たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

ちょっと思いついた⑥ 今の私と先の私

2023年08月16日 | 思いついたこと

人生は先が見えない。きっとその方が良い。見えるとつまらなくなるから。

見えないから目標を持てるし、努力したくなる。思いがけないことが起こるから、そのびっくりするような出来事に面白がったり、悔しがったり、悲しくなったり。その経験をしっかり見据えることで、人は賢くなっていく、多分。見えてしまって、その決まったレールの上を走るだけというのは、優勝が決まったチームの消化試合並みに、だるい生涯になりそう。

でも、見えないと不安を感じることも確か。私は、先の人生をきっちり計画したくなる小心者だ。計画したところで、人生は思い通りにならない。頭では分かっているんだけどね。だから、口癖のように、何度も「なるようにしかならない」「その時出来ることをするだけ」とつぶやいて、心に沁みこませる。

そう、人生は思い通りにはならない(つまり先が見えない)。運や縁に振り回されて、自分の意志や努力だけでどうにかなるものではない。そんなの当たり前…なんだけど。

誤解のないように言うと、意志や努力を否定しているわけではない。それが自分の望むところなら、人は勝手に努力する。イラストを描くのが好きな子どもは、言われなくても勝手に描いているし、どう描いたらいい絵になるか考え、練習する。そんな努力は応援したいと思う。ただ、努力の過程に何も面白さや得るものがなく、将来有利になるからというためだけの努力は、不毛に感じる。先の人生が見えないのに、明日交通事故にあうかもしれないのに、今の時間を生きなくてどうする?

 

未来の自分は自分ではない。空想上の自分である。未来の自分のために何かを達成しようと努力したり、お金を貯えたりするということは、今の自分のために生きているのではない。将来いるかいないか分からない『仮想の私』に尽くして、せっせと努力しているということになる。私たちは今、こうした将来のための努力を良しとする(価値とする)社会に生きているが、その価値観を強烈に取り入れてしまうと、いつまでも今の自分のために生きることはできない。生きている自分とは、まさに今の自分でしかないのに、いつまでも私の人生を生きられない。

アリでも、キリギリスでもない、私でいたい。

 

 



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