べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

なんでミツバチすぐ死んでしまうん?|音読を楽しもう

2009年11月08日 | 国語
 写真は、子供がみたスペイン内戦を背景(はいけい)にした映画「ミツバチのささやき」です。身近(みぢか)で小さな蜂(はち)の死が、ヒトの死も暗示(あんじ)しています。静かにしみる映画です。


 或(ある)朝の事、自分は一疋(いっぴき)蜂が玄関(げんかん)の屋根で死んで居(い)るのを見つけた。足を腹(はら)の下にぴったりとつけ、触角(しょっかく)はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向(いっこう)に冷淡(れいたん)だった。巣(す)の出入りに忙(いそが)しくその傍(そば)を這(は)いまわるが全(まった)く拘泥(こうでい)する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何(いか)にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずに俯向(あおむ)きに転がっているのを見ると、それが又(また)如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程(ほど)その儘(まま)になっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋(さび)しかった。他の蜂が皆(みな)巣へ入って仕舞(しま)った日暮(ひぐれ)、冷たい瓦(かわら)の上に一つ残った死骸(しがい)を見る事は淋しかった。然(しか)し、それは如何にも静かだった。

志賀直哉(しがなおや)「城の崎にて(きのさきにて)」より

 この作品を書いたときの志賀直哉は34歳。電車にはねられ大けがをして、兵庫(ひょうご)県にある城崎温泉で療養(りょうよう)をしています。このけががもとで自分は死んでしまうかもしれないと思いながら、蜂の死をながめています。元気な蜂と静かな蜂の死が、簡潔(かんけつ)に対比(たいひ)されています。

 この作品を高校生のときに読みましたが、物語の起伏(きふく)もなくピンときませんでした。わかくて元気いっぱいのときには、死について想像しにくかったせいでしょう。歳(とし)をとり入院をしたときなどに、ふと思い出して読みなおすとずいぶん印象(いんしょう)がかわりました。志賀直哉の作品では「小僧の神様」をお薦めします。(塾長)


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