はじめに
郷土の歴史に興味を持ち始めてこのかた10数年になります。歴史を求めていると不思議と何かしらの手がかりや情報が手に入ることが少なくありません。このほど灯台下暗しそのもので、近くで貴重な情報を入手することができましたので、それを紹介したいと思います。
古屋前野家の由来
宍粟市山崎町の市街地西端に位置する門前地区に「古屋」という屋号をもつ前野家に伝わる由緒・記録が残されていることがわかりました。明治時代に書かれたと思われる難解な原文ですが、読み下しを加えています。その後、それに関連する由緒、墓碑文、戒名記録を載せています。
【由緒が記された原文】
君諱久三郎 前野氏 宍粟郡門前村人 考曰助右衛門 君其嫡男也
家世業農葢其先奕業 累世至君之時不幸罹回禄舊記焚失其詳不可知也 天正中羽柴氏攻長水城助右衛門為郷導而有功賜賞典焉 君承家為本村里正勤倹率下頗有治績闔村服其化矣
元禄十四年五月二十二日歿享年八十有一 有五男長曰彌右衛門分家營農 二曰仁兵衛別起家業 商稱大阪屋 三曰重兵衛承家 四曰五右衛門 五曰治右衛門 亦復分家 各事商賣面曰門前屋 曰五曰佐渡屋皆稱前野氏云 重兵衛以後 為里正至傳四郎 明治維新之際 為副戸長試補 亦有能吏之稱 即當主柳吉之老也 初葬君於 門前村 中世有故 移墓碑於上寺村妙勝寺 及傳四郎 承家恐榮域之荒癈 復於故土 方今前野一族 益滋殖及十有四戸焉 抑□欲垂其事歴於後 與同族胥謀 乃鐫貞眠以圖不朽 且係以銘曰
齢踰八旬 五男麟振 或農或商各立其身 宗族繁衍 榮名無垠(限)
【読み下し】
あなたのいみな(本名)は久三郎という。前野の氏(姓)である。宍粟郡門前村の人である。亡父は助右衛門といい、あなたはその嫡男である。
家は代々農業で、おそらくその前は奕業(えんぎょう・占い業か)であろう。あなたの前の時代に不幸にも火災をこうむり、古記録を失った。そのため詳しい内容は知ることができなくなった。
天正時代に羽柴(秀吉)氏の長水城攻めに、助右衛門が道案内をして、功を立て、賞を授かった。あなたは家を継ぎ、村長(門前村)となり勤勉で、おおいに成果を残し、村を発展させた。
元禄十四年五月二十二日、享年八十一である。五男あり、長男は、弥右衛門といい、分家して農業を営む。次男は仁兵衛という。これもまた分家し、商売を仕事とする。商いを大阪屋と称した。三男は重兵衛と言い、家を受け継ぐ。四男は五右衛門という。みな前野氏を称すという。
五男は治右衛門といい、分家を復し、各々商売を家業とする。面(屋号)は門前屋という。
重兵衛以後、村長となり、傳四郎に至る。明治維新の際、副戸長試補となり、また能吏の称を受けた。それは当主柳吉之老であった。初めあなたを門前村に葬り、中世に故ある墓碑を上寺村の妙勝寺に移した。傳四郎におよび、家を継ぎ栄域の荒廃を恐れ古い土地に復した。今日前野一族 ますます繁栄し十四戸に及んでいる。その事歴を後に残さんと欲して同族互いに貞眠に鐫(こく)し不朽をはかる。かかるに銘をもって曰く、齢(よわい)は八旬をこえ、五男は勢いよく 或るは農業、或るは商業につき、各々其身をたて、宗族繁栄し、榮名は限りがない。
▲由緒が書かれた掛け軸
▲古屋前野家の墓 妙勝寺(上寺)
古屋(宗家 前野家)墓碑文
先祖ノ墓碑小而 粗加之累代墓碑 各所ニ散在シ為 後代認識ノ難有リ七代宗家前野柳吉 大正十二年正月更ニ此碑ヲ建ツ 久三郎門男子五人 長男禰右衛門出ノ渡辺姓襲ノ後前野姓倶ス新屋是也次男五右ヱ門分家門前屋是也 三男仁兵衛分家大坂屋是也 四男十兵衛宗家を襲フ 五男治右ヱ門分家佐渡屋是也
先祖からの戒名記録
室町時代の寛正元年(1460)から平成十六年(2004)まで88名の戒名記録が過去帳に残されている。(1500年代大火事のため不明)
古屋前野家から生まれた『門前屋』、『大阪屋』、『佐渡屋』
以上のように、宗家の面々の記録によって一族が地域に根を張っていったことは、まぎれもない事実と認識できます。
ここで、古屋という屋号は、どこから生まれたのか。古屋宗家は、広い土地を所有していたと聞いています。門前の字限図には、八幡下から西に延びる50mほどの場所が字古屋敷とあり、この古屋の屋号はこの地名からのものではないかと考えられます。古屋前野家の由緒書に羽柴秀吉の播磨攻めで、最後まで抗った宇野攻めのとき、その道案内をして褒美をもらったことを一族の誇りとして残していること。古屋前野家では先祖は尾張(名古屋)ではないかと伝わっています。そして、一族の大阪屋の家紋は円に卍で、蜂須賀家の家紋と同じです。蜂須賀小六正勝は宇野攻めに加わっていいますが、このことと関係があるのか。いずれにせよ、古屋前野家から派生した一族は、江戸時代を通じて門前屋、大阪屋、佐渡屋等が生まれ現在に繋がっています。
終わりに
古屋前野家の中世・戦国時代から現在までの伝承は、門前を基盤とした古屋前野家から発した一族が今なお地域に根付き地域形成の一端を担ってきた歴史でもあることを知ることができました。
史料提供 古屋前野家 前野考司、前野明夫氏
山崎郷土会報 NO.140 令和5.2.20より転載 写真追加
【関連】
・地名 門前村字古屋敷 → 播磨 篠ノ丸城跡 ~大手口周辺の探索~
・地名由来「加生・門前」
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