金谷・大井川遠岸 江戸より24番目の宿
さて、広重はいよいよ遠州に足を踏み入れ、大井川の渡し金谷側の高みから我が島田の山を眺望する。前回の岡部宿から一気に金谷宿に飛ぶのは、藤枝、島田の両宿では背景に山が描かれていないからにすぎない。ちなみに、藤枝宿では伝馬の様子、島田宿では川越しの様子が前面に描かれている。
この連載のきっかけとなった「岳人」(669号)掲載の玉置哲浩氏『広重・東海道五十三次の山その3』では「金谷宿の大井川の対岸の山、舞阪宿の浜名湖岸の岩山は実景では存在しない」と書かれているのだが、地元の我々にとっては背景となっているこの山は一目瞭然である。言わずと知れた千葉山であろう。左の大井川岸から緩やかに上がっていく主尾根は、赤松から柏原、どうだん原、そして山頂へと続くものだ、よく見れば、矢倉山らしきものも判るし、右隅のピークは双子山と思われる。
以前、読図講習の場で話した覚えがあるが、開山以来千葉山は島田周辺の宗教的、政治的、地誌的なシンボルであった。広重は「実景では存在しない」架空の山を描いたわけでなく、かなり意識して正確に描き込んでいるように思うのだ。江戸期の人々にとって「山」とは、富士山を筆頭に即ち信仰の対象であり、里から仰ぎ見られる顕著な峰は、なおさらである。また、こうした紀行物の浮世絵は、旅行ガイドのような役目もあったのだろうから、その地の名所旧跡などは描かれていることが多いだろう。
それでは、背後の黒くとてつもなくでかい山影は何か。こちらは随分とデフォルメされている。想像ではあるが、方角的に、また前述のように五十三次に描かれているのは信仰対象となっている山が多いことを併せて考えると、大無間山(諏訪信仰)と読む。とすると、左の端正な三角形は黒法師、千葉山と双子山鞍部から覗いているのは七ツ峰あたりか。実際にはどの程度見えるのか、冬の晴れた日、牧ノ原公園に出かけ山座同定するのも愉しいだろう。
(2003年12月記)
* * *
ブログ『島田ハイキング』の1月3日付記事「大井川を歩いて渡る」内に、坂田幸枝さんが広重『東海道五拾三次之内金谷 大井川遠岸』を掲げ、背後中央の「この高い山は何と言う山でしょうか」と問いを発した。広重画は、島信のカレンダーシリーズとなっていて、わが家ではトイレに貼られ、ここで一時、山座同定なども楽しんでいる。また、『金谷』に対しては、だいぶ昔となるが、上記の文を『やまびこ』に寄せたことがあった。
『金谷』が昨年の島信カレンダーになった時から、再度の山座同定をトイレで進めていたこともあって、幸枝さんのブログアップは嬉しいことだった。また、ブログ記事に対して早速に立川さんより反応があったことを聞き、さらに嬉しさが倍増した。
カシミール3Dにより描画した展望図
(立川 博道)
広重の「金谷 大井川遠岸(遠州側の岸の意味)」に描かれている山には定説がないようです。多数派は、手前の彩色された山にある集落が金谷宿であるというもの。正反対の金谷(遠州側)から渡しを見た図という説もあります。但し、いずれの説でも遠景の黒い山並は広重の作意であり実在しないとしています。
そこで、諸説とは関係なく、3次元地図ソフトのカシミール3Dで探索してみました。川越遺跡付近の大井川河原から360度展望カメラで見たところ、ほぼ真北の展望(高度100m、28㎜レンズで撮影)が広重の絵に似ているようです。広重は山を誇張して描画していることが多いので、さらに縦方向を2倍に伸ばしたのが添付図です。彩色された山は「矢倉山」と「千葉山」その後ろの尖った黒い山は「高根山」か? SHCブログでご質問の「この高い山」は「高山」の稜線に似ていますが、如何でしょうか?
地理院地図3Dにより描画した島田スカイライン
さすがに立川さんは、実証的で説得力がある。これに倣って私も別のツールで立体化(3D化)してみた。今の国土地理院HPには、地理院地図を3D化する機能が用意されている。これによって立体化された島田スカイラインが〔上図3〕(立川画像と同様に縦方向2倍)である(この機能は範囲に制限があって、遠距離のものを含めた展望図にはならないが、角度を変えたり方角を変えたりと、いろいろいじれるのが面白い)。両図を比較してみると、視点の位置、高度、方位、俯角などが異なっているから、全く同様の図とならないのは当然のことであるが、概ね前景山並が千葉山であることはほぼ相違ない。ただ、私は前景山並の最も高く、はっきりと描かれている峰が千葉山であり、尾根続きの右端なだらかなピークは双子山ではないかと判断している。この両峰の間には、現実には443.8m三角点峰が存在するが、これは画上省略されていると考える。従って、これが「高根山か?」とする立川説には、そうだろうと納得した。
『東海道五拾三次 小田原酒匂川』
問題は背部山並のどでかい山体である。なるほど、二つの画像を見ると、高山は私の想像をはるかに超えて大きく眺望できることは、驚きの再認識だった。画に描かれる形も二つのCGに似通っている。うーん、立川説の高山で決まりかな、とも思うが、やはり気になることがある。一つは、仮に先程の千葉山右背後の山を高根山とするならば、千葉山とはより近く、相賀谷一つ隔てているだけの高山に霞が掛かっているように描かれているのは何故か。もう一つは、同じく広重・五十三次の『小田原 酒匂川』との比較である。『金谷』と『小田原』が、同じ構図で描かれていることは一目瞭然で、思うに、詳細に彩色されている前景山並は実景(無論、誇張や省略は画法としてあるだろうが)として、影ベタの背景山並はその彼方のあるべき山を心眼で描くという作法ではないかと私は想像するのだ。『小田原』においては前景が箱根外輪山、そして背後の『金谷』同様のばかでかい山体は、その先にあるべき神山、駒ヶ岳の中央火口丘、その左のさらに遠くの山は、富士山と愛鷹山塊と想像する(位置的には、このようになる筈はないが)。これと同じく、『金谷』のばかでかい山体は、やっぱり大無間山、その左が黒法師岳だよと、深南部ファンとしては願望してしまうのだ。諸兄姉の更なる検討が寄せられることを期待している。
(2015年3月・SHC会報『やまびこ』№215より)
* * *
【2024年9月追記】
歌川国貞『五十三駅景色入美人画・金谷』
歌川芳盛『東海道名所風景・金谷』
歌川一門の別の絵師による「金谷」の画である。国貞の美人画の背景は、『広重・大井川遠岸』を借用しているもののようで、全く同じ構図になっている。芳盛の画は将軍・家茂の上洛を描いたものということだから、行列は大井川を駿河(嶋田)側から遠州(金谷)側へと渡り西進していることになる。行列の先頭部分が越えている山の形が、『広重・大井川遠岸』の手前の彩色された山と似ているようにも感じられるが、もちろん、実際の東海道は金谷宿から牧之原台地に上がっていくのであって、このような山は存在しない。
『大井川遠岸』とセットの画のように思われる対岸の画は『嶋田・大井川駿岸』で、「遠岸」・「駿岸」とはアングルとした地点を言っているようだ。金谷側の渡河地点堤防(遠江側の岸=遠岸)から大井川を前景とした北方の景観をGoogle Earthで描画した(縦方向を1.5倍)。やはり、これが『大井川遠岸』の構図に一番近いようだ。今まで見てきたように、東海道五十三次においては広重が実景に近い山を描いていることも併せて考えると、2015年の立川説が有力ではないかと今は思っている。
『東海道五拾三次 嶋田 大井川駿岸』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます