楽走

マラソン人生を楽しむ!

俺と陸上(中学編 Ⅰ)

2009年03月06日 | 俺と陸上
玉島北中学に入学。
即陸上部にも入部する。

しかし、理想と現実の違い!?
先輩・後輩の関係も『めんどくさい』と思いながらトレーニングに励んでいた。
ん~??
長距離でなく短距離・中距離を専門に…何故長距離ではなかったのはわからない。

段々練習から足が遠ざかり行かなくなる…
多分一年の二学期くらいからかなぁ…
楽しくない・面白くない…いつの間にか幽霊部員。

遊ぶ方が楽しくなり一生懸命遊びました。(楽遊?!)
いつの間にか、途中で学校を抜け出したり・…やりたい放題!
ヤバくな~い。。。(^^;)

とうとう3年生に…まだ『ワル』は続いていた。
高校に進学するつもりもなく、両親に迷惑ばかりかけました。

『走る楽しみ』・『オリンピック出場の夢』はどこに!?
多分、1年生の最初くらいに置き去りに?!(笑)。。。あまり笑えない(^^;)


中学3年の5月頃…!?
玉島地区の陸上の大会に出場する事に。
何故か種目=『3000m』
(練習もした記憶が全くない)
会場は黒中。
200mのトラックを15周…気が遠くなる(^^;)
ぐるぐる目が回る。。。(笑)

しかし、あり得ないことが。。。(超驚)
急変だぁ~

中学編 Ⅱへ  続く  

俺と陸上(中学編 Ⅱ)

2009年03月06日 | 俺と陸上
しかし、苦しくない(驚)
何故かトップを走ってる。
そのまま『1位でゴール』
あれ?!自分自身も意味がわからん。
記録=10分17秒3
自分でもあり得ない!
そして、複雑な気持ちに。。。

これがきっかけに人生が『急変』する。

7月21日
『通信陸上』
※この大会で3位入賞で中国大会へ出場の切符がもらえるとか。
当然3000m出場する。
また、あり得ないことが・・・
予選を通過してしまう(驚)

決勝ではもっとあり得ない事が・・・
最初から先頭グループに付いていく、訳がわからないままに。。。
先頭二人はペースアップ
付いていけない。でも、最後まで必死に走る。
ラスト1周も全力も全力で走る。
な~んと・・・『3位入賞』してしまう(超驚)
ありえな~い。
『ワル』県で3位なら。。。(笑)
長距離のメイン種目で『3位』なんて!
※無名のため中国大会へ進めず(涙)

その後のレースでは3000mはすべて『優勝』出来た。


駅伝シーズンへ
玉島北中は全く無名の中学。

監督(先生)が『駅伝を頑張ってみないか』と
有名な指導者だった『佐藤 ○』
(実は、ワカさんと同じ指導者)

練習に一生懸命取り組む。
朝練なんてした事がなかったが朝練を開始。
いつの間には3000mを9分台で走る選手が『4名』も
そして新聞のも取り上げられるレベルに
『上位入賞校』
総社西・中山・井原・総社東
そして、スピードを誇る『玉島北』・倉敷北など
書かれてある。
今までは絶対にあり得ない事。
(新聞の切り抜き)

1区の僕は。。。
確か3位か4位での襷を渡した記憶が、
総合はわからないが、たぶん入賞したような。。。
(新聞の何も残ってない)

で、進路は。。。
詳しいことはわからないが。。。
名門『倉敷高校』から声がかかる。

3年の最初は、進路なんて考えてもなかったのに。。。
陸上のお陰&佐藤 ○先生のお陰で。。。
感謝してます『ありがとうございました』
先生のご指導がなければ、陸上がなければ、きっと進学はなかったかもしれない。
心からに感謝してます。
実は3年の最初に、佐藤先生に『こっ酷く叱られた』記憶が。。。
かなり『どつかれた』と思う。
(進学する気がなかったからだ)

★最終的に中学生が
『一番楽しかった』と振り返る。

最後に
両親に迷惑ばかりかけて『ごめんなさい』
(何回学校に呼び出されたか)
そして、産んでくれて『ありがとう』


高校に続く
果たして、どういった高校生活に?!

俺と陸上

2009年01月01日 | 俺と陸上
『陸上との出会いとオリンピックの夢』

小学生2・3年生くらいの時、何故か『瀬古利彦』に憧れていた。
陸上界のスーパーマン
日本一になってみたいなぁ~なんて事を考えていたような記憶がある。
それは、じいちゃんが『何でもええけん‘日本一’になったらすごいでぇ』の一言が頭のスミに残っていた。
当時は、ただ目立ちたかったのかもしれない。

走ることは嫌いではなかったが、速くはなかったし自信全くなかった。
校内のマラソン大会もあったけど、ダラダラ走って最後から数えた方が早いくらいのレベル。
50mもけして速くない、クラスで真ん中くらい?!


4年生で初めてマラソン大会出場する。
『玉島の森スポーツフェスティバル』
小学生の3kの部に出場
結果は何も覚えてない。走り切れたのかもわからない。

5年生の校内でのマラソン大会は本気で走った。
5位くらいで走れるようになっていた。
その頃は意識も変わり始めていた。
『速く走りたい』

6年生の時の「玉島の森スポーツフェスティバル」で初の5位入賞した。
「玉島で5番」とかなり喜んだ!
当時の表彰式の写真がある。(かなりダサいの格好だ(^^;)

陸上に対する思いが真剣になったのはその頃だろうと思う。
中学生になったら「陸上部」に入らなきゃと思った。
誰に言われた訳でもないのに『陸上部に入るのが運命』と思い込んでいた。

男一人泣き
卒業式では男子生徒で一人だけ泣いた。
それも退場途中に大泣き。。。(^^;)
何故泣いたのか…わからない。

卒業文集では『将来の夢』を語っていた。
もちろん
『オリンピックのマラソン選手になりたい』と書いた。

中学生に
念願の陸上部に入ったが…?!
つづく