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姫路市 空襲からの復興
昭和20年(1945)7月4日夜間、B29による焼夷弾(しょういだん)攻撃で姫路市の中心部が壊滅的な打撃を受けた・・・・・・。
空襲の翌日神姫バスは全従業員を集合させ、復旧仮本部を市内に設置し、各支社・営業所から車両を集め、焼け跡の即日整理をすすめ、市内にバスを走らせたのである。その光景は焼け跡にたたずむ市民を感動させた。
昭和20年8月15日正午、天皇陛下による玉音放送により敗戦が日本国民に知らされた。日本の混乱期はそこから始まった。
神姫バスは他の業界に先駆けて、復興輸送体制に奔走したのである。敗戦後の苦難の道を切り開く道のりが、「本社の焼失と終戦」「戦後の復興期」に詳しい。
「神姫バス70年史」より
空襲で焼け野原となった姫路市内の痛々しい写真(高橋秀吉氏提供)が「神姫バス70年史」に載せられていたので紹介します。
▼1.山陽姫路駅付近
▼2.白銀町筋北
▼3.豆腐町付近
2の写真「被爆直後の姫路の繁華街 白銀町筋から北を望む」に右上に姫路城が写っている。夜間の猛烈な爆撃の翌朝、無傷の姫路城を見たとき呆然自失の市民に一筋の生きる希望を与えたと聞いている。正にその光景が写し出されている貴重な写真です。
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