平らな深み、緩やかな時間

40.『シャヴァンヌ』『プライベート・ユートピア』『田村画廊ノート』について

休日に見に行った展覧会のうち、ふたつの展覧会のメモを記しておきます。それから、一冊の本について・・・。

『シャヴァンヌ展』について
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_chavannes/index.html
シャヴァンヌ(Pierre Puvis de Chavannes, 1824 - 1898)はフランスの画家で、印象派のマネ(Édouard Manet, 1832 - 1883)より少し年長です。日本での本格的な紹介は今回が初めてということですが、黒田清輝(1866 - 1924)らが留学したときに影響を受けたということですから、実は日本となじみの深い画家でもあるのですね。
このころのフランス絵画といえば、印象派のインパクトが強くて、どうしても他の絵画はかすみがちです。しかし、オルセー美術館に行けば当時の古典的な大作が並んでいますし、シャヴァンヌのようにロマン派と象徴主義の橋渡しをしたユニークな画家もいたわけです。ナヴィ派の画家たちの平面的な画面構成は、後期印象派からの影響のほかに、シャヴァンヌの装飾的な平面性からの影響も大きかったことでしょう。
その作品の印象ですが、もっと古典的な作風なのかな、と予想していたのですが、色の使い方など意外と現代的な感じがしました。一枚の壁画のために、何枚ものデッサンや習作を重ねるなど、とてもまじめで誠実な画家だったのでしょう。その分、面白みに欠ける気もしましたが、それは現代からさかのぼって見ているせいかもしれません。
とにかく、西洋美術史のなかで日本では見落としがちなピースを確認する、という点で貴重な機会です。私の趣味ではないものの、古代風なロマンチックな画題の絵画としては硬質な感じで、心地よい静謐さがあり、上質な展覧会だと思います。

『プライベート・ユートピア ここだけの場所』について
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/now.html
「ブリティッシュ・カウンシル・コレクションにみる英国美術の現在」という副題が付されている展覧会です。約30名の、最近の英国現代美術家の作品を見ることができます。
イギリスの美術というと、何といっても1982年の『今日のイギリス美術展』が思い出されます。アンソニー・カロ、ブリジット・ライリー、ルシアン・フロイト、ケネス・マーチン、ジョン・ウォーカー、フィリップ・キング、ディヴィッド・ホックニー、バリー・フラナガン、ギルバート・アンド・ジョージ、ナイジェル・ホール、ブルース・マックレーン、デイヴィッド・ナッシュ、トニー・クラッグなど、今にして思えば贅沢な展覧会でした。この展覧会と比較するのは酷だとしても、イギリス美術として共通して感じられることと、そうでないことと、思ったことを少しだけメモしておきましょう。
まず、ふたつの展覧会に共通して感じられたことは、イギリス人は尊大でシリアスなものよりも、ユーモアやウィットに富むものを好む(らしい)、ということです。それもやや苦いユーモア、やや斜に構えたウィット、ですね。1982年展のホックニー、フラナガンなどのユーモラスな作品は言うまでもありませんが、今回もマーカス・コーツのシェービンク・フォームにまみれた自画像(写真作品)やウッド&ハリソンのビデオ作品など、良しあしの判断はともかく、イギリス美術らしさを感じさせます。
一方で、変わってしまったな、と思ったところは、コンセプチュアルな作品が多くて、視覚的には、すこし物足りなかった、というところでしょうか。たとえば、カロ、フラナガン、ナッシュ、クラッグなど、彫刻的でありながら、既成の彫刻の概念をひらりとかわして裏切るような、そういう面白さが前のイギリス美術展にはあったのですが、そういった作品が今回の展覧会では見られませんでした。これが最近のイギリス美術の傾向なのか、それとも今回のセレクションがたまたまそうであったのか、私にはよくわかりません。できれば、絵画や彫刻に意外な光を当てたような、そういうイギリス的な伝統も残っていてほしいものだと思います。


『田村画廊ノート あるアホの一生』について
前回の最後に書いた、山岸信郎(1929 – 2008)氏の本のことです。
この本は2008年11月に亡くなった、山岸さんの文章を美術家の竹内博氏がまとめたものです。
山岸さんが真木・田村画廊を閉廊したのは2001年です。だいぶ前のことですから、当時のことをまったく知らない方も、このブログを読んでいるのかもしれませんね。
まず、山岸さんがどういう人だったのか、公的な文書で読んでいただくのがよいと思います。国立新美術館が発行している『国立新美術館ニュース No.26』の8ページをご覧ください。これは「山岸さんの会」が六本木の国立新美術館に寄贈した資料について書かれたものです。
http://www.nact.jp/news/pdf/news26_web.pdf
この文書に書いてあるように、山岸さんは有名な貸画廊主、つまりは画廊の親父でした。山岸さんが運営していた画廊は、最盛期で五つ、ということですが、私が知っているのはそのうちの東京にあった三つの画廊、田村画廊、真木画廊、駒井画廊です。ただし、最初の画廊であった田村画廊(1969年)については知りません。その後、田村画廊を閉じて、新田村画廊(1977年)を開き、その名称を田村画廊と変更した(1978年)のですが、私が知っている田村画廊は、この後の方の田村画廊です。1969年では、私はまだ小学生ですし、真木画廊(1975年)を開廊したときで中学生ですから、山岸さんが画廊作りに奮闘していた頃のことは、まったくわからないのです。本を読むと、そのあたりのことがすこし書いてあります。
私が画廊巡りを始めた大学生の頃、神田から日本橋あたりにかけて、現代美術の画廊がいくつかありました。山岸さんの三つの画廊以外にも、ガラス張りで立体作品が多かった「ときわ画廊」とか、田村画廊に近かった「パレルゴン」とか、他にもいくつかの画廊がありました。私は大学が愛知県でしたが、実家が東京(のちに神奈川)にあったので、休みのときに帰ってくると、雑誌『ぴあ』を片手に新橋から銀座、京橋界隈と、神田から日本橋界隈を歩いて廻りました。自分自身の作品も徐々に発表するようになりましたが、学部生の頃はもっぱら名古屋の画廊で展覧会を開いていました。
たぶん、大学院生のときだったと思いますが、東京で発表しようと思い立ち、山岸さんの駒井画廊で個展を開くことにしました。友人に手伝ってもらって、作品をヴァンに積んで首都高速を上って来たときの心細さを、いまでも憶えています。名古屋なら、友人とわいわいやっているうちに、あっという間に一週間が過ぎてしまいますが、東京での個展は、とにかく孤独でした。作品そのものも、下手なミニマル・アート風の絵画で、せっかく画廊に人が来ても、一瞥しただけで出ていってしまう、ということがしばしばありました。インスタレーションや立体作品が隆盛だった頃だとはいえ、それはさみしいものでした。その時期、山岸さんは三つの画廊の内で、駒井画廊で事務仕事をしていることが多くて、私がぽつんと一人で座っていると、よく話しかけてくれました。何も言わずに足早に人が去ることが続くと、「この頃は作品の内容も見ずに、平面作品だ、というだけで無視する輩が増えてしまった。困ったものだ。」などと憤慨してくれるのです。しかし、当時の私の作品は、自分で言うのも何なのですが、どうにも批評のしようのないものだったと思います。それでも、山岸さんに励まされたこともあって、その後、何年も真木画廊で展覧会を開くことになります。(駒井画廊は、ほどなく閉廊してしまいました。)
真木画廊、のちに真木・田村画廊となりますが、そこで何回展覧会をやったのか、はっきりと憶えていません。私の作品など記録しても意味がないと思い、ファイル作りを放棄してしまいましたので、過去のことを確かめるすべがありません。しかし、いくつか記憶していることがあります。たとえば、ほどなく私は展覧会の案内に文章を綴ることを始めたのですが、それが散々な評判で、年配の作家から酒を飲みながら、厳しい意見を言われることもありました。「なぜ、余計なことを書くのか?」「作品を見せるだけで十分じゃないか!」「結局、作品だけでは表現できないから、ことばでごまかすのか!」等々・・・、言われてみれば、もっともなことなので、反論の余地もありません。そのとき山岸さんは、文章を書くことには必ず意味があるから続けたらどうか、という趣旨のことを言ってくれました。そんなことを言ってくれる人は、山岸さんだけだったと思います。おかげで、その後も細々と文章を綴ることを続けています。いつか山岸さんに、胸を張って見てもらえるような作品や文章ができればいいなあ、という思いがどこかにあります。

若いころには、果てしなく包容力がある、と思っていた山岸さんの年齢に、私も近付いてきました。そう思うと、自分自身の度量のなさがいやになります。しかしこの本を読むと、そんな山岸さんも苦悩し、ぼやきながら生きてきたのだということがわかります。
私の悩みなどは、自分自身がよい作品を描きさえすれば解消してしまうようなエゴイスティックなものですが、山岸さんの悩みはもっと果てしない・・・、現代社会の矛盾とがっぷりと組みあったようなものでした。たとえば、資本主義の世界で、売れない作品ばかりを扱う画廊を経営するということは、まさに体当たりでその矛盾と向き合うことです。その画廊の経営について、たびたびノートに記す山岸さんの姿がとても人間的です。人はそれぞれに痛みを抱えながらも、生き続けていくしかないのだなあ、と久しぶりに励ましをもらったような気がします。

最後に本のタイトルについて。
竹内氏のあとがきによれば、山岸さんは自分の文章をまとめた本など出す必要がない、と言っていたそうですが、「もしそうするならタイトルは『あるアホの一生』にしてくれ」と言ったのだそうです。たしかに、山岸さんの一生は、一般的に見るなら「アホ」としか言いようがないのかもしれません。しかし、その言葉の深い意味を、考えないわけにはいきません。
それにしても、もうすこし体裁のいいタイトルがありそうなものです。最後まで山岸さんらしいな、とつい苦笑いしてしまいますね。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「ART」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事