アメリカのジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、アレンジャーのクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones、1933 - 2024)さんが亡くなりました。
https://www.udiscovermusic.jp/news/quincy-jones-rip?amp=1
上のリンクをご覧ください。
かなりていねいにクインシー・ジョーンズさんの足跡を追っていて感心します。その時々の音源もリンクされているので、彼の仕事の量と質がよくわかります。
私はクインシー・ジョーンズさんのファンではないし、特に彼の音楽を愛聴していたわけでもありません。しかし多くの一般的なメディアが、彼の大物プロデューサーであった側面を強調して報道をしていることに違和感があります。
例えばポップス界のスーパースター、マイケル・ジャクソン( Michael Jackson 、1958 - 2009)さんの『スリラー』(1982)を手がけたとか、1985年にチャリティーソング『ウィー・アー・ザ・ワールド』を主導したとか、そういうことがことさらにクローズアップされて報道されているのを見ると、ちょっと引っかかるものがあるのです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241104/k10014629101000.html
ジョーンズさん自身が、音楽ジャンルにこだわらずに活動した方なので、私などがとやかく言うことではありませんが、彼がモダン・ジャズを常にわかりやすく解釈して、表現した人であったことも忘れてはいけないと思っています。また、彼の音楽を聴いた時の豊かな気持ちを多くの人に知ってもらいたいという思いがあります。
ここではまず、彼のジャズ・ミュージシャンとしての仕事ぶりを振り返ってみたいと思います。
なにしろ、バンドリーダーを務めた初のアルバムのタイトルが、『This Is How I Feel About Jazz』(1956)ですから、ジョーンズさんのジャズに対する熱い思いが伝わってくるようです。ただし、音はクールでスマートです。
https://www.youtube.com/watch?v=SQW1btx-kKI&list=PLBJenJIJrq0zehq8tKd8teZiOSjk2bBG2
それとボーカルのヘレン・メリル(Helen Merrill、1929 - )さんとトランペットのクリフォード・ブラウン(Clifford Brown、1930 - 1956)が共演したアルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン(Helen Merrill)』(1954)も、ジョーンズさんのアレンジによるものでした。メリルさんのジャズ・シンガーらしい、かっこいい顔のジャケットでもよく知られたレコードです。メリルさんも、ブラウンさんもジョーンズさんも、まだ20代前半でした。ブラウンさんはこの後、25歳で亡くなってしまいますが、生前はジョーンズさんと仲が良かったそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=YM0PhsP7ulk
また、ジョーンズさんを育てたカウント・ベイシー(Count Basie、1904 - 1984)さんのアルバムの中にも、彼がアレンジしたものがあります。その『This Time by Basie!』(1963)を、ラジオ番組で大友良英さんがベイシー楽団の中でも大傑作アルバムだと讃えていました。
https://www.youtube.com/watch?v=4bwvQUl8AeE
それから、私たちがよく知っている曲や演奏の中にも、彼が作曲やアレンジをしたものが意外と多いことも忘れないようにしましょう。
『Soul Bossa Nova』(1962)はテレビのコマーシャルでも使われていて、ジョーンズさんの名前も曲名も知らなくても、どこかで聞いたことがあるはずです。ユニークなアレンジで、一度聴いたら忘れられません。
https://www.youtube.com/watch?v=y-ndMMYhmi0
『鬼警部アイアンサイド』(1967 - 1975)は私が子供の頃に、ちょっと背伸びして見ていた海外テレビドラマでした。ネットで調べてみると、なかなかの長寿番組だったのですね。車椅子のヒーローという設定が、時代を先取りしていました。その主題曲が印象的で、たしか日本語の歌詞をつけて、歌われていたこともあったと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=l9rzSFk-6Cc
こういう、良きアメリカの音楽を隅から隅まで知り尽くした人が亡くなってしまう、というのは、革新的な音楽で目立った人が亡くなるのとは、また違った寂しさがあります。
そして、これはとても個人的なことですが、私にとってのクインシー・ジョーンズさんは、シンガー・ソングライターのポール・サイモンさんの『Something so right』という曲のアレンジをした人でした。
https://www.youtube.com/watch?v=YFFyy8Syj7c
この曲はポール・サイモン(Paul Frederic Simon、1941 - )さんの『ひとりごと (There Goes Rhymin' Simon)』(1973) という3作目のソロ・アルバムに入っている曲です。私は、中学生になってから自分のお小遣いで洋楽のLPを買うようになったのですが、このレコードは私が3枚目に買ったLPでした。この頃は文字通り、擦り切れるぐらいレコードに針をのせて、繰り返し聴いたものです。
ポール・サイモンさんは、アート・ガーファンクルさんとのグループを解消して、一人で身軽になったところで、世界中の音楽を渉猟して自分の音楽に取り込んでいました。このレコードにも、その成果が表れています。
グループの頃から興味を持っていた南米ペルーの音楽をはじめ、クラシック音楽のメロディーを引用したり、まだ耳新しかったレゲエをいち早く取り入れたり(これはその前のアルバムの話ですが・・)、アメリカ南部のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ(Muscle Shoals Sound Studio)で録音したり、といったふうに彼はいたるところで「Rhymin'(韻を踏む、詩を作る)」していたのです。
上のリンクのYouTubeの画像は、『ひとりごと』のアルバムのジャケット写真です。曲のエピソードに関わるオブジェが並んでいるのですが、明るいデザインで仕上げられているところが魅力的です。これを見た中学生だった私は、アメリカという国の多様性や明るさを想像して、遥かな国への憧れを感じていたのでした。
そのアルバムの中で、唯一クインシー・ジョーンズさんがアレンジしたのが、この『Something so right』という曲だったのです。他の曲が、アメリカや海外の音楽のルーツを感じさせる曲だとしたら、この曲はジャズに源流を持ったアメリカ音楽の豊かさ、味わい深さを感じさせる曲でした。
サイモンさんの歌詞が、また素晴らしいのです。
When something goes wrong
I’m the first to admit it
I’m the first to admit it
But the last one to know
When something goes right
Oh, it’s likely to lose me
It’s apt to confuse me
It’s such an unusual sight
Oh, I can’t get used to something so right
Something I can’t so right
https://www.paulsimon.com/track/something-so-right-4/
何かがうまくいかない時は
僕はまっさきにそれを受け入れる
だけど、何かがうまくいっている時は
僕はそれを最後に受け入れるんだ
何かがうまくいっていると
自分を失うような気がして
混乱してしまう
それはふだんとはちがっているから・・
というような意味でしょうか?
あまり出来の良くない子どもだった私は、いつも何かをしくじっていて、大人からあまり褒められたことがありませんでした。でも、小さな頃からそうだったので、それが自分の落ち着けるポジションだったのです。たまに褒められたり、何かスムーズに事が運ぶと、ちょっと落ち着かない気持ちになったものです。そんな私は『Something so right』の歌詞(訳詞)を読んだときに、これは自分のことを歌った曲だ、と思ったのです。
そして、こんなあいまいな気持ちを表現した歌詞が、素晴らしい歌に、そして美しい曲になっていることにびっくりしました。恋愛とか、失恋とか、もっと深刻な悩みとか、弾むような喜びとか、若者らしい怒りとか、そういう気持ちを表現した歌ならば、たくさん聴いていましたが、こんなふうに、人に言いにくいようなちょっとした気分、あるいは言ってもしょうがないようなあいまいな気持ちを、あえてサイモンさんが歌にしていることに驚いたのです。
この中途半端な気持ちを表現した曲を、みごとにアレンジしたのがジョーンズさんでした。すごくうれしくもなく、かなしくもなく、メジャーでもマイナーでもない気分がそのまま美しい響きのアレンジになっていることに感動しました。中学生の頃は、こんなふうに自分の感動を言葉にできませんでしたから、ただ、心地よい曲として聴いていたのですが・・・。
しかし曲の背後に何か豊かなものがあるな、ということは、わかっていたと思います。自分の周囲にある流行歌とは少し違う、何か複雑なもの、厚みのあるものです。それがジャズであり、ジョーンズさんの音楽の豊かさであることに気づくのには、そのあとに長い時間が必要でした。
それにしても、自分で意識的に音楽を聞き始めた頃に、この曲と出会えたことは、とても幸運なことだったと思います。さきほども書いたように、ジョーンズさんがアレンジしたのはアルバムの中でこの一曲だけでしたので、それは素晴らしい偶然だったのです。
さて、クインシー・ジョーンズさんが亡くなったことについて、追悼記事以外にも、彼について取り上げた記事を見つけました。11月16日の毎日新聞・朝刊1面の『余録「あなたの音楽は・・・」』という記事です。その出だしは、ジョーンズさんがある音楽家から受けた助言に関する話でした。
「あなたの音楽は、あなたという人間以上のものになることもそれ以下になることも決してありません」。91歳で亡くなった米ポップス界の巨人、クインシー・ジョーンズさんが「生涯に受けた最高のアドバイス」という▲助言者は仏女性音楽家のナディア・ブーランジェ。パリを拠点にストラビンスキーら20世紀の名だたる音楽家を育てた。20代でパリに渡り個人指導を受けたことがその後の成功に結びついたと振り返っている
https://mainichi.jp/articles/20241116/ddm/001/070/132000c
文中のナディア・ブーランジェ(Nadia Boulanger, 1887 – 1979)さんは、フランスの作曲家・指揮者・ピアニスト・教育者(大学教授)だった人です。彼女は世界最高の音楽教師として知られていて、インターネットで調べてみると、次のような重要な作曲家や演奏家を世に送り出したようです。
例えばクラシック音楽の大物、バーンスタイン(Leonard Bernstein、1918 - 1990)さんやミニマルミュージックのフィリップ・グラス(Philip Glass, 1937 - )さん、そのほかにクラシック以外のジャンルでも、タンゴのピアソラ(Ástor Pantaleón Piazzolla , 1921 - 1992)さん、ジャズやさまざまな分野で活躍したドナルド・バード(Donald Byrd、1932 - 2013)さん、ミシェル・ルグラン(Michel Legrand、1932 - 2019)さん、キース・ジャレット(Keith Jarrett、1945 - )さんなどがその門下生だそうです。
私が知っているところでは、ブーランジェさんはピアソラさんに対して、自分自身の音楽であるタンゴを大切にするように教えた、という話を聞いたことがあります。本当に良い先生だったのですね。
https://note.com/yone_guitar/n/n7e57e559895e
話をジョーンズさんに戻して、余禄の記事を読むと「あなたの音楽は、あなたという人間以上のものになることもそれ以下になることも決してありません」と言ったブーランジェさんも、それを「生涯に受けた最高のアドバイス」として受け止めたジョーンズさんも、両方とも素晴らしい芸術家だと思います。
芸術表現というものは、とても正直なものです。
表現者の力量以上の虚像を生むことはありません。一時的にそう見えても、いずれ実像が見えてしまうものです。また、作品がダメなときには、それは表現者の状況を表したもので、そのことについての言いわけなどできないものなのです。だから、どんなにセレブな大芸術家であっても、表現者としてはつねに初心者と同じスタートラインに立って、曇りのない目で批評されなくてはなりません。これは厳しいことかもしれませんが、偽りの多いこの世界において、とても素敵なことだと私は思います。ブーランジェさんとジョーンズさんのやりとりは、そのことをあらためて私たちに教えてくれます。
そして、その助言を大切にしたジョーンズさんの人間性を表すようなエピソードが、余禄の最後に書かれています。
▲アフリカ支援でプロデュースした85年の「ウィー・アー・ザ・ワールド」。マイケル・ジャクソンさんやボブ・ディランさんら大スターが集まったスタジオのドアに「エゴを置いていけ」と掲示した逸話は有名だ▲トランプ前米大統領を「誇大妄想狂」と批判した後には「人種差別や不平等、同性愛嫌悪、貧困などへの真のメッセージを悪口が台無しにした」と悔やんだ。復活を見ることはなかったが、エゴ丸出しのような次期政権の人事を知っても感情を抑えられただろうか。
うーん、現実の世界を見ると、その厳しさに打ちのめされてしまいそうですが、ジョーンズさんが生きていたら、これをどう感じることでしょうか?今回のアメリカの大統領選挙では、この「エゴを置いていけ」というジョーンズさんの言葉が、一層重く感じられる結果になりました。私は他国の選挙に意見を言える立場にはありませんが、アメリカを含めて世界が分断していることは間違いないでしょう。
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=107070
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230221/k10013981151000.html
私は政治家でも政治学者でも社会学者でもありませんから、この現実に対して適切な批評などできるはずもありません。私にできることは、せいぜい、自分自身がこの分断に加担しないように注意することぐらいでしょうか。あるいは、芸術の分野から何かできることがあるのでしょうか。
ちょっと考えてみましょう。
私たちの周囲にも、さまざまな分断の要因があって、自分の身近なところでも、その分断に加わらないようにすることは、意外と難しいと思います。そこで参考になりそうな本を一冊ご紹介します。
慶應義塾大学環境情報学部教授の今井むつみさんが書いた『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』という本です。よく売れているようなので、もうお読みになった方も多いと思います。
書店の紹介の主なものは、次の通りです。
間違っているのは、「言い方」ではなく「心の読み方」
ビジネスで 学校で 家庭で ……「うまく伝わらない」という悩みの多くは、「言い方を工夫しましょう」「言い換えてみましょう」「わかってもらえるまで何度も繰り返し説明しましょう」では解決しません。
人は、自分の都合がいいように、いかようにも誤解する生き物です。では、都合よく誤解されないためにどうするか?自分の考えを“正しく伝える”方法は?
「伝えること」「わかり合うこと」を真面目に考え、実践したい人のための1冊です。
この本は、いろいろな機会に発生するコミュニケーションの齟齬を取り上げて、そこから人間の認知の構造について、わかりやすく説いた本です。そのさまざまな具体的な話について、ここでは取り上げませんが、国際認知科学会(Cognitive Science Society)で活躍する今井さんが、この本の中で基本的な考え方として示しているのが、認知心理学の「スキーマ(schema)」という概念です。
辞書でひくと、おおよそ次のようなことが書いてあります。
「スキーマ」とは、過去の経験・記憶によって構造化された概念のことです。https://yasabito.com/105
この本の中で、今井さんがどのように「スキーマ」を説明しているのか、その部分を読んでみましょう。
私たちの思考には、意識されずに使われる「枠組み(=スキーマ)」がある
「知識や思考の枠組み」が互いにまったく同じであれば、話した内容はすんなりと理解されるかもしれませんが、現実には、そんなことはめったに起こりません。
なぜなら、一人ひとりの学びや経験、育ってきた環境は違いますし、仮にまったく同じ環境で育ち経験をしたとしても、それぞれの興味関心が異なれば、形成される「枠組み」が変わってしまうからです。
こうした枠組みのことを、認知心理学では「スキーマ」と読んでいます。
このスキーマは、私たちが相手の言葉を理解する際、つまり何かを考える際に裏で働いている基本的な「システム」のことです。スキーマは、脳のバックヤードでつねに稼働しています。
(『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』「第1章 『話せばわかる』はもしかしたら『幻想』かもしれない」今井むつみ)
ここで注目したいのは、今井さんが「知識や思考の枠組み=スキーマが互いにまったく同じであれば、話した内容はすんなりと理解されるかもしれませんが、現実には、そんなことはめったに起こりません」と書いていることです。
私たちは、他人と理解を深めたいときに、それぞれの「スキーマ」を一致させることを、無意識のうちに求めてはいないでしょうか?しかし、そんなことはめったにありません。さらに言えば、仮に話している相手との「スキーマ」がかなりの程度で一致したとしても、私たちの思考はあいまいな記憶に左右され、その相手との理解の継続すら難しいのです。
そのコミュニケーションの困難さは、どのような事態を引き起こすのでしょうか?
今井さんは、この本のはじめのところで2024年1月2日に羽田空港で起きた日本航空516便と海上保安庁の航空機との衝突事故のことを、事例としてとりあげています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240119/k10014323101000.html
事故の詳細は上のリンクを参照していただくとして、今井さんはその時の管制官と海上保安庁の飛行士との会話の中の「一番目=ナンバーワン」という言葉のやり取りに注目しています。「滑走路に進む優先度ナンバーワン」という管制官の指示に対し、海上保安庁は「離陸順位ナンバーワン」と解釈し、滑走路に進入してしまったのです。安全管理のプロ同士の重要な会話ですらこの通りなのですから、一般的な会話のやり取りで齟齬があるのは当たり前です。
さらにこれが、政治や社会問題をやり取りする場であれば、双方が少しでも自分に有利なように、と考えてしまうので、スキーマの一致どころか、互いの立場を理解することすら難しいでしょう。
このような認識の下で、それでは先の大統領選挙でトランプ候補を指示した人たちの「スキーマ」がどのようなものであったのか・・・、たまたまテレビ番組でその考察に役立つものがあったので、ご紹介しておきます。
『NHK特集 アメリカ 市民たちの選択』
初回放送日:2024年11月16日
新たな大統領にトランプ氏を選んだアメリカ。3年前、トランプ支持者らの議事堂乱入事件にETV特集のカメラが立ち会った。主婦のジェニファー、逮捕されたダグラス…熱烈支持の背景に何があるのか。今回の選択は、世界に何をもたらすのか。ワシントンの道傳愛子が市民たちを取材、フランシス・フクヤマ、ケント・カルダーら知識人に問う。「アメリカン・ドリームは破壊された」あるトランプ支持者の言葉、その奥に潜むものとは。
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/WPVX7WZJXW/
この文章の末尾の「その奥に潜むものとは」の後にくる言葉ですが、たぶん「光り輝く丘の上の町(shining city upon a hill)」という言葉のことを指しているのだと思います。
この言葉はロナルド・レーガン(Ronald Wilson Reagan、1911 - 2004)大統領(在任: 1981 - 1989)がアメリカを喩えて言った言葉だそうです。同じくレーガンさんが掲げた「Make America Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国にする)」というスローガンとともに、トランプ大統領もしくはその支持者に、そのイメージが引き継がれているようです。
番組では、トランプ大統領の支持者の女性が、大きな家の広い庭らしきところで大家族が楽しそうに集っている写真を差し出して、このころのアメリカに戻らなくてはならない、子どもや孫のためにも強いアメリカを取り戻さなくてはならない、と切実に語っていました。おそらく彼らからすると、そんな生活がささやかで当たり前の暮らしなのでしょう。
そんな「光り輝く丘の上の町」で暮らすはずのアメリカの人々が、卵や野菜、ガソリンの値段の高騰で悩まされなくてはならないなんて・・・、という嘆きなのです。おそらく彼女からすれば、化石燃料をどんどん生産して、重工業で豊かになり、生活が楽になることが何よりも優先されることなのです。環境破壊などはフェイク・ニュースに過ぎないのでしょう。
彼女は、現在、夫とともに年金暮らしなのですが、他国では年金も十分にもらえずに、死ぬまで働かなくてはならない人たちがいること、さらには地球温暖化の影響で、暮らす場所さえ失っている人たちがいることなど、かかわりのないことなのでしょう。
このスキーマの相違を、これからの世界はどう解消していけば良いのでしょうか?
今井さんは、『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』の最後に、次のようなことを書いています。
この世界で生きていくということは、自分の芯を持ち続けながら、別のスキーマを持った人々の立場や考え方を理解し、折り合いながら暮らしていくことです。相手の中にも自分の中にも存在する認知バイアスに注意しながら、物事を一面的ではなく様々な観点から評価する、判断する。自分の所属する、帰属する集団の価値観を、一歩引いて見つめてみる。メタ認知をしっかりと働かせることを意識していく。しかし自分の芯はぶれさせない。
(『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』「おわりに」今井むつみ)
上記文中の「メタ認知」という用語ですが、解説不要だとは思いますが、一応、次のリンクをご紹介しておきます。
メタ認知とは?
メタとは、「より上位の」「高次の」といった意味を持つ接頭語だよ。だからメタ認知は「認知(知覚、記憶、学習、言語、思考など)すること自体を、より高い視点から認知すること」を意味するんだ。
わかりやすく言うと、「何かを知っているか、何を記憶しているか」など、自分の心の活動を客観的に把握し、それをどう使いこなすか、ということだよ。
https://cocology.info/metacognition/
今井さんが書いているように、「自分の所属する、帰属する集団の価値観を、一歩引いて見つめてみる」というふうに、「メタ認知」を働かせて生きていくのは、なんだかとてもキツそうです。それでいて、「自分の芯はぶれさせない」というのでは、本当に疲れてしまいます。
しかしそれでは、その逆を考えるとどうなるのか、と今井さんは問いかけます。
「メタ認知」を働かせず、自分の所属する集団の価値観を正しいと信じて発言する・・・、今井さんはそんな生き方を「自分の認知のバイアスに埋没し、心地よいところだけで生きるのは、とてもラクな生き方でもあるのです」と書いています。
そんな楽な生き方の結果が、世界の分断です。
それで良いはずがありません。今井さんは「より深く考えようとする皆さんの前には、長く果てしない道がのびていることでしょう」と書いています。そして結びの文章として、「決してラクな道ではありませんが、その探究の道のりがよりよいものであることを、心から願っています」と書いているのです。
今井さんのこの本は、見た目は軽い指南書のようですが、内容は濃くて重たいものです。心して読みましょう。
さて、ここでもう一度、ジョーンズさんがスタジオのドアに貼った言葉を思い出してみましょう。
「エゴを置いていけ」
最後に、この言葉と私たちとの関係について考察しておきましょう。
例えば私たちが表現者として作品を作るときに、自分の「エゴ=ego=自我」を大切にすることが必要です。「自我」や「自己」のない作品は、たとえデザインや建築などの公共的な作品であっても、面白いものではないでしょう。
しかしその一方で、自分の作品を世界へと解き放つには、いったん「エゴを置いて」、「メタ認知」をフル稼働させて作品を眺めることが必要です。独りよがりで、エゴの垂れ流しのような作品など、誰も興味を持ちません。そのストレスのかかる極端な往復運動を、芸術家はやらなくてはならないのです。このきつい表現活動を実践することによって、もしかしたら芸術家は世界を救うような作品を制作できるのかもしれません。
思い起こせば、中学生のころに私が憧れたアメリカという国は、ただの幻想にすぎません。憧れの国など、どこにもないのです。ちょっと悲しいことのように感じますが、このような「メタ認知」を手に入れることは、果たして幸福なことでしょうか?
大人になった私は、憧れの国のことなどは忘れましたが、その代わりにポール・サイモンさんやクインシー・ジョーンズさんが心血を注いだ芸術作品の素晴らしさについて、より多くのことを知るようになりました。これは私が望んで手に入れた知識です。そして、そのささやかな知識を、このblogを読んでくださる方々と共有できることを、とてもうれしく思っています。これを幸福なことだと言っても、良いでしょう?
「幸福」という言葉のイメージはずいぶんと変わりましたが、今の私の幸福は、子どものころに憧れた幸福よりも、より確かなものだと思います。
そして世界の様相が大きく変わろうとしている今、昔の幸福を追い求めることをやめる勇気を誰もが持たなくてはなりません。
それがどんなにキツイことなのかを理解しつつ、昔の幸福にすがりつく多くの人たちの「スキーマ」の変容を、私たちはうながしていかなくてはならないのです。
その困難な仕事に対して、芸術家の果たす役割は、小さくないと私は考えています。
クインシー・ジョーンズさんの死去から話が始まって、なんだか長い文章になってしまいましたが、私が言いたかったことは、そういうことです。
憂鬱なニュースばかりが続く毎日ですが、世界の人たちの「スキーマ」の変容を促すような、そんな作品を作るべく、私たちは努力していきましょう。