夏休みも終わり、通常運転に戻る。先日家の整理をした。子どもが不要という服や靴をリサイクルショップへ持って行く。子ども達は、夏を越えると体も足も大きくなる。以前はシーズンオフの服も引き取ってくれたのに、今回はシーズンが合わないという理由で断られた。半年ほど家に寝かせておかなくてはいけない。
私は、子どものように売れるような服は持っていない。この夏は、生地の古くなったものを切り刻んで雑巾にしたり、その辺で棒を拾ってきて、はたきを作ったり…。お下がりでいただいたノースリーブに袖を付け、スカートのウエストを詰めた。洋裁なんてほとんど知らない(せいぜいボタン付けや裾まつりくらい)けれど、あれこれ考えながらやってみると、下手なりにも何とか形になる。嬉しい。縫い目を細かく見なければ、外出だってできる。
はまるほど洋裁が好きになる訳ではないが、まだ着られる服を捨てずに済み、服を買わずに過ごせるのは嬉しく有り難い。理由は2つ。まだ着られる服を捨てるという罪悪感を覚えずに済むこと。そして服を買いに行かなくて良くなること。
若い頃は服選びも楽しかったなあ…。でも、子どもを育てている間は汚れてもいい格好ばかりで、気が付くと中年に。そしてこのお年頃になって、どこで服を買ったらいいか分からなくなってしまったのだ。そしてどんな服を選んだらいいかも分からなくなった。買いに出かけても疲れるばっかりで、ちっとも楽しくない。億劫なのだ。これがオバサンになるということか。
若い頃は、何を着てもそれなりに似合うんだな。そりゃあ服選びも楽しいさ。齢をとると、似合うの幅が狭くなる。色にしても、形にしても。それでがっかりする。
ふと思い出した。昔読んだ本『フランス人は10着しか服を持たない』。当時話題になって続編まで出たので、知っている人もいるだろう。主人公が描くフランス人マダムは、決まった形の服をいつも着ている。一番似合って、品よく見え、好みのスタイルなのだろう。その時は定型化した服選び、それがちょっとつまらないと感じたが、今は違う。そんな手があったか!って感じ。それなら、買う時も毎日の服選びも悩まず、見栄えも良く、ご機嫌でいられると思う。マダムに倣って、自分が気に入っていて、貧相でなく、似合うスタイルを探してみようか。