前回はこちら。声に出して読んでみよう。だれかに聞いてもらおう。そのままノートに書き写してみよう。
「このお手々(てて)にちょうどいい手袋(てぶくろ)下さい」すると帽子屋(ぼうしや)さんは、おやおやと思いました。狐(きつね)の手です。狐(きつね)の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木(こ)の葉で買いに来たんだなと思いました。そこで、「先にお金を下さい」と言いました。子狐(こぎつね)はすなおに、握(にぎ)って来た白銅貨(はくどうか)を二つ帽子屋さんに渡(わた)しました。帽子屋さんはそれを人差指(ひとさしゆび)のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚(たな)から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠(ねむ)る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。するとこんどは、子供の声がしました。「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼(な)いてるでしょうね」すると母さんの声が、「森の子狐もお母さん狐のお唄(うた)をきいて、洞穴(ほらあな)の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊(ぼう)やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」それをきくと子狐は急にお母さんが恋(こい)しくなって、お母さん狐の待(ま)っている方へ跳(と)んで行きました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐(こわ)かないや」「どうして?」「坊、間違(まちが)えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴(つか)まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖(あたたか)い手袋くれたもの」と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。
「手袋を買いに」より
登場人物は、子狐と帽子屋さん、人間のお母さんと子供、母さん狐です。子狐の視点(してん)から、人間はちっとも恐くない、母さん狐とおなじやさしいものだと信じられる経験(けいけん)をしています。
それでも母さん狐の視点から、「ほんとうに人間はいいものかしら」とも書いています。なぜでしょう?帽子屋さんも、悪いひとではないと思います。
作者の新美南吉(にいみなんきち)は、はじめ「村の帽子屋さん」と書いていたものを、「町の帽子屋さん」に書きかえたそうです。
「町」では、ひととひとがおカネを仲立(なかだ)ちにしてかかわり生きています。おカネは、価値(かち)をおきかえるのに便利です。「町の帽子屋さん」は、子狐が信用できるかをおカネが本物かでたしかめていました。
たとえ悪いひとでなくても、その便利さとひきかえに、ほんとうに良い心をもっているかが信じにくくなると、作者南吉は考えていたのかもしれません。
視点を変えて読むことで、おなじ「ものがたり」に別の共感(きょうかん)が生まれます。(塾長)
「このお手々(てて)にちょうどいい手袋(てぶくろ)下さい」すると帽子屋(ぼうしや)さんは、おやおやと思いました。狐(きつね)の手です。狐(きつね)の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木(こ)の葉で買いに来たんだなと思いました。そこで、「先にお金を下さい」と言いました。子狐(こぎつね)はすなおに、握(にぎ)って来た白銅貨(はくどうか)を二つ帽子屋さんに渡(わた)しました。帽子屋さんはそれを人差指(ひとさしゆび)のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚(たな)から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠(ねむ)る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。するとこんどは、子供の声がしました。「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼(な)いてるでしょうね」すると母さんの声が、「森の子狐もお母さん狐のお唄(うた)をきいて、洞穴(ほらあな)の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊(ぼう)やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」それをきくと子狐は急にお母さんが恋(こい)しくなって、お母さん狐の待(ま)っている方へ跳(と)んで行きました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐(こわ)かないや」「どうして?」「坊、間違(まちが)えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴(つか)まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖(あたたか)い手袋くれたもの」と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。
「手袋を買いに」より
登場人物は、子狐と帽子屋さん、人間のお母さんと子供、母さん狐です。子狐の視点(してん)から、人間はちっとも恐くない、母さん狐とおなじやさしいものだと信じられる経験(けいけん)をしています。
それでも母さん狐の視点から、「ほんとうに人間はいいものかしら」とも書いています。なぜでしょう?帽子屋さんも、悪いひとではないと思います。
作者の新美南吉(にいみなんきち)は、はじめ「村の帽子屋さん」と書いていたものを、「町の帽子屋さん」に書きかえたそうです。
「町」では、ひととひとがおカネを仲立(なかだ)ちにしてかかわり生きています。おカネは、価値(かち)をおきかえるのに便利です。「町の帽子屋さん」は、子狐が信用できるかをおカネが本物かでたしかめていました。
たとえ悪いひとでなくても、その便利さとひきかえに、ほんとうに良い心をもっているかが信じにくくなると、作者南吉は考えていたのかもしれません。
視点を変えて読むことで、おなじ「ものがたり」に別の共感(きょうかん)が生まれます。(塾長)