今回は宍粟市(しそうし)山崎町の最南端にある戸原(とはら)地区を取り上げました。前回の城下地区の南側に位置しています。戸原地区を構成する三つの自治会の川戸、宇原、下宇原を中心に探っていきます。
明治22年(1889)に町村制が施行され、川戸、宇原、下宇原の三ケ村が戸原村となりました。村名は旧村名の合成地名です。城下地区で取りあげた宍禾郡(しさわのこおり)を構成する七つの里の一つで比地の里に属します。比地の里は現在の上比地、中比地、下比地と宇波良村(宇原・下宇原)・比良美(新宮町平見)・川音村(川戸)・庭音村(現在地不明)とあります「播磨国風土記」。この宇原には16基の古墳が確認されています。古墳時代後期になり、農業開発が進み、台地や揖保川の氾濫原が耕地化され生産力が向上したことで、それぞれの村に経済力を蓄積した有力者が現れたと考えられます。この宇原の古墳は最も整った古墳であり、付近には条里遺跡もあります。揖保郡に最も近いこの地域は、早くから進んだ農業地域で、それだけ文化の先進地であったと考えられています。
▲戸原村図(明治後期)
1,川戸 古くは河戸とも書いた。揖保川中流東岸。平野部に条里遺跡が見られる。、風土記には川音村とあり、村名は天日槍命(あめのひぼこ)がこの村に宿泊したとき、川の音がたいへん高いといったことに由来するという。現在の川戸が遺称地とされている。播磨公弁円の墓と伝える五輪塔があり、目の病気に霊験があるという。村内の揖保川には山崎藩の堰立て工事は当村の庄屋が担当していました。蟹籠漁(かにかごりょう)も盛んに行われました。高瀬舟舟運も盛んで安政から嘉永年間には、船が10艘あったという。明治22年に戸原村役場が置かれた。
宇原の地名由来「宇原、下宇原」共通
地名は、河畔に茂っていた茨(いばら)から生じたものという。奈良期には、宇波良村と表記され、読みは、うはら、うわらとも。この地名は、葦原志許乎命(あしはらしこおのみこと)が国土を占拠した時、この地は小さく室の戸のようだと言ったので、表戸と名付けられ、これが転訛したものと言います。
2,宇原
揖保川中流域東岸。水田には条里の遺構があり、門ケ坪、蔵ケ坪の小字が残る。地内の井ノ口には藩の米蔵が置かれていました。安政年間当村には高瀬舟25艘あったという。
3,下宇原 揖保川中流域東岸の平野部。宇原村から下宇原が分村、なお分村の年代は不詳。村名は宇原の南(下流)に位置することによります。水田中に条里遺構がみられます。
▲平見山より南東方面を望む 写真左下、山麓に戸原小学校が見える。その近くは宇原、右側は下宇原の集落である。(昭和59年)
岩にまつわる二つの実話
一、元禄年間(1688~1704)川戸村と宇原村が、揖保川対岸香山村との間に入会地をめぐる争論があり、魔手岩(真手岩)と称する巨岩を村境に決定したという(播州宍粟郡誌)。現在岩は取り壊されていますが、宍粟市とたつの市の市境あたりにありました。
二、昭和48年(1973)川戸には盗人岩(ぬすっといわ)という名勝地が川べりにあり、道路拡張のために村人に惜しまれながら取り壊されました。
住民の足として活躍した橋替わりの宇原の渡し場
江戸時代以降揖保川は筏流しや高瀬舟による物資の運搬が盛んでした。戸原村は揖保川沿いにあり、多くの高瀬舟を所有し、船大工小屋を持つなど、舟運の一役を担っていました。ただ住民の町への移動には橋が必要でした。しかし明治以降は木橋で何度も洪水で流され、宇原においては昭和37年(1967)になってやっと頑丈な橋、今も使われている宇原橋ができました。その日は宇原の渡し場がその役目を終えた日でもあります。それは近隣地域で最も長く住民の足として使われたものでした。「宇原渡場跡」の石柱が宇原橋の北(100m余り)の東の土手上に地元宇原老人会の手により立てられ、地域住民共有の記憶を伝えています。
終わりに
初めて戸原方面に行ったとき目にしたのは、真新しい戸原小学校の校舎で、少ない集落の数にしては立派な校舎という印象を受けました。二宮金次郎の像があったのを覚えています。小学校の南の畑には細い布のようなものが一面干してあった。それは干瓢(カンピョウ)だとわかるまでかなりの時間を要しました。昭和の初めの「宍粟の繒圖」には戸原の特産物として西瓜と胡瓜が書かれ、それを物語る胡瓜の箱付め作業(川戸)の写真もあります。日当たりがよく米のほかこのような野菜が栽培されていたことを知りました。つい先日、戸原小学校が来年廃校となることを聞きました。時代の流れとはいえ寂しいものです。
参考 『山崎町史』、『角川日本地名大辞典』、『ふるさと戸原』
※この記事は山崎郷土会報 NO.142 令和6.2.23 より転載
【関連】
●水運物語「宇原の渡し」
1、ぶらりふるさと地名考「宍粟」
2,ぶらりふるさと地名考「山崎」
3,ぶらりふるさと地名考「城下」
4,ぶらりふるさと地名考「蔦澤」
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