昔と違い、体調不良に対する周囲の視線が厳しい。コロナ以降は、特にそう感じる。人にうつす可能性がある病気の場合は、出歩く(出勤する)と厳しく非難されるようになった。ちょっと前までは、体調が悪くてもそれを押して出勤することが真面目と言われていたのに。以前から、病気によっては空気感染するという知識があったにもかかわらず…だ。世の風潮は変化しやすい。
さて、体調不良の出勤が、勤勉さと結び付けられて褒められること、感染をまき散らすとして敬遠されること、どちらの社会的圧力も決して病人の心配をしているわけではない。前者は、周囲が病人の担当している仕事の負担を負わずに済み助かるし、後者は、周囲の人たちの感染リスクを低減する。単にそういう意味だ。
インフルエンザの流行で学級閉鎖とするのは、そうすることで感染拡大をある程度抑えることができるから。それはよく分かる。でもちょっと辟易していることがある。発熱して学校を欠席すると、すぐに学校から連絡があって
「病院へ行きましたか、検査しましたか」
と聞かれる。病院へ行っていないと、遠回しに『行って検査をしてほしい』と求められる。おそらく感染症に罹患した頭数をカウントし、出席停止期間を定めるために。
私は医者ではない、ただの親だ。専門家ではない。でも、熱が出たら何でもかんでも病院で検査するというあり方には首をかしげてしまう。子どもの様子を見ながら、まだ家で様子を見ようだとか、熱はないが様子がおかしいので早目に受診しようという勘働きや、子どもへの丁寧な観察がそこにはない。子どもの機嫌や食欲など全体を見て判断する能力が失われてきたのか。それともそういう判断に価値がなくなってしまったのか。子どもを見ずに体温や数値と検査結果を見て分かったつもりになるのは、どういうことだろう。
繰り返すが、私は医者ではない。だからこう書くと、子どもにもしものことがあったらどうするのか、無責任じゃないかと非難する人も出てきそうだけど…。
私はあまり病院には連れて行きたくないのだ。病人を疲れさせ、他の病気をもらうリスクを負い、必ず投薬される。(病院に行かず自力で治せる場合でも)受診すれば薬が出てくる。お土産のように。おそらく世の受診者はそう求めているから、そうなったのだろう。それもちょっとモヤモヤする。