今回は、明禅師(みょうぜんじ)城跡を紹介します。城跡は操山(みさおやま)公園の里山ハイキングコース上にあることがわかり、操山公園をめざした。
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▲全景 百間川の岸から南方面
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▲全景 山麓に恩徳寺がある
明禅寺城跡のこと 備前国上道郡沢田村(現岡山市中区沢田)
明禅寺城跡は、操山の北部に突き出した尾根筋先端部(標高100m、比高95m)にある。
北端から南にかけて尾根筋約300mの城域をもつ連郭式の城跡である。主郭が最も広く、帯曲輪を持ち、最南部の曲輪の周囲にも帯曲輪が見られるものの全体的に削平の度合いがゆるい。
城の眼前に田園が広がり、西方に岡山平野の北部が望める位置にある。宇喜多直家は沼城を根拠に西の旭川が流れる岡山平野を目ざしていた。一方、備中の雄国人領主の三村元親が備中松山城を根拠に美作や備前への侵入を図っていた。
それに対して直家は、永禄9年(1564)明禅寺城に見張りを配置すると、翌年の永禄10年に、三村勢により攻め落とされた。これにより、同年両者の全面対決が当城周辺で繰り広げられた。それは備前最大規模のもので「明禅寺合戦」といわれ、兵数で劣りながら宇喜多氏の大勝利となり、三村勢の大敗を「明禅寺崩れ」ともいう。
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▲明禅寺城と関係諸城の位置図
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▲東からの鳥瞰 上部(西)に岡山平野が望める by Google Earth
明禅寺城の城名及び城主のこと
明禅寺山の名は、山上に平安期以降に建てられ中世末に廃滅していた明禅寺という名の密教寺院があったことによる。そのため、その城を明禅寺城といった。
『備前軍記』の「澤田村明禅寺落城の事」の記事の終わりに「澤田村明禅寺山の城を近世に記せるものに皆妙善寺山と書く是は御野郡津嶋の妙善寺あるに混して誤れるや・・」と作者は当時の文献は皆誤っていると指摘している。
ちなみに当時に編纂された文献に『備前記』、『備陽記』、『吉備前秘録』、『吉備温故秘録』等々あるが、ほとんどが、「妙善寺」とある。また城主については、薬師寺弥五郎(弥七郎)、中島大炊、根矢(屋)与七郎の名があがっている。
この薬師寺氏については古都荘の代官に、文明2年(1470)以降、薬師寺某、薬師寺次郎の名が見えることから、その関係筋の人物と思われる『言継卿記』。
参考:『角川地名辞典』
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▲妙(明)善寺城古城 『吉備群書集成』より
アクセス
操山公園の里山ハイキングコースの一つに明禅寺城跡コースもあり、案内板が立てられているので迷うことはない。
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里山センターの前を通りの尾根筋まで登っていくと「ふれあいの辻」に至る。
案内板の指示通り右に進み、すぐまた右に折れる。これより620mとある。
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▲「ふれあいの辻」
次の交叉で明禅寺城跡まで350mの表示あり
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途中、大岩の道を抜けると、登りにかかる。城域に入ったようだ
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登りきり、少し進むとひろい曲輪跡に至る。これが主郭である。
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▲主郭
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▲主郭からの展望 木々が無ければ岡山平野も見える
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▲主郭の帯曲輪 巨石が横たわり、石積みが見られる。
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▲東屋 山麓への道
東屋から麓に降りる道がある。ジグザクの道をすすみ降りていくと竹藪があり、そこを右にすすむと、果樹園があり、恩徳寺の本堂近くに出る。
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▲降りてきた道 恩徳寺の本堂が近い ▲恩徳寺の本堂横の入り口
この城跡は初めてであったので、尾根筋裏手からの探索となり少し時間がかかった。城跡に行くには、果樹園から登るのが最短コースになる。ここからだと所要時間は約30分もあれば登れるだろう。
雑 感
宇喜多直家は、「明禅寺合戦」で備中の三村氏に大きなダメージを与えた。このあと、永禄11年(1568)備前西で戦国大名をねらう松田氏の本城金川城を落とすことに成功し、元亀元年(1570)岡山城主金光宗高を倒し、岡山城を奪いそれを改修をして以後本拠としている。こうして主君浦上宗景と肩を並べるまでの勢力を手中にした直家は、宗景と決別する日がこの後やってくる。
それが天正3年(1575)和気町の天神山城の戦いである。それに勝利し備前を手中にした。
最後のハードルは毛利と織田の2大勢力の狭間の中、毛利と和睦し織田勢力に向かって播磨攻めの先鋒をつとめたが、その後突如織田へ寝返りを企て生き延びることができた。
宇喜多直家のゆかりの城跡巡りから備前の戦国期の大筋が見えてきたような気がしている。宇喜多氏によって消された在地領主も少なくない。いずれそれらの城跡も見てみたい気持ちになっている。
【関連】
乙子城
天神山城
城郭一覧アドレス