30分番組の2回連続の講義でしたが、1時間半ぐらいあるロング・ヴァージョンが動画で見ることができるようです。よかったら、次のサイトから調べてみてください。
https://www.nhk.jp/p/ts/XW1RWRY45R/movie/
経済思想家の斎藤幸平さんは、資本主義のあり方を変えようと積極的に現場に赴く若手の学者です。例えば貧富の格差や環境汚染など、私たちの身近な問題について、斎藤さんはそれらを資本主義社会のあり方の問題として捉えているのです。そのために、斎藤さんは地道なところから活動します。
斎藤さんが注目されているのは、例えばそれらの問題を解決するのに、「SDGsではだめだ」とはっきりと発言しているところです。その言葉は明快でわかりやすく、学者特有の難しい言い方で、私たちを翻弄するところはありません。
次の彼の言葉を読んでみてください。
例えば、洋服を買いに行ってもファストファッションで、新しいのを買いすぎるとよくないなと思っても、横にリサイクルボックスが置いてあって、そこに要らない洋服を入れれば、新しいモノを買っていいような気がする。飛行機に乗っちゃいけないよなと思っていても、お金をSuicaで払うと木を植えてくれますよというようなカーボンオフセットなどがあったりして、どこかで偽善か少なくとも良心の呵責(かしゃく)を感じながらも、それをあらかじめお金が解決してくれるようなシステムというのがこの社会には出来上がっている。今まで通りの生活を続けるための免罪符があらゆるところに用意されている。だから私は「人新世の『資本論』」という本の中で、SDGsは問題の解決からむしろ私たちの意識を遠ざける“大衆のアヘン”だというふうに批判したんですね。
本当に必要なのは、個人でマイボトルやマイバッグを持つことではなくて、この大量にプラスチック製品を作り続けている、あるいはファストファッションやファストフードであふれている、あるいはそうしたものがなければ生活できないような働き方を強いている、この経済のあり方そのものを変えていかなければいけない。そういうふうにこの本の中では訴えたわけです。
(『NHKアカデミア』ホームページより)
「SDGsはアヘンだ」という言葉だけを聞くと、厳しくて冷たい感じがしますが、そこには私たちの心のなかに巣食う偽善的な態度に対する、斎藤さんの明確な姿勢が表れているのです。私たちには、そんな偽善でごまかして済むような時間はありません。
しかしその一方で、そう言われてしまっては、私たちに何ができるのか、と別の疑問が湧いてきます。そして、環境破壊に対して私たちのささやかな行動など意味がなく、私たちは破滅に向かって進んでいくしかない!と絶望してしまいます。
そこで斎藤さんは次のような統計的な数字について説明しています。
それが3.5%という数字なんですね。これは何の数字かというと、ハーバード大学のエリカ・チェノウェスという政治研究者が言っている数字で、いろんな社会変革の事例というのを調べていくと、どうやら3.5%の人たちが非暴力の形で本気で立ち上がると、社会は大きく変わるというのが示されたんですね。3.5%というのは、つまり100人いたら3~4人ですよ。学校で3~4人だったら集まりそうな気もするかもしれません。あるいは職場で3~4人だったら集まる気がしませんか。
(『NHKアカデミア』ホームページより)
つまり、偽善的な行為に安住することなく、私たちの暮らし方そのものを疑問に思うような人たちが3.5%集まれば、社会が大きく変わるというのです。もちろん、それだけで世界が良くなるわけではないでしょうが、少なくとも大きな変革のスタートラインに立つことができるのです。
だから、番組の紹介には、次のような文章が書かれているのです。
「絶望するにはまだ早い、3.5%の人が非暴力で本気で立ち上がれば社会は変わると(斎藤さんは)力説する。」
社会というのは人間が形成するものですから、そのなかの人たちの意識で社会全体を変えることができるはずです。そのためには、さまざまな立場の人たちが、さまざまなアプローチで社会に対して働きかけるしかありません。
私は芸術や思想の分野から、そのことを試みてみようと思っています。さまざまな分野の中でも最も非力で、即効性のない分野ではありますが、私は人間の根源的な部分に働きかけることができるという意味では、とても重要なパートを占めていると思っています。
今回のこのblogも、そんな働きかけの一部になりうると信じています。ですから、最後まで読んでいただけると幸いです。
それにしても、一時期は環境破壊が大きな問題となり、自然エネルギーの活用やその開発が叫ばれていた時期がありました。しかしそのような好ましい動きは、東日本大震災に代表される大きな自然災害や、新型コロナウィルスによる医療危機、さらにはウクライナやパレスチナ、ミャンマーなどの人為的な暴力によって、事態は大きく後退してしまいました。
どうして、これほどの苦難が続け様に降りかかるのか、と絶望的な気持ちになります。しかし、いまは前を向くしかありません。
私たちには憎悪すべきことが、あまりにもたくさんあります。例えば、ロシアやイスラエルの為政者に対する怒りは消えることがありません。しかし、とりあえず今は、そういうネガティブな気持ちをどこかに置いておいて、ともに前を向いて歩いている人たちと声を掛け合うしかないのです。
斎藤さんは、NHKの番組を通じて自分の意見を表明できることが、一つのチャンスなのだと言っていました。おそらく、有名になった斎藤さんのもとには、心無い言葉が数限りなく届いていることと思いますが、それに負けないで発信し続ける姿勢には頭が下がります。このblogを読んでいる方には、彼のメッセージをしっかりと受け止めていただきたいと願っています。
もちろん、彼の発言内容や学術的な仕事には、さまざまな批判があるはずですが、それらが集まることで、より良い方向に向かうものだと私は信じています。
さて、それではこのあとも前回の続きです。
ちょっとだけ復習しておきましょう。
梅原猛(1925 - 2019)さんは、個性的な哲学者、思想家、脚本家です。
梅原さんは、「梅原日本学」と呼ばれる日本史関連の本で広く知られた人であり、また、スーパー歌舞伎の台本を書くなど、創作活動にも取り組んだ人です。
そんな梅原さんが晩年に出した著作が、『森の思想が人類を救う』(1995)という講演集、それからその講演内容がもととなった『人類哲学序説』(2013)という新書、さらに『草木の生起する国』(2019)というインタビュー集です。この最後の本は、東日本大震災の翌年、哲学者の東浩紀さんが聞き手となって、梅原さんにインタビューした内容を収録したものです。
私は、最近の原発の再稼働や核のゴミの最終処分場などのニュースを目にする中で、梅原さんの思想をもう一度辿り直そうと考えたのでした。そんな中で『人類哲学序説』の「あとがき」の文章を見つけたのですが、前回に続いてもう一度引用しておきます。
私は若き日にかなり熱心に西洋哲学を研究したが、40歳ごろ、研究対象を主として日本文化に変更した。それは、近代西洋文明に疑問を感じ、人類文化を持続的に発展せしめる原理が日本文化のなかに存在するのではないかという予感を抱いたからである。
しかし、その日本文化の本質を明らかにするために、私は約50年もの時が必要であった。そこで見出した日本文化の原理が「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という思想であるが、それを西洋哲学の原理とどう対決させるかが問題であった。
私は20年ほど前からその問題について考え続けてきたが、西洋哲学の巨匠たちを批判する勇気をなかなか持てなかった。ところが、東日本大震災が起こったことによって、私は西洋が生み出した科学技術文明を基礎づける西洋哲学を批判しなければならないと思った。
この大震災は原発事故を伴ったことにより、被害が拡大した。現在、世界のほとんどすべての先進国が、原子力発電を主要なエネルギー源として採用している。とすれば、原子力発電を主なエネルギー源とする現代文明のあり方そのものが問われなければならない。日本は原子力による二度の大きな被害を受けた。一度目は広島と長崎への原爆投下、二度目は東日本大震災における福島の原発事故である。大震災にあって、私はこの書を書くことを決意したのである。
(『人類哲学序説』「あとがき」梅原猛)
この中で語られている「草木国土悉皆成仏」とは、何なのでしょうか?
この言葉について考えるには、この言葉に辿り着いた梅原さんの思考の軌跡を辿らなくてはなりません。
梅原さんは、ここに書かれているように、若い頃に西洋哲学を学んだ人です。そして自分の言葉で自分の思想を語るということを、たいへん重視した人でした。日本の哲学者は、得てして西洋哲学を研究し、その翻訳や紹介に終始しがちです。梅原さんは、そういう人たちを哲学者として評価しません。
梅原さんは太平洋戦争中に高校で学んでいた世代の人ですが、その頃の読書経験で西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870 - 1945)さんという日本の哲学者の本に出会いました。西田哲学に魅了された梅原さんは、西田さんがかつて教鞭を取られていた京都大学に進学したのです。
西洋哲学を学んでいた梅原さんですが、先ほど紹介したように、日本人としてどのような思想を持ち、それをどう発信した良いのか、ということについて考えていました。そんな折に西田さんの親友であった鈴木 大拙(すずき だいせつ、1870 - 1966)さんという仏教学者が注目されていることを知りました。鈴木大拙さんの書いた『禅と日本文化』という本が、当時西洋で広く読まれていたのだそうです。今でも欧米の人たちは、日本の精神文化の代表として「禅」を重視しますが、その要因になった本なのでしょう。私は「禅」のことはよくわかりませんし、大拙さんの本も読んだことがありませんが、「禅」の厳しい精神性を考えると、欧米の人が憧れるのもわかる気がします。その一方で、「禅」は今の私たちからはあまりにも遠いものですから、これを日本の精神性の象徴として受け止められると、何だか困った気分になります。梅原さんも、大拙さんの本が評価されることに違和を感じ、それを批判するのですが、梅原さんの場合は、私のような曖昧な感覚による批判ではありません。日本に「禅」が入ってきたのは鎌倉時代のことになりますが、梅原さんは鎌倉時代に定着した宗教によって、日本の精神性の全体像を語ることはできない、と考えたのです。
それでは、何を日本の精神性の原理として考えたら良いのでしょうか?
梅原さんは、日本文化が古代から培ってきたアニミズムに注目します。自分の周囲の自然のいたるところに霊が宿り、神さまが存在する、という信仰です。これは日本ばかりでなく、世界的に存在する信仰ですが、日本人は大陸から渡ってきた仏教を取り入れる中で、自らのアニミズム信仰を独特の形で育てていったのです。
そのようにして育った仏教思想が、平安時代の末期に完成された「天台本覚思想」という思想なのだそうです。この「天台本覚思想」というのは、最澄(さいちょう、766 - 822)さんを祖とする天台宗と、空海(くうかい、774 - 835)さんを祖とする真言宗が合体したものだそうです。
「天台本覚思想」の内容について、梅原さんは次のように説明しています。
この天台本覚思想は、およそ「草木国土悉皆成仏」という言葉で表現されるものです。天台本覚思想のすべてがそういう言葉で表現され得ませんが、俗にそのように言われます。天台宗においては、すべての人間には仏性があるものとされます。仏性とは仏になれる性質です。誰もが仏性を持っているから、誰もが救われ、誰もが仏になれる、という思想です。しかし、ここではまだ、仏になれるのは人間だけです。一方、真言宗においては、曼荼羅を見ていただくとよくわかるのですが、「一木一草のなかに大日如来が宿っている」という思想です。つまり、真言宗には、草木も仏性を持ち成仏できるという思想、「草木国土悉皆成仏」の思想があるのです。ここでは動物の成仏については触れていません。動物が成仏するのは当たり前のことでことさらに言ってはいない。動物の成仏は当然で、草木さえも成仏します。これは、生きているものの中心として植物を考える、という思想だと思います。さらに、草木ばかりでなく、国土までもが成仏できる、と言うのです。
これは大変な思想です。国土も成仏できる、という。国土も「生きとし生けるもの」に含まれる、つまり、生きているとされる。確かに、国土は動いていますね。このたびの大地震と大津波は、まさに地球が動いているということを明らかにしました。これは気象学者のアルフレート・ウェーゲナーが提唱した大陸移動説を、証明したようなものです。地球は動いている。草木国土は生きている。それらすべてが仏になれるという思想なんです。
(『人類哲学序説』「第1章 なぜいま、人類哲学か」梅原猛」
この「天台本覚思想」ですが、梅原さんはこれがのちの鎌倉仏教の共通の前提になっている、と書いています。
そしてこのような思想は、仏教の源流であるインドにはないそうです。また、日本の仏教の輸入元である中国には「天台宗」があるけれども、それは中国の仏教の主流とはならなかったのだそうです。一方の日本では、「多くの日本文化を、この『草木国土悉皆成仏』という思想で説明できる」と梅原さんは考えたのです。その思想は鎌倉時代の仏教の前提となり、それ以降も連綿と引き継がれてきた、ということなのです。
このような梅原さんの考え方を、皆さんはどのように思われるのでしょうか?
私は梅原さんとは、だいぶ世代が違うので、ことさらに「日本文化」にこだわりません。それに「一木一草のなかに大日如来が宿っている」と言われても、そのように実感することはありません。
ただし、自然との距離感について考えると、西洋の文化と自分自身のなかにあるものが、だいぶ違うなあ、と思うことはあります。特にヨーロッパの絵画の伝統を考えると、そこには私の中にはない、厳しい客観的な態度が認められて、私が表面上、彼らの絵画を学んでも同じようには描けない、と感じることがあるのです。かといって、日本の水墨画に親しみを感じているか、と聞かれると微妙です。もちろん、海外の方に比べると日本画に接する機会が多かったはずですから、そこに親しみを感じないわけではありません。しかし実際に自分の表現手段として水墨画を選ぶかと問われれば、そうではないのが現状です。
そんなことを考えていると、ふと大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935 - 2023)さんのことを思い出しました。大江さんがノーベル賞の受賞式で語ったのが、「あいまいな日本の私」というテーマでした。大江さんが言うように、現代の私たちは「あいまいな」としか言いようのない世界に生きているのかもしれません。大江さんの前に日本人としてノーベル文学賞を受賞した川端 康成(かわばた やすなり、1899 - 1972)さんは、「美しい日本の私」について語ったのですが、大江さんはそんなふうに言うわけにはいかなかったのです。そのスピーチは受賞の誇らしさよりも、そこに含まれる陰影こそが聞き所になっています。
https://www.youtube.com/watch?v=NA8qWyNjj3s
話が少しそれました。このことについては、いずれ別の機会に語ることにしましょう。
さて、それではなぜ、私は梅原さんの晩年の著作を面白く感じて、今回読み直す気になったのでしょうか?
もちろん、梅原さんと東浩紀さんが語り合ったように、梅原さんの思想には原発に象徴される近代科学への反省が含まれていた、ということがあります。そして当然、梅原さんの「日本文化」への眼差しにも、その反省が含まれているのです。
それが私にとって魅力的であったことは言うまでもありません。しかしここでは、絵を描いている私にとって、もう少し切実な、そして身近なことについて考えてみましょう。
私はいま、絵画の触覚性について考えています。
絵画に触れるように描く、ということは、実は、絵画と私の間の客観的な距離感について、異議を申し立てることでもあります。
先を急ぎすぎましたね。
もう少し、整理して考えてみましょう。
既成の西洋絵画のなかには、私たちが意識していないうちに前提とされている、絵画と私との間の絶対的な距離が存在します。その距離は、画家の立場であれば、モチーフと画家との間の距離であるとも言えます。その距離を保つことで、私たちは絵画をコントロールすることができるのです。
画家は絵の前に立ち、その視点を固定して、一つの窓から世界を眺めるようにして絵を描きます。その結果、秩序のある遠近法によって、正しい世界を描くことができるのです。これは近代科学のものの見方そのものであると言えるでしょう。もちろん、画家はモチーフを意のままに操作することができます。その恣意的な操作の後で、あたかもそれが客観的な世界であるかのように描くことができるのです。
ところが、もしも画家がイーゼルの前を離れて、絵の中の世界に、つまりモチーフに触れようとしたら、どうなるのでしょうか。
西洋絵画を信奉する画家にとっては、その行為は混沌とした世界の中に堕ちていくことを意味します。秩序だった遠近法は崩壊し、画家とモチーフとの距離は消えてしまうのです。少なくとも、西洋絵画の世界では、そのように考えられてきました。
しかし、私たちが実感を持って生きている世界は、実はもっと触覚性に満ち、そこには自由な距離感が存在しているのではないでしょうか。それは、ただ混沌としているだけの世界ではありません。むしろ混沌とは程遠い、遠近法によって描かれた距離感よりも、もっと確かな距離があるはずです。
そんな確かな距離を求めて、勇気を持ってモチーフへと近づいた芸術家がいました。
それが画家のセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)さんであり、彫刻家のジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901 - 1966)さんであったのです。彼らは厳しい西洋文化の客観性の中にあって、真の勇気を持ってモチーフへと歩み寄ったのです。私には、彼らの行為が英雄的な行為であるように思えます。
しかしその一方で、私は彼らに憧れると同時に彼らのようには振る舞えないなあ、と思うことがあります。それはもちろん、私が彼らほどの才能や能力を持っていない、ということもあるのですが、そればかりでなく、彼らが前提としていた厳しい客観性を、私はそもそも持っていないのではないか、と思うのです。
セザンヌさんとジャコメッティさんは、厳しい客観的なものの見方の中で、あえてその禁を犯すような身振りで、モチーフに触れました。しかし私はもっと、気軽にモチーフに触れ、モチーフの間をさまよい、モチーフとの間に親和関係を持つことができる・・、いや、そもそも私には「厳しい客観的な見方」というものがないのでは・・、と思うのです。
なぜ、そう思うのでしょうか。
私とセザンヌさんやジャコメッティさんとを隔てているものは、いったい何なのでしょうか?
一つには時代の違いがあると思います。モダニズムの隆盛の時代を生きた彼らと、ポストモダンだか何だかわからない時代を生きている私とは、感性が違って当然でしょう。
しかしそればかりでなく、もっと根本的な相違が、彼らと私の間にはあるのです。
ここで、梅原さんが語った「草木国土悉皆成仏」という言葉を思い出してみましょう。私たちの精神性の中には、私たちの身の回りのものに対する親和性が備わっている、と考えてみましょう。そうすると、私と西洋絵画とのものの見方の違いが、うまく説明できるような気がするのです。
私の精神性は、西洋絵画が規定する画家の視点よりも、もっとモチーフに近いところに位置します。私にとっては、モチーフとの距離を保つことよりも、モチーフに歩み寄り、モチーフとの親和的な関係を結ぶことの方が自然なのです。そうだとしたら、私と西洋絵画との違和感が説明できます。私にとってはモチーフに触れるように絵を描くことが、むしろ自然なことなのです。
そして、そのことを私が自覚して絵を描くのなら、私の描く絵はこれまでの絵画と違ってくるのではないでしょうか?私は西洋絵画の素材を使い、西洋絵画の伝統を技法として学びながらも、もはやまったく別の場所にいるのです。まさにそれは、「あいまいな日本の私」と言うべき場所なのです。そのことをネガティブに捉えずに、新しい可能性として捉えてみましょう。
そのような制作姿勢の結果、私の絵画はどう展開していくのか、私は少しずつ検証していこうと思っています。西洋絵画が規定する「画家のいるべき場所」にこだわらず、もっと穏やかに「モチーフととも存在するような場所」、「自然とともに存在するような場所」に私が存在するとしたら、絵画表現そのものも変わってくるはずです。それを検証することは、大きな楽しみに満ちたことではないでしょうか?
そんなことを考えながら、梅原さんの晩年の著作をあらためて読んでみましょう。
梅原さんは、この本の終わりに近い部分で次のように書いています。
確かに西洋文明は偉大です。その文明は、私たちに豊かな生活を与えてくれた科学技術文明を生みだしました。そのおかげで、私たちは現在、豊かで便利な生活をしています。ここまでみてきたように、デカルトの哲学に基礎づけられて自然科学文明が勃興し、近代医学が起こり、人類の寿命も飛躍的にのびました。医学の進歩によって私のように三度がんをやった人間でも、まだ生きながらえている。もし、医学が発展しなかったら、私は50歳で死んでいたと思います。私がいま生きているのは、近代医学のおかげです。
しかし、現代は、もうそのような科学の進歩を謳歌する思想がそのまま通用する時代ではない。端的に言えば、自然破壊を認容する哲学は、もはや未来の人類の哲学として通用しません。
(『人類哲学序説』「第5章 森の思想」梅原猛)
梅原さんは、このように近代文明を厳しく批判した後で、イギリスの歴史哲学者アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee 、1889 - 1975)さんとの会話を思い出しながら、次のような文章でこの本を結んでいます。
トインビーはまた、このようにも言っていました。
「21世紀になると、非西欧諸国が、自己の伝統的文明の原理によって、科学技術を再考し、新しい文明をつくるのではないか。それが、非西欧文明の今後の課題だ」
私が「では、どういう原理によってそのような文明はできるのですか」と尋ねたら、「それはおまえが考えることだ!」と一喝されました。
その「どういう原理によって」新しい文明を作るか、その答えが40年後のいま、ようやくできあがったように思うのです。もちろん、理論として完全ではなく、理論の萌芽のようなものができたという意味です。この芽はトインビーの問いに対する答えなのですが、皆さまにお話できたことを、深く感謝したいと思います。
(『人類哲学序説』「第5章 森の思想」梅原猛)
この本は2011年の秋に、京都造形芸術大学東京芸術学舎で行われた講義をもとにしています。今から10年以上前の話ですが、最近では原子爆弾を開発したオッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer、1904 - 1967)さんのことが映画化され、話題になるなど、梅原さんの問いかけに対して、やっと時代が追いついてきたように思います。梅原さんの問いが、娯楽作品として広く認識されるようになってきたのです。
そして、梅原さんがトインビーさんの一喝に応じて考えた「非西欧文明」の「原理」は、この著作の中でその端緒が示されたのです。
さて、残念ながら、梅原さんが亡くなってすでに数年が経ちますが、梅原さんの見出した「新しい文明」の「原理」は、未だに引き継がれることなく、虚しく空を彷徨っているように見えます。
しかしここに来て、斎藤さんのような若い学者がカール・マルクス( Karl Marx、1818 - 1883)さんの思想から、資本主義を捉え直そうとしていることは新しい希望の灯です。もしかしたら梅原さんが残した問題意識が必然性をもって、そして共時的にさまざまな場所からわきおこっているのかもしれません。
先にも書いたように、私は非力ながら、芸術的な感性の場所から梅原さんの思想を汲み取り、近代の捉え直しを試みようと思っています。それは困難なことではありますが、案外私にとって自然なことだという確証も得られました。私の絵は、すでにその方向に踏み出しているのです。さらにそれがいずれ、斎藤さんが目指す資本主義の価値観の転換につながるのかもしれません。
今回は、ちょっと壮大な話になりました。しかし梅原さんのようなスケールの大きな人の思想をたどれば、自ずとそういう話になってしまいます。それに斎藤さんの講義も、かなり大きな風呂敷を広げたものだと言えそうです。
そんな人たちの大風呂敷を、架空のものだと笑ってしまえば、いずれ私たちは笑えない結果を享受することになります。
繰り返しになりますが、それぞれの人が、自分の場所で悩み、考え、あきらめずに前に進むことが肝心です。どんなにスケールの大きな仕事も、はじめは一人ひとりのささやかな営みから始めるしかないはずです。
私はそう考えて、今日も文章を綴り、絵を描いています。
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