いっしょに計算ドリルをやっていると間違いが気になって仕方がない。小学校低学年のお子さん、そのお母さまからご相談です
「わが子を教えるとしたらどうしますか?」
難しいかもしれませんね。「なんでこんなところで間違えるの!」、気ばかりもんでしまいます。急(せ)かしすぎたと悔やむことも一度や二度じゃないかもしれません。あなたのその気持ち、ごく自然で悪いことではありません。それはわが子への期待の現れです。お子さんにとって期待されないよりずっと嬉しいこと。ひとが一番やる気を発揮するのは大好きなひとの期待に応えるときなのですから
あなたはその気持ちのコントロールを覚えれば良いわけです
わたしは両親が教師だったせいか親に勉強を教わるのなんて大キライでした。いくら頑張ってもダメ出しされていました。親のその気持ちいまならわかります。センセイだから粗(あら)も余計に見えてしまう。そして「お前ならもっとできるはずだ」なんです。期待されないよりははるかにマシですが、イヤでイヤで仕方ありませんでした。テストを持ち帰ると、一教科ごと母に叱られ父に叱られ、まとまってからもう一度叱られ…ホント「ご丁寧にどうも」です。多分叱ってるつもりはないんでしょう。でも褒められた記憶はまるでない。ひとが一番やる気を失うのは大好きなひとの期待に応えようもないときです
これは避けるべきケースですね。もう少し別のやり方があったんじゃなかろうか
コミュニケーションがうまくなる(3)|"教師"になってちゃ楽しくはありません
やっぱり、まずは褒めましょう。そのためにはハードルを下げること。下げすぎかなと思うもう一段下げましょう。ホラ思い切ってぐいっと。こんなことできて当たり前だと思ったとしてもです。仮にやらせてみて楽にできたとしたら。そのときは「ごめんごめん。カンタンすぎたかな」と笑って言えば、お子さんも調子がきっと上がります(鼻の穴膨らませながらw)。最初は誰でもスムーズじゃなかったり不安だったりしますよね。あなただって間違いなくそうだったはず。その段階では期待をかけすぎるとただただプレッシャーです。間違えずにできることも間違えてしまうかもしれません。カンに頼り考え方ややり方が雑になって、高学年で伸び悩むことになるかもしれません。そのときの気持ち大人はいつの間にやら忘れてしまいます
もしプレッシャーに負けない強さを身に付けさせたいなら急ぐ必要はありません。上手くいった体験を繰り返し「やればできるんだな」と思わせてからで充分間に合います。いくつも同時に身に付けさせるのは難しい。ご家庭では信頼関係を優先し、強さを身に付けさせる役割は外部に任せてしまいましょう。お待ちしてますよ
それから計算ドリルができるがお子さんの最終目標ではありませんよね?
よのなかに出てから生き抜くチカラを身に付けましょうよ。そのためには根拠に裏付けされた自信を。自信は自分で乗り越えてみた経験からしか生まれません。「自信を持て」と言われたからって身に付くものじゃない。褒めるばかりでも逆に厳しくするばかりでも難しい。正解はひとつじゃありません(←ここ重要!)。なにごとでも、持続をさせるには適切な時期と段階が必要です。だからまずはハードルは下げましょう。そして、いっしょに何度も乗り越えた経験がその後の自信と信頼関係を支えます。その段階が出来てから厳しいことにもあたらせればきっと上手くいきますよ。親の手を離れてやっていけます
繰り返しますが期待をかけるのは良いことです。ただ、期待は想像ですから再現なく膨らみます。高学年や中高へ上がったとき、部活や習い事で忙しいとき、社会状況の変化で学校や受験でやるべきことが変わったとき。多くの大人がその変化を無視して期待だけ膨らませます(普段の子どもの状況を把握していないお父さんやわが子の幼い頃のすがたを引きずっているお母さんに多い気がします)。期待は、一定の信頼関係が相互に出来上がってからでなければ効果を生みません。信頼関係を得るには(現在の)相手の実像を知る努力が欠かせません
お子さんが小さいうちならともかく、高学年にもなればただやれと言っただけでは動きません。特に勉強は生き物に必須のチカラではありません。学んでいくヒトのチカラですから、それは信頼関係に支えられています。あなた一人だけでなんとかさせようとするのはムリです。お子さんの日々の変化に関心を持ち気になることはメモに書き出してから相談をしましょう。親だって失敗したり恐れたりつい怠けてしまったり、そのときの気持ち大人はいつの間にやら忘れてしまうものです。「このくらいやって当たり前だろう」と押し付けるだけでは長続きはしませんよ
小学校のときはできたんですけどねえで終わらせたくはないですからね(藤田)
「わが子を教えるとしたらどうしますか?」
難しいかもしれませんね。「なんでこんなところで間違えるの!」、気ばかりもんでしまいます。急(せ)かしすぎたと悔やむことも一度や二度じゃないかもしれません。あなたのその気持ち、ごく自然で悪いことではありません。それはわが子への期待の現れです。お子さんにとって期待されないよりずっと嬉しいこと。ひとが一番やる気を発揮するのは大好きなひとの期待に応えるときなのですから
あなたはその気持ちのコントロールを覚えれば良いわけです
わたしは両親が教師だったせいか親に勉強を教わるのなんて大キライでした。いくら頑張ってもダメ出しされていました。親のその気持ちいまならわかります。センセイだから粗(あら)も余計に見えてしまう。そして「お前ならもっとできるはずだ」なんです。期待されないよりははるかにマシですが、イヤでイヤで仕方ありませんでした。テストを持ち帰ると、一教科ごと母に叱られ父に叱られ、まとまってからもう一度叱られ…ホント「ご丁寧にどうも」です。多分叱ってるつもりはないんでしょう。でも褒められた記憶はまるでない。ひとが一番やる気を失うのは大好きなひとの期待に応えようもないときです
これは避けるべきケースですね。もう少し別のやり方があったんじゃなかろうか
コミュニケーションがうまくなる(3)|"教師"になってちゃ楽しくはありません
やっぱり、まずは褒めましょう。そのためにはハードルを下げること。下げすぎかなと思うもう一段下げましょう。ホラ思い切ってぐいっと。こんなことできて当たり前だと思ったとしてもです。仮にやらせてみて楽にできたとしたら。そのときは「ごめんごめん。カンタンすぎたかな」と笑って言えば、お子さんも調子がきっと上がります(鼻の穴膨らませながらw)。最初は誰でもスムーズじゃなかったり不安だったりしますよね。あなただって間違いなくそうだったはず。その段階では期待をかけすぎるとただただプレッシャーです。間違えずにできることも間違えてしまうかもしれません。カンに頼り考え方ややり方が雑になって、高学年で伸び悩むことになるかもしれません。そのときの気持ち大人はいつの間にやら忘れてしまいます
もしプレッシャーに負けない強さを身に付けさせたいなら急ぐ必要はありません。上手くいった体験を繰り返し「やればできるんだな」と思わせてからで充分間に合います。いくつも同時に身に付けさせるのは難しい。ご家庭では信頼関係を優先し、強さを身に付けさせる役割は外部に任せてしまいましょう。お待ちしてますよ
それから計算ドリルができるがお子さんの最終目標ではありませんよね?
よのなかに出てから生き抜くチカラを身に付けましょうよ。そのためには根拠に裏付けされた自信を。自信は自分で乗り越えてみた経験からしか生まれません。「自信を持て」と言われたからって身に付くものじゃない。褒めるばかりでも逆に厳しくするばかりでも難しい。正解はひとつじゃありません(←ここ重要!)。なにごとでも、持続をさせるには適切な時期と段階が必要です。だからまずはハードルは下げましょう。そして、いっしょに何度も乗り越えた経験がその後の自信と信頼関係を支えます。その段階が出来てから厳しいことにもあたらせればきっと上手くいきますよ。親の手を離れてやっていけます
繰り返しますが期待をかけるのは良いことです。ただ、期待は想像ですから再現なく膨らみます。高学年や中高へ上がったとき、部活や習い事で忙しいとき、社会状況の変化で学校や受験でやるべきことが変わったとき。多くの大人がその変化を無視して期待だけ膨らませます(普段の子どもの状況を把握していないお父さんやわが子の幼い頃のすがたを引きずっているお母さんに多い気がします)。期待は、一定の信頼関係が相互に出来上がってからでなければ効果を生みません。信頼関係を得るには(現在の)相手の実像を知る努力が欠かせません
お子さんが小さいうちならともかく、高学年にもなればただやれと言っただけでは動きません。特に勉強は生き物に必須のチカラではありません。学んでいくヒトのチカラですから、それは信頼関係に支えられています。あなた一人だけでなんとかさせようとするのはムリです。お子さんの日々の変化に関心を持ち気になることはメモに書き出してから相談をしましょう。親だって失敗したり恐れたりつい怠けてしまったり、そのときの気持ち大人はいつの間にやら忘れてしまうものです。「このくらいやって当たり前だろう」と押し付けるだけでは長続きはしませんよ
小学校のときはできたんですけどねえで終わらせたくはないですからね(藤田)