地名由来「元山崎・上寺・横須」 宍粟市山崎町
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■元山崎(もとやまさき)
江戸初期には本町及び西新町の裏手にあたる地域を上ノ丁(うえのちょう)と呼び、その北側には家中屋敷も置かれていた。しかし、延宝7年(1679)以降山崎藩が1万石に縮小した結果、これまでの屋敷は消滅し、町場化しなかった。
【近代】大正6年より~現在の山崎町の大字名。
■上寺(うえでら)
篠の丸(山)東麓に位置する。寺町の北隣りあることによるものか。または、南西方の春安村の中世仏教ゆかりの地、中寺の北方にあることに由来するものであろう。
【近世】上寺村
江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。神社は、大歳神社。寺院は、臨済宗恩沢寺・法相宗薬泉寺。なお、宝永5年(1708)の「播州宍粟郡誌」に山崎寺町に所在と書かれている。
日蓮宗妙勝寺・臨済宗興国寺は、元和年間の郷中古事録では当村所在となっている。恩沢寺は慶安4年(1652年)に段村から当村の一雲寺跡に移り、さらに真光寺後地の現在地に移転という。薬泉寺は慶安年間には玉蔵坊と称し、修験道の寺として栄えた。
■横須(よこす)
篠の丸(山)の北東麓。揖保川の支流伊沢川の下流域右岸に位置する。対岸は生谷(いぎだに)。
【近世】横須村
江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。神社は、須賀神社。
【近代】横須
明治22年~現在の山崎町の大字名。
現在の東横須自治会は、町営(市営)住宅として、横須より分離した。