郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

地名由来「元山崎・上寺・横須」

2019-10-31 17:25:45 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
地名由来「元山崎・上寺・横須」  宍粟市山崎町

                 閲覧数1,315 件(20.11.17~2019.10.31)


■元山崎(もとやまさき)

 江戸初期には本町及び西新町の裏手にあたる地域を上ノ丁(うえのちょう)と呼び、その北側には家中屋敷も置かれていた。しかし、延宝7年(1679)以降山崎藩が1万石に縮小した結果、これまでの屋敷は消滅し、町場化しなかった。
【近代】大正6年より~現在の山崎町の大字名。

■上寺(うえでら)

 篠の丸(山)東麓に位置する。寺町の北隣りあることによるものか。または、南西方の春安村の中世仏教ゆかりの地、中寺の北方にあることに由来するものであろう。

【近世】上寺村
 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。神社は、大歳神社。寺院は、臨済宗恩沢寺・法相宗薬泉寺。なお、宝永5年(1708)の「播州宍粟郡誌」に山崎寺町に所在と書かれている。
 日蓮宗妙勝寺・臨済宗興国寺は、元和年間の郷中古事録では当村所在となっている。恩沢寺は慶安4年(1652年)に段村から当村の一雲寺跡に移り、さらに真光寺後地の現在地に移転という。薬泉寺は慶安年間には玉蔵坊と称し、修験道の寺として栄えた。

■横須(よこす)

篠の丸(山)の北東麓。揖保川の支流伊沢川の下流域右岸に位置する。対岸は生谷(いぎだに)。

【近世】横須村
江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。神社は、須賀神社。
【近代】横須
明治22年~現在の山崎町の大字名。

現在の東横須自治会は、町営(市営)住宅として、横須より分離した。





地名由来「伊沢町、紺屋町、寺町」

2019-10-31 14:15:28 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
「伊沢町、紺屋町、寺町」        宍粟市山崎町

               閲覧数1,381件(2009.12.10~2019.10.31)


伊沢町(いさわまち)

【近世】江戸期~明治4年頃の町名。はじめ籠町(籠ノ町)、次いで茶町、さらに伊沢町と改めた(播州宍粟郡誌)。享保年間(1716~1736年)に伊沢町の名が見えるが、文化年間(1804~1818年)の地詰帳には一部に茶町の名を使用している。陣屋の北側に東西に設けられた外堀の中央東寄りにあった熊鷹(角鷹)御門から町場を北に走る道を中心に位置する。
 地名の由来は、この町の北の道筋は伊沢谷に向かい、伊沢に通ずるところからと思われる。


紺屋町(こんやまち)

【近世】江戸期~明治4年頃の町名。城下町の中央北部に位置する。町名は紺屋職人の町であることによる。文化年間(1804~1818年)の地詰帳によれば大工・左官・畳職などの職人の住居や商店が混在している。

寺町(てらまち)

【近世】江戸期~明治4年頃の町名。城下町の北端、篠の丸山の東麓の段丘面に山に接して南北に位置する。はじめ大雲寺町と称した。元和5年(1619年)藩主池田輝澄の町の北辺を寺院で固めるという軍事的な意図で生まれた。寺院は、浄土宗大雲寺・日蓮宗妙勝寺・臨済宗興国寺。






昭和の街角 本町通り

2019-10-31 10:42:27 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
昭和の街角  山崎町本町
                  閲覧数883件(2010.1.8~2019.10.31)


 戦後の昭和20年代の本町通り、栄寿司とやばらや前を通るトラック

 

 今は西行き一方通行であるが、当時はこの道が東西を結ぶ主要道で、街中をバスやトラックが走っていたそんな時代があった。

 森林資源の豊富な宍粟郡(宍粟市)は製材所も多く、木材を運ぶトラックは頻繁に走っていた。
 

昭和の街角 本町・山田町

2019-10-31 10:23:45 | 一枚の写真(宍粟の原風景)
昭和の街角 本町・山田町

                 閲覧数1,015件(2009.8.89~2019.10.31)


昭和30年代





 当時商店数は552、主な商店街は、西町、本町、山田町、東和通り、中央商店街、福原町、出水町に商店が隙間なく立ち並んでいた。


写真:「やまさき10周年記念号 1965」より