は凍りはしないし、あるときは気づきさえしないが、しかしわたしはたしかにほんとのことを口にしたのだといえるから。そのとき、わたしのこころが詩によって充たされることはうたがいない。
(『詩とはなにか』吉本隆明)

「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって、ぼくは廃人であるそうだ」という一節を十代の頃から心に秘めていた、というのは早熟でしょうか。そのようにはっきりと自覚していなくても、このような思いを誰もが抱くのではないか、と私は思います。むしろ、その思いを抱き続けることの方が難しいのだろう、と私は考えます。大人になれば誰もがものわかりが良くなってしまいますし、また、そうでなければつらくて生きていけない、ということがあります。吉本の場合には、そこに戦前と戦後という大きな思想的な変化があったはずですが、それにも関わらず、彼はこの思いを抱き続けます。それはやはり、彼が詩を書いていたからだろうと思います。

現実の社会では、ほんとのことは流通しないという妄想は、あるひとつの思想の端緒である。それとともに、詩のなかに現実ではいえないほんとのことを吐き出すことによって、抑圧を解消させるというかんがえは、詩の本質についてある端緒をなしている。抑圧は社会がつくるもの、吐き出しても、また、ほんとのことを吐き出したい意識は再生産される。だから詩は永続する性質をもっている。ここ一、二年詩をかくことが途絶えがちだったとき、わたしは、批評文によってできるかぎりほんとうのことを吐き出してきたといえる。しかし、詩がえらばれないで、たしかに批評文がえらばれた。このばあいでも、現代の日本の文学界では、批評文ではあぶく銭が手にはいるが、詩では銭がはいらぬ・・・等々のような卑近な理由があるのを否定しようとはおもわない。しかし、それだけの問題ではない。わたしにほんとのことを吐き出したい気持ちが薄れたなどということはまずありえない。ここで辛うじていえることは、詩の場合には、ほんとのことはこころのなかにあるような気がし、批評文の場合にはある事実(現実の事実であれ、思想上の事実であれ)に伴ったこころにあるような気がすることである。だから、詩作が途絶えがちであった時期、わたしは内発的なこころよりも、事実に反応するこころから、ほんとのことを吐き出してきたということができる。
詩とはなにか。それは現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。こう答えれば、すくなくともわたしの詩の体験にとっては十分である。
(『詩とはなにか』吉本隆明)

吉本の文章としては、とてもわかりやすい方だと思うので、解説は不要でしょう。「詩」と「批評」との違いは、「内発的なこころ」から出た行為なのか、それとも「事実に反応するこころ」から出た行為なのか、という違いである、というところも明快です。これを書いていた頃、吉本は詩から批評に仕事を傾斜させていた時期なのだと思いますが、そうであっても「わたしにほんとのことを吐き出したい気持ちが薄れたなどということはまずありえない」と言い切ってしまうところが、かっこいいですね。吉本の文章を読むと、こういう啖呵を切られて、しびれてしまうことが多く、病みつきになってしまうのです。いまから考えると、けっこう理不尽な啖呵である場合も多いのですが、それでも吉本が言っている、と思うと不思議と許せてしまうのです。
この『詩とはなにか』という文章では、この「ほんとのことを吐き出す」ことが「詩」である、というのは自分の考えであって、「百人の詩作者にきいて、百通りの答えがでるなかのひとつの答えにしかすぎない」と書いたうえで、何人かの知識人の考えを考察していきます。ここで取り上げられているのは、詩人の萩原朔太郎(1886 – 1942)、文芸評論家の中村光夫(1911 – 1988)、哲学者のマルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889 - 1976)の三人です。彼らが詩についてどう言っているのか、を吉本の解説から簡単に読みとってみましょう。
萩原朔太郎は、詩とは「現存しないものへの憧憬」だと書いています。吉本は、これを「現存しえないもへの憧憬」と読みかえれば、現実との隔離感という点において自分の詩に対する考えと接触している、と言っています。
中村光夫は、詩の本質は「歌であり、歌は言葉以前の肉声―叫び声である」と書いています。吉本は「ほんとのことを口に出せば世界は凍ってしまうならば、それができない社会では、絶えず、ワアッとかウオウとかいう叫びをこころに禁圧しているとも考えられる」と解釈し、自分の詩に対する考え方と共鳴するものだ、と考えているようです。
ハイデッガーは「現存する社会に、詩人として、いいかえれば言うべきほんとのことをもって生きるということは、本質的にいえば個々の詩人の恣意ではなく、人間社会における存在の仕方の本質に由来するものだ」と言っているのだそうです。人間の存在について深い思索をした哲学者らしい見解ですが、この言葉によれば、吉本の「口に出せば全世界が凍ってしまうだろう」という詩作の持つ根拠は、「人間の歴史とともに根ぶかい理由をもつものだ」ということになります。難しい言い方をしていますが、要するに吉本が想定した詩人の定義が、人間という存在にとって普遍的な意味を持つのではないか、と解釈しているのです。
以上が『詩とはなにか』という評論のはじめの章に書かれていることですが、このあとの章では、折口信夫の研究から詩の起源について考察したり、詩の比喩表現について探究したり、ということで文学的な内容にどんどん突き進んでいきます。はじめに書いたように、私の教養ではとても太刀打ちできないので、これ以上の深入りはしませんが、ひとつだけ私の気になった点について書いておきたいと思います。
それは『幸福論』で有名なアラン(Alain 本名エミール=オーギュスト・シャルティエ Émile-Auguste Chartier、1868 - 1951)の『文学論』に触れたあとで、詩の起源について考察している部分です。

現実の社会で交通の必要からとびかわされる生活語の世界を第一の現実とすれば、散文芸術の世界は第二の想像的な現実であり、詩の世界は第三の想像的な根元であり、詩をかくということはこの第一の現実において、第三の想像的な根元、自己が自己に憑く状態に励起されることである。なぜ、それが(詩をかくことが)必要なのか、はそれぞれの書き手のこころ、社会のなかに秘されている。しかし、一般的にいえば、人間はその原始社会において何らかの矛盾をもつようになったとき、意識の自発的な表出が可能になったとみることは成り立ちうることである。まず、社会的な矛盾は、意識のしこりをあたえ、しこりが意識の底までとどくと、意識は何かの叫びのようなものを自発的に表出する。もちろん、この場合はわたしたちが充足感や快感とかんがえているところは、しこりの裏側にほかならないともいえる。
(『詩とはなにか』吉本隆明)

ここで吉本は、言葉を三つの層として考えています。①私たちが日常的に使う言葉、②それを小説などに用いた散文芸術の言葉、③さらに私たちの想像力の根源にある詩の言葉、というふうに考えているのです。そして、なぜ人間は①の日常生活から隔たった詩の言葉を必要としたのか、と言えば、そこには人間の意識の底に何らかの矛盾が生じ、それが「しこり」のような塊になって意識の底に届き、それを叫びのようなものとして発せざるを得なかったのだろう、という話なのです。
この話に納得するのかどうかはともかくとして、その叫びのようなものがどのようにして詩の表現にまで昇華したのでしょうか。吉本は、詩的な比喩表現がどのようにして生まれたのか、次のように考察しています。

しかし、いずれにせよ、詩的な喩の本質が、でたらめに歌われた手近な対象のうちから、ある述意にたいする意味的なまたは像的な当りに起源をもつということができそうにおもわれる。そして、この当りの意味や像は、歌われ、またはかかれた詩が励起された意識の交響する言葉として表現されるということのなかにはじめてあらわれる。
この当りがまさにあるつぎの言葉にぶつかって励起状態ができ、それによって詩が詩としての本質をあらわす端緒をなすことをかんがえれば、ここに詩的喩の本質があることが容易に理解される。詩の喩は、詩の価値をたかめるための言葉の当りであり、いいかえれば意識の自己表出をたすけるもの、または自己表出そのものの原型である。
(『詩とはなにか』吉本隆明)

ここで吉本が言っているのは、詩的な比喩表現がどのようにして生まれたのか、ということです。はじめはでたらめな言葉の連なりであったもののうちで、人間の意識にある種のひっかかりをもたらすものがあった・・・、それを吉本は「当り」というのですが、その言葉の響きやぶつかり合いが表現として成立したものが、詩的な比喩表現の始まりであろう、というわけです。この考え方が、翌年に書かれた『言語にとって美とはなにか』という大きな著書に繋がっていくのです。ちなみに、『言語にとって美とはなにか』では狩猟人であった人間が、海を見たときに思わず「う」と叫び、それが「意識のさわり」として定着して「うみ」という言葉になった、という吉本独特の言語観が示されています。
『廃人の歌』の話から少し離れてしまいましたが、この一連の考察の中で、吉本は詩の発生には人間の意識の「しこり」があったと言い、さらに詩的な比喩表現の根源には言葉同士の「当り」があったと言い、さらにさらに、言葉の発生には人間の意識の「さわり」があったと言います。これらの「しこり」、「当り」、「さわり」という言葉のいずれもが、触覚的な言葉でもあることに私は興味を覚えます。言葉を、単に意味を共有するための記号としてではなく、詩的な表現としてとらえたときに、そこには言葉の手触り感のようなものが考察の鍵を握ってくるようです。そう考えると、いままで読み過ごしてきた「詩」も、もう少し味わい直したい気持ちになります。
ところで、現実の世界における言葉の発生、詩の誕生は、おそらく吉本の言っているようなものではないでしょう。吉本がそれらの根源を探究しているのは、その歴史的な事実ではなくて、言語表現の本質に絡んだことなのです。このような根源の探究の方法は、私がたびたび言及している中西夏之(1935 – 2016)の絵画の探究と似ているのかもしれません。いずれ、じっくりと比較して考えてみたいテーマです。

ちょっと、だらだらと書きすぎたかもしれませんが、『廃人の歌』が芸術創作にとって、いかに重要な作品であるのか、わかっていただけたでしょうか。
「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」
私はどんなことがあっても、この「廃人」の「妄想」を捨ててはいけない、と思っています。ですから、この一節をつぶやきながら、これからも生きていくことになりそうです。

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